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2009年03月20日

山と渓谷 - 田部重治


Title: 新編 山と渓谷 (岩波文庫)
Author: 田部 重治
Price: ¥ 735
Publisher: 岩波書店
Published Date:

ずぅ~っと前に途中まで読んで、4年以上ほったらかしていた「山と渓谷」を読破。

明治~大正の日本近代登山史の黎明期に活躍していた著者の山旅や、山に対する思いをあれこれ綴った本。オリジナルは「日本アルプスと秩父巡礼」で、昭和5年に出版されたもの。今とは違って、山に行くための何から何までもが不便だった時代の記録で、登山の計画の立て方から山に向かう交通手段から食べ物、それに山中での暮らし方まで時間のかかる方法で苦労しつつも山を楽しむ様子が大変面白かった。

約5年前に読み始めた頃は、まだ日本の山を登りはじめて間もない時期だったので、今はじめから読み直したら色々と発見があって面白いのかもしれない。

田部重治さんは英文学者としても知られていて、ワーズワースの「虹」を下のように訳している。

わが心はおどる
虹の空にかかるを見るとき。
わがいのちの初めにさなりき。
われ、いま、大人にしてさなり。
われ老いたるときもさあれ、
さもなくば死ぬがまし。
子どもは大人の父なり。
願わくばわがいのちの一日一日は、
自然の愛により結ばれんことを。

2009年02月05日

感謝されない医者 - 金田正樹


Title: 感謝されない医者―ある凍傷Dr.のモノローグ
Author: 金田 正樹
Price: ¥ 1,680
Publisher: 山と溪谷社
Published Date:

凍傷の治療なんか好きじゃないのに、いつのまにか日本を代表する凍傷ドクターになってしまったドクターの本。

秋田県の白神山地の麓に生まれ育ち、山に魅せられるようになって海外への遠征隊などに同行するようになった著者が見てきた凍傷患者達と、その治療過程が綴られている。山で負った凍傷の話も興味深いのだけど、それ以上にソ連侵攻時代のアフガニスタンに赤十字の医師として派遣された時の体験のほうが壮絶な体験であるように感じられた。

凍傷になる過程や、典型的な症例などなど、様々な興味深い事例が紹介されているので、雪山登山をやる人は目を通しておくとメリットがありそう。

凍傷にならないためには

- 冷やさない
- 濡らさない
- 行動時間は短く
- ストレスを軽減する

といったあたりを徹底する必要がありそう。まぁ、結局難易度の高い山をやってるときは、そんなこと言ってられないのも確かなのだけれど・・・。

本人の意思とは関係なしに、凍傷をよく見るお医者さんということで登山をする人間から認知されている著者の暖かい視線を感じることができる本だと思った。

2009年01月18日

ひび割れた晩鐘 - 亀山健太郎


Title: ひび割れた晩鐘―山岳遭難・両足切断の危機を乗り越えて
Author: 亀山 健太郎
Price: ¥ 1,500
Publisher: 本の泉社
Published Date:

丹沢の源次郎沢を登攀中に墜落して開放骨折し、最新治療によって両足切断の危機を免れた人の記録。還暦過ぎの著者の山登りやその他の事柄に関する知見や意見が詰め込まれており、なかなか読ませる本になっている。

「普通の人」が「身近なルート」で「ありがちな事故」を起こした結果、どういった危険が待っているか・・・、ということがよくわかる。源次郎沢自体は登ったことがないけど、水無川沿いの沢は何本も登攀しているのであの界隈の沢は自分にとって身近な存在。2,3年前の沢登りの際、高巻き後の滝の上でスリップしてしまい、10m近いフォールから辛うじて免れた経験のある自分としては、著者の墜落は他人事では全くない。

事故~搬送~手術~感染症との闘い~リハビリ・・・という流れの中の出来事が事細かに綴られているので、闘病中の人、ある程度の危険を伴うクライミングをやっている人、面白い本が読みたい暇な人、などにおすすめできる。

ちなみに“晩鐘”(ばんしょう)とは、「夕方に鳴らす寺院・教会などの鐘の音」とのこと。

http://www.hirotarian.ne.jp/backno/1908-yume.html

2007年10月15日

古道巡礼 - 高桑 信一


Title: 古道巡礼
Author: 高桑 信一
Price: ¥ 2,100
Publisher: 東京新聞出版局
Published Date:

近代化とモータライゼーションによって滅んでしまった、「人」によって歩かれた「径」を巡る旅の本。開かれた平地にそういった道が保存されることは期待できないので、自然と著者による「古道」を巡る旅は、険しい山の中に分け入ったものが主になってくる。

古来より、近隣の村人や旅人、行商人や旅芸人が越えてきた峠。最盛期には小学校や郵便局まであったのに、今ではその痕跡を探すことさえ難しくなっているような山師達の村。つい数十年前まで、山菜やきのこを採るために使われていた、地元の人たちの径。
時間の流れの中で、作られ、知らされ、踏み固められ、壊され・・・といったプロセスを経て、今また静かに時間の流れの中に還っていこうとする、貴重な人類の遺産だ。

この本で著者が訪れているのは、東北地方や山間部に微かに残る、今にも自然に還ってしまいそうな「径」であり、その「旅」は多分に文化的であると同時にハードな山旅である。快適な山小屋が期待できるわけでもなければ、登山道という名の安楽な「道」がついているわけでもない。技術の進化や、自然環境の変化によって動的にその姿を変えてきた「径」は、名も無き人たちによる無言の声であり、生きた生活の足跡であり、現代人にとって容易に辿ることのできない魅力に溢れた「径」なのであった。

2007年08月19日

剱岳 点の記 - 新田次郎


Title: 劍岳,点の記 (文春文庫 に 1-23)
Author: 新田 次郎
Price: ¥ 540
Publisher: 文藝春秋
Published Date:

明治40年、測量の基準となる三角点を設置するために剱岳に登った柴崎芳太郎さん一行の物語。

彼らが艱難辛苦の後に辿り着いた頂上で、奈良時代に修験者が残していったとされる錫杖の頭と鉄剣を見つけた話は有名だけれど、その詳細について触れる機会がなかったのでなかなかよい読書体験だった。もちろん、小説なので至る所にフィクション的要素が挿入されてはいるものの、測量に関する部分に関して手を抜かずに描写しているのでリアリティーのある物語になっているように感じた。

純粋な登山のように「登ったら終わり」ではなく、重くて嵩張る測量器具を持ち上げた上、さらに厳しい環境の中で測量を行ってきた測量という仕事は非常にハードだったに違いない。現代における、山岳救助隊とか、山小屋の人が道を整備したりするような苦労に通じるものがあるのかもしれない。

2007年08月11日

黒部物語 - 志水哲也


Title: 黒部物語
Author: 志水 哲也
Price: ¥ 3,150
Publisher: みすず書房
Published Date:

先日の北アルプス山行で、どこかの小屋(三俣蓮華小屋か、あるいは真砂沢ロッジ)でチョロっとだけ読んで気になっていたので、図書館で借りて読んでみた。

期待していたとおりのよい本で、黒部を知り尽くした著者にしか撮れない素晴らしい写真や、味わい深い文章が詰まっている。「黒部」と聞けば人は一大観光地と化した黒部ダムを想像するのかも知れない。しかし、この本に登場する「黒部」は、人の手が入ることを最後まで拒み続けているような自然の奥深さや魅力に溢れていて、ページをめくるたびに静かで険しい渓谷の中で水の音を聞いているような気分にさせてくれる。

危険と隣り合わせで黒部の渓谷を歩き、攀じ、下り、感動し、戦慄し、生き、生かされてきた人による実に素晴らしい本だ。

2007年08月04日

山岳警備隊 出動せよ! - 富山県警察山岳警備隊編


Title: 山岳警備隊、出動せよ!
Author:
Price: ¥ 1,427
Publisher: 東京新聞出版局
Published Date:

先日、剱岳の八つ峰でパーティーが不幸にもお世話になってしまった(?)富山県警察が全国に誇る山岳警備隊の本。真砂沢ロッジに置いてあったのを途中まで読んでいて、なかなか面白かったので図書館で借りてみた。

プロジェクトXで取り上げられたりして有名になっているようだが、やはり立山連峰や剱岳、それに黒部の奥深い渓谷を守備範囲とする山岳警備隊の充実は素晴らしい。行動するのがやっとの厳冬期の雪山で、何日も何日もラッセルを続けて遭難者に合流したり、虫の息の遭難者を背負って岸壁を登攀したり・・・といった行動は、いかに山のプロフェッショナルとはいえ物凄い負荷のかかる仕事だろう。

我々のパーティーの救助を指揮していた園川さんが「福岡出身の新人」として登場していた。若手を怒鳴りつけ、叱りつけながら険峻な山での救難活動にあたられている氏には、これからのさらなる活躍とご無事をお祈りしたい。

2006年12月23日

新編・単独行 - 加藤文太郎


戦前の時代には画期的だった、冬季の単独山行を数多く成し遂げた加藤文太郎さんの本。彼が残した記録や文章に、ちょっとした解説が付け加えられている。

文章から読むことができるのは、彼がとても真面目かつ実直で、それでいて内なる闘志を秘めた人間的な人であったのだなぁ、ということだ。他人に迷惑をかけることを嫌い、色々と努力を繰り返しながら単独で奥深い山へと分け入っていく著者の姿はなんともいえず頼りなく、それでいて力強い。

厳冬期の北アルプスに、満足な幕営用具も持たずに当時の貧弱な装備で登っていたことは、ただただ驚かされる。山での行動時間に12,3時間かけることは普通で、現在の教科書的な登山スタイルからあまりにもかけ離れているのだ。
山頂に名刺入れがあったり、案内人を連れて行かないと小屋が使えなかったり・・・と当時の山登りの風景が目に浮かぶような興味深い描写と、著者・加藤文太郎さんのナイーブで一途な山への憧れが見事に凝縮された面白い本だ。

2006年12月17日

狼は帰らず - 佐瀬稔


これほど読んでいて胸がしめつけられる本はない。
この本は、戦中・戦後の大変な時期に幼少時代を過ごし、まるで取り憑かれたように山に、困難な壁に挑み、ついにはその壁の中で死んだ人の記録だ。

世渡りが下手で、自意識は人一倍強くて、純粋なところを隠そうともしない。自分も含めて、山に魅せられてクライミングをやる人の中にはこういった傾向を持った人が多いのではないかと思う。
自分の中に闘志を持ち続けることに快感を覚え、その闘志が途切れることのないよう、次から次へとチャレンジングな計画を考えては、一途にのめりこんでゆく・・・。
森田勝さん、という人の行動パターンはまさにこの典型で、不屈の闘志を生涯を通じて持ち続けたが故に最後はグランド・ジョラスの岸壁で帰らぬ人となる。

この本で触れられている緑山岳会の大野栄三郎さんこそは今自分が活動している会社の山岳部を作り、育て上げた人だ。人づてにその素晴らしい人柄や神業的な岩登りの技術を聞いていて、とても親近感を持って読むことができた。異色な山岳団体・緑山岳会の奇行も噂に聞いていたとおりで面白い。

2006年11月23日

エヴェレストより高い山 - ジョン クラカワー


エヴェレストでの大量遭難を書いた「空へ」のジョン・クラカワーさんの本。彼のライターとしてキャリアの初期に、あちこちの雑誌に掲載された記事の中でも、山に関係あるものがセレクトされている。

アイスクライミングからヴォルダリング、アイガー、そしてK2からバージェス兄弟まで、12の物語に別れて70年代から80年代にかけてのクライミングのシーンが目の前に広がってくる。
「山登り」という行為に魅せられた人たちと、そして彼らをあざ笑うかのように自然の脅威を見せつける山々の魅力をたっぷり紹介している。

一番グッとくるのは、最後の若かりし著者がデヴィルズ・サムを目指した話。
いわゆるクライミング・バムと呼ばれる人種の典型例として生きていた彼は、つまらない仕事を飛び出して、「何かが変わること」を期待しながら一人アラスカを目指す。狙っていたルートの登攀には失敗するものも、相応の結果を残して下山した彼を待っていたのは「何も変わらない現実」なのだ。

やはり、ある種の人々にとってのクライミングとは一種の精神療養なのかもしれない。

2006年09月19日

北八ッ彷徨 - 山口 耀久


高かったけど、買ってよかった愛おしい本。

「北八ッ」とは北八ヶ岳の山域のことで、一般的には天狗岳よりも東に広がる八ヶ岳山脈及びそれを取り囲む豊かな樹林帯を指す。
赤岳や阿弥陀岳、それに横岳を擁する南八ヶ岳山域と比べてなだらかな山が多く、深い森と湖が多くあるのが特徴だ。

著者はこの山域を愛し、麦草峠を通る道路が開通する前の時代の北八ッの楽しかった思い出をこの本に綴っている。
詩情に溢れた素晴らしい文章で豊かな自然が描写されていて、読んでいてたまらなく山の静けさが恋しくなってくるのだ。

今では登山路が縦横に広がっている北八ッだけれど、雨池のほとりに天幕を張って筏を浮かべて歌を歌って・・・なんていう時代があったのだなぁ、と新鮮な気持ちで読むことができた。本の最後になって出てくる著者の闘病生活の記述もまた興味深い。

2006年07月22日

生と死の分岐点 - ピット シューベルト


ドイツの山岳会の安全委員会委員長として、長らく遭難事故と向き合ってきた著者が山における遭難のリスクを実例を沢山挙げながら解説している非常にドイツ的な本。

山の天気から雷にはじまり、ザイルやビナ、シュリングなどの登攀用具の細かい使い方まで、実地的な経験に基づいた非常に入念かつ詳細な議論が行われている。
ハーネスやピッケルの選択や使い方が日本で広く使われているものと少し違ったりするのだけれど、クライミングにおけるリスクの説明として非常に筋の通った説明が多い。
ザイルで体を確保しながら岩を登っていく、という行為の危険性はここ50年以上の間本質的に変わることなく沢山の人たちの命を奪ってきたのだ。

実際に本番のクライミングなんかをしている時は、コンディションの関係上ゲレンデの時に比べていい加減なことをしてしまうことがあると思う。そしてそのひとつひとつのアクションがこの本で紹介されているリスクに直接結びつく可能性を常にはらんでいるのだな、と思った。

この本は登山技術の解説本、というよりは「事故のケーススタディー紹介本」、として理解した方がよいだろう。
何が起こるか分からない山の中で、沢山の物言わぬクライマー達に接してきた著者だからこそ書くことができた本なのだ。

2006年07月02日

デス・ゾーン 8848M - アナトリ・ブクレーエフ


最近読んだ「空へ」という1996年に起きたエヴェレストでの遭難事件を別の人の視点から描いた本。

「空へ」の作者が参加していたパーティーと同じ日に山頂を目指したもうひとつのパーティーのガイドであるアナトリ・ブクレーエフさんとアメリカ人のウェストン・デウォルト氏にによる共著となっている。
実質上、デウォルト氏がアナトリさんやその他大勢の関係者に対して行ったインタビューや、アナトリさんが書いた文章の断片をまとめあげて1996年の出来事をうまくまとめた本、といったほうが正しいかもしれない。

全体的なノリとして、「空へ」では参加者を置いて一人だけ早く下山をしていたり、非協力的なガイドとして批判の対象となっていたアナトリさんが「ほんとのところはこうだったのですよ」と主張した本だと思うのだけれど、最終的に1996年の遭難がいかにして起きたか、という大きな絵は変わらないと思う。
実力不足のパーティーと、それを商売故に無理にでも世界の頂点へと引っ張り上げようとした二人のリーダーの悲劇、という構図しか見えてこないのだ。

「私はスポーツマンだ。できることなら達成したいと思う目標が、山にはいくつもある。なんらかの技術をもったすべての人々と同じように、私も自分の能力の限界に挑戦したいのだ。私個人の目標のために資金を調達するのに、ほかの道を見つけるのはもう遅すぎる。とはいえ、経験のない人々をこの世界につれてくるという仕事をするには、大きな条件がある。こう言うのは辛いが、私は「ガイド」と呼ばれるつもりはない。私は自分の役割をそれとは区別したい。他人から、その人の野心をとるか生命をとるかの恐ろしい選択をまかされなくてすむように。人は誰でも、自分で自分の生命の責任をもつべきだ。」

というアナトリさんが登山に関して特別ストイックな意見を持っているとは思わない。登山(特に8000mを越すような高所での)を行う上で自分で判断できないようなシチュエーションは存在すべきではないし、それはそもそも登山という行為の楽しみの半分以上を奪い去ってしまうものなのだ。

2006年06月27日

空へ~エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか - ジョン クラカワー


この手のドキュメンタリーにしては珍しく冷静な本。
若い頃はクライマーとして鳴らした著者が、雑誌記者になってクライミングから少し遠ざかった時期に取材として参加したエヴェレスト登山と、彼が参加した隊の悲劇がまとめられている。

1996年の5月初旬にアタックをかけた彼の隊を含む十数名は、好天に恵まれて頂上を掴んだ数時間後、突如猛吹雪となったネパール側の斜面で大規模な遭難の餌食となる。
隊を率いていた二人のリーダーは、頂上付近で行動に支障をきたした彼らの顧客を助けるためにベストを尽くすが、彼ら自身も猛吹雪の中で力尽きる。
8000mを越えた世界では冷静な判断など下しようがないし、一旦悪い条件が重なってしまえば人間の力などは微塵の力さえも発揮することができない。

ロマンチシズムを隠れ蓑にした、山男的なマッチョイズムを著者は易々と否定する。登山が魅力的であり得るのは、そこに「人のエゴ」があり、「危険を乗り越える楽しみ」があるからこそなのだ、と彼は言う。
登山という「主体的な行動」が大前提となるスポーツにおいて、意志決定も、危険個所の通過も、食事や飲み物の準備もほとんど全て他人任せになってしまう営利登山の危険性は、仮にもそれに参加する程までに知識を持った人間であればすぐにも分かりそうなものだ。そしてそれが世界でもっとも危険な場所となりうる8000mを越える高みであれば、尚更のことであろう。

所詮人は自分の能力の制約の中で動き回るのが一番合理的だし理に適っている。
能力の限界を試し、それを拡張していくための一定の努力は認められようが、それを無理矢理な方法で矯正するような真似は、時に高い代償となって返ってくることがあることをこの本は如実に示している。

2006年06月03日

アルプス登攀記 - エドワード・ウィンパー


イギリスのエドワード・ウィンパーが、1861年から1865年にかけて行ったアルプスの登山記録がまとめられた本。

科学主義がようやく一般にも浸透し始めていた時期で、「決して登ることができない山」「魔物が住む山」として現地のガイドにも恐れられていたマッターホルンへの彼の挑戦が主軸となっている。
現在の風光明媚な観光地というイメージとはかけ離れた当時のアルプス地方の雰囲気や、アルプスを横断する大トンネルの工事の模様、それに氷河が岩に及ぼす影響や、モレーン(堆石)がいかにして作られるかなどなど、イギリス人旅行者らしく雑多な知識を駆使してたくさんの興味深い意見を述べている。

結局ウィンパーは8度目の挑戦でようやくマッターホルンの頂上を極めることに成功するのだけれど、そこに行き着くまでの彼の執念深いとまで言える努力には驚かされる。
登山技術はもちろんのこと、ルート探索からよりよい交通の便を得るための峠越えや、優れたガイドとの出会いなどなど。
例によって、成功時の登攀自体は全く問題なくことが運ぶのだけれど、悲劇は下山の開始時に突然起きてしまうのだ・・・。

**

ウィンパーの登山家としての業績は素晴らしいし、アルプスの開拓者として永遠に名を残すのだろう。と同時に、彼が持っていた登山家としての精神もきちんと語り続けられるべきだろう。

「劇は終わった。幕が降りようとしている。読者と別れる前に、登山の重要な教訓について、ひとことだけ述べて置きたい。遙か遠くに高い山が見える。ずいぶん遠くである。「不可能だ」という言葉が、ひとりでに出るかもしれない。しかし登山家は言うだろう。「不可能なことはない。道は遠いだろう。登るのも難しいだろう。その上に危険かもしれない。だが可能なのだ。まず登路を捜してみよう。それから登山家仲間の意見を聞いてみよう。彼らが同じよな山に、どのようにして登ったかを聞き、どのようにして危険を避けたかを学ぼう。」そのようにして、彼は山へ登っていく(下界の人びとはまだ眠っている)。」

登山という行為の素晴らしいところは、登山に含まれるスポーツ及び文化的行動としてトータルな力量が試される点だと思う。「何かを達成する」という人間が長らくやってきた行為のほとんど全てが登山には含まれていると思うし、何かを達成するためには立ち止まって考えることも必要だし、がむしゃらに突き進むことも必要なのだ。
「そこに山があるから」という言葉はあまりにも有名だけれど、ここには「登山」という行為の持つ意味が全て含まれているのだと感じた。

2006年04月12日

垂直の記憶 - 山野井泰史


山野井さん自身の手によるクライミングの記録。
全てヒマラヤ山系に属する高峰で、アルパインスタイルによるスピーディーな登攀が描かれている。

彼がソロ・クライミングで感じる心の落ち着きや充実感の表現にとても強く共感する。何回かのパーティーでの登山も記憶されていてそれはそれで充実したものもあったようだけれど、「山を登る」という行為を一番シンプルな形で実践しよう、となると、大きなパーティーになるのは色んな意味で苦痛なのだろう。

例えば、彼が初めてチャレンジした8,000峰のブロードピークへは日本の登山隊の一員として行っているのだけれど、純粋に「山を楽しむ」、という行為が損なわれた点に関して、「それぞれ良い人ばかりだったが、隊員どおしのあまりにも複雑な心の動きばかりが気になる登山だったと思う」と書いている。

山に限らず、何事においても自分の主観によってあらゆる局面に対してアナログに接していくことにこそ、生きる楽しみがある。こと山に関して言えば、山野井さんという人はこの点を知り抜いている人だと思った。

2006年03月26日

凍 - 沢木耕太郎


図書館で予約したものの、待てど暮らせど順番にならないのでしびれを切らして本屋で立ち読みしてしまった。

クライマー山野井泰史さんと山野井妙子さんのギャチュンカン北壁の登攀を見事に描き出した本。登攀の描写と前後して彼ら二人のクライマーとしての自由奔放な生活にもページが割かれている。

以前読んだ「単独登攀者」で山野井さんの山にかける執念と、そのストイックな生活態度はよく分かっていたつもりなのだけれど、奥さんの妙子さんも合わせて、とにかく心の底から山が好きで、本当に強い人たちなのだな、と思った。
無理を承知でアタックをかけて、本当に体ひとつで8,000m級の山と対峙しながら集中してクライミングをやっている自分に感動する・・・というくだりは本当にスポーツ馬鹿なんだな、と心底思う。

自分もテニスやらサッカーやらで一糸の乱れもないような心境になって、それを心の底から楽しむことができるのだけど、クライミングでその境地に達したことはない。頼れる仲間がいて、楽しく登ることができるのは本当に素晴らしいのだけれど、ああいった陶酔しているかのような境地に至るにはもっと自分の持っている全てを投げ出して登らなければいけないのだろうなぁと思う。

「死のクレバス」で生還したJ.シンプソンにも通じるのだけれど、二人があの状況から帰ってくることができたのは、常に自分を信じて行動することができていたからだと思う。
その意味で、彼らは一般的な意味での「遭難」はしていないのだろうと思う。「甘え」は「無駄」を生むし、「自信」をなくしたら人は遭難してしまうのだ。

2005年11月12日

ソロ - 単独登攀者 山野井泰史 - 丸山直樹


ちょっと饒舌すぎる感があるけれど、山野井泰史さんの98年までの足取りがよくまとまっている。

子供の頃から「山に登って生きる」ことを実践してきた山野井さんは、あくまでシンプルにその生き方を続けている。
彼の山に対する(特にソロに対しての)こだわりを解き明かそうとすることに多くの言葉がつづられているのだけれど、色々語った割にうなずける意見がなかったのが残念。

アルパインクライミングとエクストリームクライミング(極地法)の違いや、厳しい環境でのクライミングがいかに大変なものかが少しずつ分かってきた気がする。
日本では「海外登山に遠征」なんていうと未だに大げさなキャンプを張った「遠征」を想像しがちだけれど、世界の先鋭なクライマー達の関心はもはやそこにはないのだなぁ、と思った。

それにしても、ソロでクライミングするのは信じられないほどの恐怖に違いない。その恐怖との闘いは「自分との闘い」であると同時に「自分の立場との闘い」もある。
前者は何をやっても超えねばならないものだけれど、後者はシンプルに人生を生きることでミニマムに絞ることができる。
だから、ソロという形はその人しだいでいくらでもその意味付けが異なってくるものだろう。

2005年08月25日

死のクレバス - ジョー・シンプソン


映画"Touching the Void"の原作のノンフィクション。

映画では触れられていなかった2人の細やかな感情や、シウラ・グランデの登りの苦労と恐ろしい稜線沿いの下りの描写。
所々に現れる精神描写は非常に優れている。
これはジョー・シンプソン本人はエジンバラ大学の卒業生であることによるのかもしれない。

もちろん映画のほうが臨場感が溢れているため、この手の物語を語る点では利点が多い。だが、本人が紡いだ言葉を通して語られる経験は、他の何よりも説得力があるのも確かなのだと思った。

2004年10月13日

風雪のビヴァーク - 松濤明


素晴らしい文章力。
そしてなんといっても輝かしい山行の数々。

淡々と山に向かっていく記録と、山への正直な気持ちを吐露した文章、それに命の灯火が消える瞬間の記録。
著者の人柄に素直に惹かれてしまった。

なんといえばよいのか分からないけど、とにかくこの本は素晴らしい。
最期の瞬間の手記ももちろん強烈なインパクトを持っているのだけど、それ以前の記録として残っている文章があまりに素晴らしい。

「バッキャロー」と若く威勢のよい声をあげたり、普通に考えたらどう考えても命を捨てているとしか思えないようなルートをビバークのみで踏破していく著者。

山岳部の先輩が一番影響を受けた本だ、というので読んでみたのだけれど、これは自分も相当影響を受けてしまいそうな気がする本だと思った。