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峠に関する二三の考察 - 柳田國男

宗教・人類学

講談社の「日本現代文学全集36」に収録されてる小論文。
「峠」の語源に関する議論(タワ、タオリ、或いはタムケ)や、文明・技術の発達による峠の道の付き方の変移、そして峠の「表と裏」などなど、興味深いポイントが詰まった短い文章。

「峠道に限って里程の遠くなるのを改修と云って居る。それと云うのが七寸以下の勾配でなければ荷を負うた馬が通らず、三寸の勾配でなければ荷車が通はぬとすれば、馬も車も通らぬ位の峠には一軒の休み茶屋もなく、誰しも山中に野宿はいやだから、急な坂で苦しくとも一日で越える算段をするのである。」(昔の峠と今の峠)

これを読んでいると、わざわざテントを担いで山の中で野宿しに行く現代の登山家って人々は本当に酔狂なもんだなぁ、と思ってしまう。

「一言にしていへば、甲種は水の音の近い山路、乙種は水の音の遠い山路である。前者は頂上に近くなって急に険しくなる路、後者は麓に近い部分が独り嶮しい路である。(中略)峠に因っては甲種と甲種、又は乙種と乙種を結びつけたのもある。殊に新道に至っては前にも云ふ通り、乙種のものが多いけれども、古くからの峠ならば一方は甲種他方は乙種である。これを自分は峠の表裏と云ふのである。表口と云ふのは登りに開いた路で、裏口と云ふのは降りに開いた乙種の路である。」(峠の裏と表)

「冗談は抜きにして峠越えの無い旅行は、正に餡のない饅頭である。昇りは苦しいと云っても、曲がり角からの先の路の附け方を、想像するだけでも楽しみがある。(中略)更に下りとなれば何のことは無い、成長して行く快い夢である。」

柳田國男さんらしい、圧倒的な知識と趣のある文章でつづられた、味のある「峠考」。