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2006年01月28日

中立国の戦い - 飯山 幸伸


中立国の「戦い」の歴史。
現代においても代表的な中立国であるスイスやスウェーデンがどのような経緯で中立を宣言し、それが2度の世界大戦をどのようにくぐり抜けてきたかが綴られている。

ドイツ、オーストリア、イタリア、そしてフランスに囲まれたヨーロッパの大動脈スイス。彼らの中立の歴史が13世紀のハプスブルグ家やブルボン家との対立の狭間にいたことによるものであったことを初めて知った。
ナチス・ドイツとの直接的な交戦はなかったものの、極めて危ない橋を渡りながら中立を続けたスイスの苦労は途方もないものであったに違いない。

これはスウェーデンに関しても同じで、様々な事情により完全な中立体制を崩さねばならなくなってしまった同国が、第2次大戦後に有力な軍事産業を生み出すことに成功したのは必然とも言えるのであろう。SAAB社が実はドイツ人の手によって作られた会社であったことを初めて知った。

これら以外の中立国に関しても多少触れられているが、「中立国」という存在が国際関係の中でいかに難しいものか、ということがとてもよく分かった。

こういった感覚で現代の日本を見ると、あまりにも無邪気に「戦争を放棄」と言ってしまっているように感じる。別に「軍備に努めよ」とか言うつもりはないけれど、国際関係というものが歴史的に戦争と経済のパワーバランスで成り立ってきたことをきちんと認識した上できちんとした国策・外交に努めるべきであろう、と強く思った。

2006年01月26日

Rum Diary - Hunter S. Thompson

2006年01月18日

脳のなかの幽霊、ふたたび - V・S・ラマチャンドラン


「脳のなかの幽霊」のラマチャンドランさんの本。
優秀な科学者が一般人向けにスピーチを行うリース公演で話した内容を本にしたものなので、全体的に内容は薄い。

ただ、駆け足で新しくて面白いトピックに触れているので、「脳のなかの幽霊」に比べてどんな新しいことが起きているのか、ということが分かるし、ポイントもつかみやすい。
個人的には、つい最近読んだ「脳は進化する」と内容がダブりすぎていたおかげであっという間に終わってしまった不完全燃焼な読書体験だったけれど・・・。

ラマチャンドランさんが言っているのは、つまりクオリアが生起する現象それ自体が「自己」であり「意識」の核なのではないか?・・・みたいなことだと思う。
他にも、ラマチャンドランさんらしい独創性溢れる脳の働きが紹介されているので、他の本を同じような事が書いてあっても飽きずに読める。

“「笑い」は「恐れ」の打ち消し効果として発達した”なんて意見はすごい面白い。「共感覚」に関する部分もとても興味深い。
これから脳医学が明らかにしていくであろう人間の脳の働きと意識への繋がりに少しずつキメを打ちつつある時代が来ているのだな、ということを強く感じた。

2006年01月17日

陶淵明全集 - 陶淵明


東晋・宋に生きた詩人、陶淵明の全作品を収録した文庫本。
川島雄三監督が好きだった、という雑詩(下巻に収録)に興味があったので、当時の中国人気風と漢詩に慣れたくて一通り読んでみた。

陶淵明はちょっとした苦労人で、彼の詩にはいつも「酒がない」だとかそんな残念な感慨に満ちているのだけれど、「一発何かやってやる」みたいな張り切りがなくって、ただ「心地よく生きよう」みたいに諦めているところがあるのがとてもすがすがしい。
中国人らしくなく(と言っては失礼だけれど)とても人間的な人で、我が子を思う心や自然を愛する心がとてもダイレクトに伝わってくる。

20代後半から官史として仕えるものの、縁故のない淵明にはろくな仕事がまわってこない。とはいえ、仕事がなければ生活がなりたたないので、そのままフラフラと仕官生活と隠遁生活を積み重ねた挙げ句の41歳、ついに彼は決心して故郷の田舎で自由気ままな生活を始めることを決意するのだ。

庶民の発見 - 宮本常一


貧しいながらも多くのものに囲まれて生活していた日本の「田舎の」民に関する本。

嫁・婿のシステムや、一家が生き残っていくための知恵、出稼ぎや村の政治、教育や伝承まで、今でも多くの日本人に見られる行動体系に直結した昔の生活が描かれている。

「かつて西日本の念仏宗のおこなわれている村々では、夕飯がすむと木魚をたたいて念仏申す声が家々からながれでていたものである。それが一つのリズムをつくって、ある平和を思わせた。・・・・。ところが、いまはどの家からもラジオの声がながれでている。そして、それはどの家もどの家もみんな同じものなのである。家々がうみだす声ではなく、中央からの単一の声である。」

「農民たちは、それぞれの与えられた環境の中で生き、それをあたりまえと思い、大きい疑問ももたなかった。しかし周囲との比較がおこってくると、疑問もわき、また自分たちの生活がこのままでよいかどうかの検討もおこってくると、疑問もわき、また自分たちの生活がこのままでよいかどうかの検討もおこってくる。そうした場合に大切なのは、まず自分たちの力を正しく知ることであった。それには、比較と実験に待つことが、まず大切大切であった。旅が尊ばれたのもそのためであり、経験の尊ばれたのもそのためである。」

「村の中のすぐれた知識をもっていた者が、その知恵を発揮したために、かえって将来をおそれられて殺されたという話は、かつてよくきいたところであった。」

**

日本人の土地へのこだわり(=土への愛情)は、農民的な感情が強いのかなぁ、と思った。我々はエンジニア的姿勢で土と接してきた農民の子孫なのだ。

2006年01月15日

なめくじ艦隊 - 古今亭志ん生


志ん生の半生記。
とにかく「貧乏も楽しい」の一言につきる。
昔の芸人の生活やメンタリティーがとてもよく出ているし、志ん生が頑張って来れたのはまず「生活」があって、それから「人の情け」があったからなのだなぁ、としみじみと納得してしまった。

家賃が「タダ」の貧乏長屋での生活や東京大空襲の真っ最中にビールを飲んでいた話、そして満州での苦労・・・、この人の人生ほどネタに彩られた人生も珍しい。

「人間なんてものは、当たりまえのことで嬉しいなんてことはあるもんじゃなくて、当たりまえでないことがうれしいんですよ。」

「しかし、もともと落語てえものは、おもしろいというものじゃなくて、粋なもの、おつなものなんですよ。
それが今では、落語てえものは、おもしろいもの、おかしいものということを人々がみんな頭においているんですが、元来そんなものじゃないんですナ」

「古い噺てえものは、何べんきいても味があるけれど、そういう噺って、何万という噺の中から残った、本当の名作ばかり一つか二つかです。だから、そういう噺には捨てがたい味がある。」

「むかしのいくさというものは半分は、その国の城主のいろいろな道楽でやったもんらしいですね。いくさに行くんだから、すがたなんぞどうだってよさそうなもんなのに、金の鎌形のカブトでもって、ひおどしのヨロイで、きれいなようすを見せる。そうするもんだから、向うも負けてはいない。サァ、おれの格好をみてくれというわけで、相手に負けないようないでたちでいくさに出かけるんですね。」

2006年01月14日

進化しすぎた脳 - 池谷祐二


よい本。

読んでいるそばからノートを取ろうとしすぎて、結局諦めた。
「大脳生理学」の研究者で、「海馬」などでも有名な池谷さんがニューヨークの日本人高校生に講義をして、一緒に考えていった内容が収められた本。

面白いと思ったポイントをまとめると、

- 身体性が脳の限界を決めている
- 咽頭が「心」を作った (言葉の発生)
- 脳のなかで特定の情報がクオリア(覚醒感覚)を経て言葉に生まれ変わる作用と、身体的な反応を起こす経路は異なる
- 人の「意識」はたくさんの無意識の働きによって成立している
- 「記憶」するために、脳では「汎化」が行われる
- 「あいまい」な記憶の仕組みは神経の構造やシナプスの仕組みに因っている
- 脳は、極めてシンプルな神経の仕組みによって構築されることによって汎用な機能性を提供している

**

「現在人間や他の動物が「視覚」を通して構築している世界、というものは、偶然(かほんの少しの必然で)特定周波数の電磁波に反応する「目」という機関が発生したことによるものである」みたいな認識は、日高 敏隆さんの「動物と人間の世界認識」で出会っていたのでそんなに驚かないで済んだ。
それでも、やはりこういう考え方はとても斬新で思考方法の転換を与えてくれる。

他にも面白いなぁ、と思ったことをメモ。

- 外から入った情報が「言葉」として認識されるには0.5秒かかる
- 網膜のセンサー数や約100万個
- 網膜で色を関知する細胞ははじっこのほうにはほとんどない
- 扁桃体は恐怖を関知することで、生物の「本性」にブレーキをかけている

脳に関する興味深い本は数あれど、簡単な言葉とわかりやすい説明で脳の一番面白いところを解説してくれるこの本はとても貴重だと思った。

2006年01月13日

われわれ自身のなかのヒトラー - ピカート


ナチスの台頭を許した近代ドイツで何が起きていたのか、という観察を通じて、連関性を失った近代の人間像に迫った良書。
自分が考えていたことと共通点も多く、とても印象的な読書体験だった。

内容としては、連関性の失った人間、「ロゴスの喪失」、そして連関性のない世界での秩序(もしくは真空)に関する詳細な著者の視点を提供した上で、ナチスというシステムがいかにして連関性を失った世界で台頭したかが書かれている。
前半部分で著者の主張はほとんど展開されてしまうので、後半部分は冗長的な感じがした。

著者はナチの外貌を評してこんな言葉を紡いでいる。

“巨大な空無の堆積から何事かを吠えるような声が聞こえてくるー押し出されたような叫び声が発せられてはいるのだが、それが命令をくだす者の叫び声なのか、或いは圧迫に耐えかねて悲鳴をあげる被命令者の叫び声なのか定かでない、ーーまた腕が振り上げられるのだが、それが人を殺すために振り上げられた加害者の腕なのか、或いは抵抗しようとして振り上げられた被害者の腕なのか定かでなく、絞首人の腕か或いは被絞首人の腕か見分けがつかない、ーーさて、それから一瞬間静かになる、しかし、以前の叫び声がどこから発せられたのか確かでなかったのと同じく、この静けさもどこから生じたものなのか確かでない。いや、叫声を発し、そしておのが叫声を呑み込むときに一瞬の静寂を生ずるところのものの正体は、実は空無自体なのだ。が、やがてふたたび、この空無から一つの叫び声が恐ろしい勢で押しだされてくる。それは叫び声としか言いようのないものである。そしてこの叫び声が空無自体なのだ。”

また、人間存在、またはその相互関係に意味を与えるものとしての「愛」についてはこんなことを書いている。

”人間のもろもろの体験が時の経過とともに次第に遠方へと押しやられるだけではなく、次第にその意味を失ってゆくこと、このことは、経過し消滅してゆく時間の有する性格の一つである。そのために人間はもはや自己の体験に対して、当然払うべきはずの関心を寄せえなくなる危険にさらされる。自己の体験に至当な関心を抱き続けるためには、「愛」が必要なのだ。
真の内的連続性を創造するものは、この「愛」である。ひとりの人間の過去をーーひとりの人間が体験したすべてのものをーー内的統一へと結晶せしめるのは、まさにこの「愛」である。人間が過ぎ去ったものに愛情を寄せることにより、つまり彼が過去のものを愛情をもっと受け容れることによって、彼はそれを一つの秩序のなかへ、とりもなおさず一つの連続性のなかへと置くのだ。そして神が「連続」であるだけではなく、また「永遠」であるのは、神があらゆる事物や人間を最大の愛において抱擁している正にそのためなのである。”

少しキリスト教的な香りのする文章だけど、「愛」と「永遠」ということについて、素晴らしくうまい点をついていると思う。

2006年01月08日

職人力 - 小関智弘


「職人学」の小関智弘さんの本。

「職人学」に続いて印象深いエピソードが並んでいるが、少しゴチャゴチャ並んでいる感があるのが残念。立花隆のサイエンス・ナウみたいなノリに近い。
それでも読み進んでいって「うむぅ、その通りだよなぁ」と納得してしまう文章にたくさん出会えた。

「稼ぎ」と「仕事」。「会社」と「仕事」。
「逃げ仕事」の弊害。
「失敗が成果物を形作る」、ということ。

ちょうど、LOGOSで色々と考えている最中だったので、「稼ぎ」と「仕事」に関して面白い文章が書けるかも知れない。

2006年01月07日

花に嵐の映画もあるぞ - 川島雄三


川島雄三の言葉や、映画のシナリオを集めた本を拾い読み。

- 生まれ故郷のむつ市は、近畿地方との船での交流が盛んで、商人気質も上方の影響を受けている
- 監督になれたのは戦争による偶然
- 「しとやかな獣」での新機軸が理解されなかったのは辛い

大まかに言って、川島雄三という人が世間一般(ウェブが主だけど)に理解されているほど遊び人というイメージの人間ではないように感じられた。もちろん、マジメな断片だけを切り取った本なのだから、当たり前といえば当たり前だけれど・・・。

2006年01月03日

民俗学の旅 - 宮本常一


日本中の村々を伝書鳩のように渡り飛んだ宮本常一さんの自伝的な文章。

「忘れられた日本人」を読んだときの強烈な印象がまだ残っている。
山口県の大島の貧農に生まれ、50を過ぎるまで定職にはつかずに旅をしつづけた人は、こんな人だったのだなぁ、と合点がいった。

まず、大島の中でも宮本さんが生まれた大字西方は、みなが一様に貧しい村で、祖父も父も非常に優れた特質を持っていたにも関わらず、死ぬまで寒村の貧農として生きた人たちであったらしい。
祖父は寡黙ながらも歌が上手で剣道も強くて生真面目な人で、父はフィジーに出稼ぎにいって失敗するものの、様々な見聞を身につけた人だったりして、そういう人からの強い影響を受けて宮本さんは育ったようだ。

「火事を起こしたら紋付で公の席にでられない」なんて話は、とてもリアリティーがあった。
渋沢敬三さんについては、宮本常一さんの文章によく出てきたのだけれど、この本を読んではじめてとんでもない人であることが分かった。

それにしても、明治、大正時代から生きてきた人は、みな「よさ」を求めるために骨を折った人が多い。国の「よさ」であったり社会の「よさ」であったりするけれど、現在みたいに混乱した価値基準がなかった時代だから、志を持った人が手を動かしやすい時代だったのではないだろうか、と思った。

死ぬまで「一介の百姓」を貫き通した宮本さんには、心底尊敬の念を感じる。この「ひたむきな真面目さ」こそが日本人の美徳なのかもしれない。

放浪旅読本 - 種村季弘


宮本常一さんの「海ゆかば」という話が読みたくて、借りてみた。
「海ゆかば」自体はあっけないほど短くてがっかりだったのだけれど、それ以外に沢山収められている物語に面白いのがちょこちょこあったので結果オーライ。

よかったなぁ~と思ったのは、

「夕焼けと山師」辻まこと
「たのしいドサまわり」駒田信二
「陽は西へ」色川武大
「百人斬りの守神健次」森川哲郎
「チベット滞在記」多田等観

あたり。
とりあえず書き出しで面白そうなものだけを拾い読みしたので、他にも面白いのがあったのかもしれない・・・。

どれも、自由奔放に生きた日本人の姿が色濃く描かれているのがとても印象的な話だった。

2006年01月02日

パパラギ - はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 - ツイアビ


魂の本。
文明社会に生きる人間の発想力を越えた意見が沢山提示されている。
ヨーロッパを見たサモアの酋長ツイアビの洞察力と本質を見抜く能力は本当に素晴らしい。

2006年01月01日

白痴 - ドストエフスキー


「完全に善良な人間」を描こう、という意思によって綴られた小説。
物語のはじめのほうに提示された悲劇の予兆は、幾筋もの支流を経て、やがて途方もなく深く、救いのない悲劇の海へと読者を流し込む。

全てを許すことができ、全ての人に愛されることのできて、そして悲しいほどまでに純粋な人間。
この物語の主人公であり「白痴」として描かれるムイシュキン公爵は、他人の性質をひと目で見抜く洞察力や、その他の素晴らしい美徳や生まれ持った幸運を授かっているものの、その才覚を現実社会で活用する才覚だけを持ち合わせていない。
こんな人間が平和で牧歌的であった療養先のスイスから、沢山の現実的(または非現実的)な人間の思惑が入り乱れるロシアに帰ってくるところから物語は始まる。

精密な人物描写や、ころころとシーンが切り替わっていく文章はドストエフスキーらしい。
どこまでも救いのない登場人物が沢山出てくる物語だと思う。

救いのない世界で、いかにしたら救いを見出す可能性を見つけられるのか?
これこそが、恐らく、ドストエフスキーが小説を書いた理由なのではないだろうか、と、ふと感じた。