« 2007年04月 | メイン | 2007年06月 »

2007年05月16日

喪男(モダン)の哲学史 - 本田透


「恋愛至上主義に毒された現代人がいかに救われるべきか、そしてどうしてこんなことになっちゃっているのか」をモテ・非モテという分かりやすい対立軸を利用して熱く語った本。

はっきり言って、これ以上分かりやすくて優れた哲学入門はないだろう。よくある「哲学入門」やら「はじめての哲学」、そして断片的に有名な哲学者(プラトン、アリストテレス、デカルト、ニーチェ・・・)の本をかじるよりも、この本を読んでいかに哲学という活動が無駄に沢山の人を迷わせてきたかを肝に銘じておくほうがよほどタメになる。哲学がいかに回りくどい形で紆余曲折を経て無力化してきたかを知った上で、それでもに救いを求めたい人は勝手に求めればよいのだ。

とにかく「これでもかっ」とばかりにオタク受けするキーワードが散りばめられており、丁寧かつ笑える脚注を拾っていけばそっち方面の素養のない人でも理解できる。そして素養のある人であれば、より深くこの本を楽しめる。そっち方面に免疫のない人にはおすすめできないが、一度でも哲学・宗教・心理学に興味を持って自分で学ぶ努力をした人であれば笑いあり・感動ありの充実した読書になること請け合いである。

非モテ属性のついた人間を"喪男(モダン)"(または喪女)と定義することから始まり、歴史に名を残した哲学者(及び一部の宗教者、科学者)がいかに"喪男"であったかを明らかにしながら、彼らの苦しみと彼らが生み出した(そして増幅・改悪された)哲学・宗教がいかに世間に影響を与えてきてしまったかを歴史の順番どおりに説明しているのだけれど、人類を代表する喪男達が数千年もかけて育んできた"哲学"を一冊で説明しよう・・・という試みは伊達ではなく、情報密度はめちゃめちゃ濃いので覚悟して読む必要はあるだろう。最近は読書フィーバーなので週に3,4冊のペースで読んでいたが、この本はこれだけに集中して3日かかった。

もちろん、ハマる人であればはじめの数ページを読むだけで背中にエレクトリック・サンダーボルトが走り、その瞬間から読み終えるまで本が手放せなくなる羽目になるので、何の心配もいらないのかもしれない。

2007年05月14日

おいしい日本語 - 金川欣二


言語学者・金川欣二さんによる、言語学に関する様々なネタが詰まった本。

もともと金川欣二さん自身のウェブページで公開していたものを本としてまとめたもののようだ。実は、この本に興味を持ったのも「ウェブで面白いこと書いてる人がいるなぁ」「おや、本を出しているらしい」「じゃあ、ひとつ読んでみようかね」という流れ。

「そもそも言語ってのはそんなもんなんだよ~」というメッセージが軽妙なオヤジギャグと一緒に伝わってきて、なかなか心地よい。非常に多岐にわたる分野に対するツッコミや言及があって、雑学的知識とそれを統合していく意識の流れのようなものが感じられる本だった。

もともとウェブの記事だったからか何なのか、やたらと誤字・脱字が多いのが少し気になった。

宗教を現代に問う - 毎日新聞特別報道部


1970年代に毎日新聞に連載されていた記事をまとめた本。
三冊組で角川文庫から出ているが、どうやら絶版らしい。

新聞の記事らしく、「現代における宗教」をできるだけ生の姿で捉えようという強い意志が現れていて、非常に読み応えのある本(というか「記事」)。前後の繋がりがそこまでなくても読めるので、約半年の間就寝前読書の定番として枕元に置かれることになった。

これを読んで宗教が分かる、といった本ではないけれど(そもそもそんな本は存在しない)、実際に宗教が行われている現場に近づいていって、できるだけ詳しく、できるだけ客観的に「宗教」の姿を捉えようとしている姿勢には共感できる。現実にそこで実践されている「宗教」のありのままの姿を見ていくことで、「現代の宗教」の輪郭がおぼろげながらも浮かんでくるのだ。

もともと読み始めようと思ったのは、山本祐司さんの「毎日新聞社会部」なる記事の中で触れられていたから。山本祐司さんの本は「最高裁物語」も読んだけれど、ジャーナリズムというものに常に情熱を持って接していた人だなぁ、と感心させられた。

2007年05月11日

つっこみ力 - パオロ・マッツァリーノ


「反社会学講座」、「反社会学の不埒な研究報告」に続き、相変わらず毒舌冴え渡るパオロ・マッツァリーノさんの本。

この人の本のよいところは、毒をまき散らしているのにも関わらず、絶妙なギャグのセンスで薔薇の香りを残していくところ。題名の「つっこみ力」(なぜ平仮名なのかは、本文を読んでみるべし)とは、世間一般に言う「メディア・リテラシー」というやつで、それをマッツァリーノさん風に緩く、優しく、楽しく、味付けしたものだ。

要するに、メディアに騙されたりするのは情けないけれど、それをお高いところから一方的に言うのではなくて、もう少し興味を持ってもらえるように楽しく言いましょうヨ、というのが主旨。「反社会学講座」などでも実践していたデータを活用したトリックやら、面白おかしい小話が随所に散りばめられているのであっという間に読めてしまう。
「ツッコミ=愛」とまで言い切ってしまっているところに、この本の真の力強さがあるように思う。

よくよく考えてみると、自分も会社のメールを書くときに、自分の意見に自信がない場合はよく「ツッコミ等ありましたらお願いします」なんて書いている。固い言葉で言えば「ご指摘」とか「ご意見」とかなのだろうけれど、どうせエンターテイメントやってる会社なので堅苦しいばっかりじゃつまんないよね、という意識がある。
もちろん、誰かがおかしなことをやっていたら自分も意識的に「ツッコミ」をやるようにしているし、堅苦しくなりがちなメールのやりとりに楽しさを醸し出すには面白おかしげな何かを少しでもトッピングしてあげることが重要なんじゃないかと思った。

2007年05月04日

路上のエスノグラフィ―ちんどん屋からグラフィティまで - 吉見 俊哉(編), 北田 暁大(編)


ストリート・ミュージックやパフォーマー、チンドン屋、サウンドデモ、そしてグラフィティをアカデミックな視点から調査・分析した本。東京大学の学生の調査研究がベースになっている。

現代における都会の「路上」とは、生活の一部であると同時に現実世界との繋がりの場所でもあり、実に不思議な場所であるように思われる。過度に管理された都市空間はパフォーマーにとって居心地の悪い空間となり、その無機的かつ匿名的をうち消すかのようにして、上記のようなパフォーマー達が活躍する。

個人的に、チンドン屋にはとても興味がある。子どもの頃はよくパチンコ屋さんの新装開店でチンドン屋さんが街を練り歩くのに出会ったことを思い出す。子どもながら、あの異様な格好をして賑やかな音楽を奏でる人たちは、街の中に部分的に非日常的な空間を生んでいたことに驚かされていたのだろう。
最近は渋谷のHMV周辺で若者三人組のチンドン屋さんに出会ったのだけれど、思わず嬉しくなってついていこうかと思ってしまった。最近の若者達がチンドン屋さんとして活動していることや、戦前から活躍していたチンドン屋さんの親方のインタビューは実に興味深いものであった。

最後に調査されているグラフィティとは、町中でたまに見かける落書きのようなもののことを言うらしい。ヒップホップカルチャーに影響を受けている、とか、グラフィティにも色々と種類があることは初めて知った。法律的に許されていない行為になろうとも、自分の美的センスだったりコミュニケーションだったりためにグラフィティを描く彼らは、都会という空間の中での自己を再認識するための演出道具としてグラフィティをやっているように感じられた。