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2006年02月27日

新教養主義宣言 - 山形浩生


やれやれ、山形浩生か・・・。
久しぶりに何の脈略もない本が読みたくなって手に取ったら、久しぶりに全然関係ない情報に沢山リンクが張ってあってびっくりした。
人生とは偶然性と連続性の連関であることがまた照明されたわけだ。

よくよく考えると山形浩生本人の文章を読んだのはこれが初めてかもしれない。コモンズだとか、伽藍とバザールなんかは読んだ覚えがあるけれど、不思議と彼本人に対して興味を抱くことはなかった。
まぁ、あの独特の語り口と、異様なまでの自信のありっぷりに引いてたってのが本音なのかもしない。
あぁそうだ、比較的最近読んだ「自由は進化する」も確か彼の翻訳だった。

それにしても、きちんと彼のことを調べてみるとやはりそれなりに面白い人だ。今の日本で世界をしっかり見て、それなりにまともなことをゴチャゴチャ言ってて、しかもそれなりに世間の評価を受けている人間、というのはあまり多くはない。

彼があっちこっちで発表したりした適当な雑文が漠然と並べられているこの本だけど、旅に関することとか岡崎京子に関することとか、ちょっとグっとこさせてくれるものもあれば、馬鹿馬鹿しいけど考えてみると楽しい文章まで色々揃っていて楽しませてくれる。
プロジェクト・杉田玄白の設立における青空文庫批判もとてもまっとうなものだし(事実、青空文庫が「狭い」という感触はみんな持ってるでしょ?)、知識の絶対的な量でいったら彼に勝てるのは立花隆くらいのもんじゃないだろうか?まぁ、そんなことどうでもいいけど。

とにかく、久しぶりに色々やんなきゃだなぁ(もう結構限界きてますけど)、とインスパイアしてくれた本だったので長々しくゴチャゴチャと書いてみた。やっぱ人間やってもやってももっとやるべきな運命にあるものなのね・・・。

2006年02月25日

芸十夜 - 板東三津五郎・武智鉄二


どこだったか、歌舞伎に関してかなり切れ味鋭い評価を載せているウェブサイトで紹介されていたので入手した本。

某・歌舞伎の大先生に「小学生が大学院生の本を読むようなもの」という言葉をいただくほどに中身の濃い本なのだけど、基本的には対談録なのでよく分からなくても読み進められるのが幸い。
日本の伝統芸に体当たりしてきた人たちなので、そこかしこに芸術の本質を語った言葉が散りばめられていている。

対談を通して語られていることの7%も理解できるか分からないのだけれど、少なくとも日本人の芸術がどういったものであるかがほんのすこしだけ分かったような気がした。
陳腐でありきたり表現かも知れないけれど、「芸なんてよくわからないから、とにかく体当たりしてそれを何年もかけて、何回も代を重ねていくことによって洗練されていく」のが日本の芸なのだな、と思った。

とにかくアナログな知恵の宝庫のようなものが「芸」なのだな、というのがこの本を読んでの僕の感想だ。

2006年02月22日

クリシュナムルティの日記 - クリシュナムルティ


もっとも美しい思想は、人がもっとも自然で、調和の取れた状態から生まれる・・・。
インドの思想家(宗教家?)のクリシュナムルティが晩年に綴った日記は、シンプルな言葉で恐ろしいほどまでに多様な事柄を描こうとしている。

ほんのちょっとした日常や自然の描写から、自我ということや自然ということ、そして人が生きるということまで・・・本当に沢山のことについて触れられていて、どの意見にも彼のオリジナリティーが現れている。
きっと、ブッダやキリストなど、他人を完全に許すようなことができた人はこんなような境地に辿り着いた人なのかなぁ・・・なんて考えさせられた。

2006年02月19日

論理哲学論考 - ヴィトゲンシュタイン


最近未読の新しい本がないので、昔買って積ん読になってた本を掘り返している。

一番初めに手にしたときは全然読み進める気がしなかった論理哲学論考も、少し諦めた心境で読むとなんとなく頭に入ってくるのでスラスラと読めた。全体的な主張は頭を通過したが、もちろんヴィトゲンシュタインが言いたかったことの10%も理解できていないのに違いない・・・。

いずれにせよ、「そもそも哲学とは何ぞや?」とか、ひたすら「論理」というものにこだわったこの本は全体を通して強烈なメッセージを放っているように感じられた。
この本の結論を簡単に言ってしまうと、要は世界を語りうるには世界を有限として認識することが出来る論理が必要で、もし我々がそんなような論理を使って世界を語っているとするならば全ては自明である、ということに尽きる。「可能性」とかそういったものはなくって、ただひたすら「状況」だとか「状態」だとかが存在するのみである・・・と。

ちょっと高飛車に感じられてしまうような主張だけれど、哲学がはまり込んでいる迷路に冷や水を浴びせるようなヴィトゲンシュタインの主張はとてもサッパリしていて気持ちがよいと思った。

2006年02月02日

ジプシー・ミュージックの真実 - 関口義人


中身の詰まった本。
イスラム教徒の侵入を受け、居場所のなくなったインドを離れて10世紀の間ヨーロッパ世界中に散らばって生活しているジプシーの姿を素晴らしくよく描き出している。

この本の試みが成功しているひとつの大きな理由は、やはり「音楽」というジプシーにとって切り離すことのできないものを通して彼らの取材を行っていることだろう。たどり着いた先の土地に住み着くか、放浪生活を通じて自分のたちの生業を続けていく、彼らの多難ながらもアナログな喜びに溢れた生き様が文章に溶け込んで強く訴えかけてくるように感じられた。

P.92で著者がロマに興味を持ったきっかけが書いてある。10代でアメリカに渡ってジャズ・メンとして身を起こそうとして経験した苦労は、すなわちある特定の世界における差別と閉鎖性の強い認識であり、それを通じて著者はロマに「深い共鳴感」を抱いた・・・とあるのはとても理解できる。

住んでいた場所を追われて放浪する民族、といえばイスラエル建国前のユダヤ人がそれだが、ユダヤ人とジプシーの大きな違いはその民族としてのアイデンティティーの拠り所を何に求めたか、ということだと思う。
ユダヤ人は「律法」にそれを求めたし、ジプシー達はもっと日常的で観念的、そしてインド的な「穢れ(=タブー)」にそれを求めた。
ジプシー達が刹那的人生を生きたのに対して、ユダヤ人達は「大いなる律法を守る民」という意味づけを背負って生きたのが現在の彼らの運命を分けた分水嶺なのではないか、と思う。

P.109あたりの「正義」に関する言及も非常に鋭い。世界には人と、人のグループの数だけ「立場」があるわけで、その混沌の中で叫ぶ「正義」の掛け声の無意味さは改めて捉えられるべきものなのだ。

そして何よりも素晴らしい偶然が、ちょうど先週エミール・クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」を見たばかりであった、ということだろう。
この映画は映像も音楽も、ぶっ飛んだ筋書きも最高に気に入ったのだけれど、主な登場人物の一人「ブランキー」の傍らに常についてまわるブラスバンドの存在がとてもとても気になっていて、それが90年代に活躍した代表的なロマ・ブラス、スロボダン・サリエビッチとボバン・マルコビッチだった・・・ということで妙に納得した。物悲しいトーンや陽気なトーンをうまく使って、音楽が物語をリードする映画なのだ。