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2007年04月27日

自転車依存症 - 白鳥和也


「自転車が好き」な人たちの「ビョーキ」について面白おかしく書かれた本。自転車にどっぷり浸かっている人の中には、オタクよりもう少し健全だけどマニアで凝り性な人たちがたっぷりいるらしい。

- 鉄道
- カメラ
- オーディオ(及び音楽全般)
- (やたらと手のかかる)車

・・・などなど、自転車を愛する人たちに見られる共通項目は多岐に渡る。どれも、アナログで感覚的な部分を多分に含んでいて、蘊蓄や経験がモノを言う世界であることが分かる。
デジタル全盛期のご時世だからこそ、アナログ人間の結束はより強固なモノになっていくのかもしれない。

著者自身もそうである、と認める「出力過剰症候群」は間違いなく自分も患者のうちのひとつであるように思える。何をやるにも「トゥーマッチ」なやり方を好み、それを楽しんでしまう人間なのだ。

輪行して2,3日くらいノンビリとして自転車旅行がしたいなぁ・・・と強く感じる。手持ちのロードレーサーは輪行すると傷が付くのがイヤなので、比較的タフだけどしっかり走れる自転車があると面白いのかも知れない。

2007年04月24日

翻訳語成立事情 - 柳父章


一般論として、優れた本には深い洞察がいくつも含まれていて、読んでいて色んなことを考えさせられる。
この本はまさにそういった本のうちのひとつで、海外からの強い文化的影響を受け続けてきた日本の現代語が、近代になって出会った西洋文明から、いかに多くのを影響を受けてきたかを「翻訳」という視点から見事に切り取っている。

実に、言語とはひとつの宇宙でありシステムであるように思う。
ひとつの宇宙の中において、言葉とはその宇宙をを切り取って表現する鏡であり、システムのルール自身でさえある。と同時に、言葉とはあくまで移ろいゆくものであって、シニフィアンとシニフィアが常に一対一の関係を持っているわけでもないし、一度繋がったその関係が未来永劫保証されるわけでもない。

元々、翻訳という作業は救いようのない不完全性を持っている。
ひとつのシステムの中でさえ一定でない記号を全く異なるシステムの中に移植する、という作業がいかに絶望的なものであるか、ということはすこし考えれば分かる。
さらに、厄介な問題として「言葉は増殖する」ということが言える。
一度システムの中に現れた「言葉」は、その瞬間からシステムに取り込まれ、拡大や縮小を繰り返しながらある一定のポジションを占めるに至る。

「日本」というシステムが「西欧文明」という全く異なったシステムに出会ったときに、先人達がどういう風に考え、行動し、議論し、現代使われているような翻訳語に辿り着いたかは、とても興味深いものであった。

2007年04月19日

デイヴィッド・コパフィールド - チャールズ ディケンズ (石塚 裕子(訳))


有名な本だし、一回は読んでおこうと思って読んだら、期待通り面白かった。

生まれる前に父に死なれ、母が再婚した相手にイビられながら苦労して育ったデイヴィッド少年の成長が描かれた本。19世紀のロンドンの描写は、例によってディケンズ的に暗くてジメジメしているのだが、登場人物が実に生き生きとしていて物語のよいスパイスになっている。

恵まれない環境からデイヴィッド少年が次々と成功を掴んでいく過程は、どこかスマイルズの「西国立志編」を思わせる。速記記者から小説家、という職業の変移は極めて近代的な空気感じさせるし、実際にディケンズという作家は時代の雰囲気を先駆けて書く能力を持っていたのかも知れない。

村上春樹の小説は、コパフィールド的一人称の語り口にどこか似ていると思ったのだけれど、よくよく考えたらこの手法は他の沢山の小説にも見られるし、それだけディケンズが与えた影響は大きなものだったのだろう。

2007年04月13日

人はなぜ老いるのか - レオナード・ヘイフリック


「老いる」ということに関して、生物学的、医学的側面から詳細な意見が述べられた本。とても分かりやすく書かれているが、議論が詳細でボリューム感があるので一気に読むのはなかなかしんどかった(図書館で借りて3回延長したので、約2ヶ月近くかけて読んだことになる)。

老化とはそもそも何なのか、極限寿命、老化の縦断試験、そして「細胞は不死である」といった誤った観察に対する反証など、著者が関わってきた研究や、歴史上多くの人たちが試みてきた不死の技などがたくさん紹介されている。

科学というものは、何かを解明したり新しい可能性を提示することができるのと同時に、倫理的なものに対する脆弱性も持っているように思う。こと「老化」という問題に関して言えば、一般的な「科学的研究態度」で臨んでいけば済む、というものではない、というところに色々な難しさがあるように感じた。

Time flies like an arrow, fruit flies like a banana.