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2008年09月11日

梅原猛の授業:仏教 - 梅原猛


Title: 梅原猛の授業 仏教 (朝日文庫)
Author: 梅原 猛
Price: ¥ 630
Publisher: 朝日新聞社
Published Date:

ベリーナイスな仏教本。

日本の仏教の変移とかノリを大ざっぱに掴むのには最適な本だと思う。梅原さんの宗教に関する考え方や、宮沢賢治の素敵っぷりも紹介されているのもナイス。

2008年06月30日

いきなりはじめる仏教生活 - 釈徹宗


Title: いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)
Author: 釈 徹宗
Price: ¥ 1,680
Publisher: バジリコ
Published Date:

絶妙に面白い仏教本。
「仏教はいけてるぜ!」っていうのが主旨だけど、ヘタに仏教にとらわれない視野の広さと、自由奔放な語り口が素敵。

近代思想から個人主義まで、現代のポストモダン的状況が抱えている「病み(闇)」を概観した上で、仏教というよい意味で手垢のついた宗教が何を提示できるのか、ということを筆者なりによくまとめている。

読めば読むほど、考えれば考えるほど、仏教的な考え方が現代において有効であるという意見に頷けてくる。個人の意識を広げられるところまで広げることで、「よりよい社会」を目指していくスタイルが限界に達している今、「自分」という枠組みを見つめ直して解体するノウハウを持った仏教は、非常に有効な思考様式・生活スタイルを提示してくれるように思う。

2007年12月16日

イスラーム文化 その根底にあるもの - 井筒俊彦


Title: イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)
Author: 井筒 俊彦
Price: ¥ 630
Publisher: 岩波書店
Published Date:

日本を代表するイスラーム学者である井筒俊彦による講演をベースにしたイスラーム文化入門。とても分かりやすい切り口から、イスラーム文化・イスラーム教の核心部を見事に切り出した名著。

人の目に付きやすい形式的な文化・宗教の側面にはほとんど触れず、イスラーム教がいかにしてイスラーム教となったか、イスラーム教が内在的に抱えている問題や、イスラーム教という宗教によって性格づけられているイスラーム文化、そしてイスラーム文化とは水と油の関係にあったアラビア的文化とがどうやって融合していったか、そしてシーア派やスーフィズムと呼ばれる主流から少し離れたところにある人たちに関する記述などが含まれており、実に中身の濃い本となっている。

イスラーム教を理解する上でポイントとして、

- 極めて厳格な一神教であること
- 「砂漠の宗教」というよりは「都市の宗教」「商人の宗教」であるということ
- (スンニー派に関して言えば)コーラン(聖典)とハディース(ムハンマドの言行録)と、これの解釈によって成り立っている「イスラーム法」(シャリーア)によって生活の隅々までが厳密にルール付けされていること
- 一神教である限り、他宗派に対しても寛容的な姿勢を持っていること

・・・といったあたりが挙げられるのではないだろうか。

コーランの中でも、その性格が大きく異なるメッカ期とメディナ期の違いや、コーランの成立過程、それにイスラム共同体の成立を助けた様々な文化的要因など、イスラーム文化を理解していく上で実に興味深い点がカヴァーされているのが素晴らしい。

イスラーム教にとってキリスト教やユダヤ教は、一神教という意味でも類似点があるし、同一のルーツを持っているにも関わらず、コンセプトレベルで完全に異なる性格を持っている、ということがよく分かる本だと思った。

2007年12月12日

峠に関する二三の考察 - 柳田國男

講談社の「日本現代文学全集36」に収録されてる小論文。
「峠」の語源に関する議論(タワ、タオリ、或いはタムケ)や、文明・技術の発達による峠の道の付き方の変移、そして峠の「表と裏」などなど、興味深いポイントが詰まった短い文章。

「峠道に限って里程の遠くなるのを改修と云って居る。それと云うのが七寸以下の勾配でなければ荷を負うた馬が通らず、三寸の勾配でなければ荷車が通はぬとすれば、馬も車も通らぬ位の峠には一軒の休み茶屋もなく、誰しも山中に野宿はいやだから、急な坂で苦しくとも一日で越える算段をするのである。」(昔の峠と今の峠)

これを読んでいると、わざわざテントを担いで山の中で野宿しに行く現代の登山家って人々は本当に酔狂なもんだなぁ、と思ってしまう。

「一言にしていへば、甲種は水の音の近い山路、乙種は水の音の遠い山路である。前者は頂上に近くなって急に険しくなる路、後者は麓に近い部分が独り嶮しい路である。(中略)峠に因っては甲種と甲種、又は乙種と乙種を結びつけたのもある。殊に新道に至っては前にも云ふ通り、乙種のものが多いけれども、古くからの峠ならば一方は甲種他方は乙種である。これを自分は峠の表裏と云ふのである。表口と云ふのは登りに開いた路で、裏口と云ふのは降りに開いた乙種の路である。」(峠の裏と表)

「冗談は抜きにして峠越えの無い旅行は、正に餡のない饅頭である。昇りは苦しいと云っても、曲がり角からの先の路の附け方を、想像するだけでも楽しみがある。(中略)更に下りとなれば何のことは無い、成長して行く快い夢である。」

柳田國男さんらしい、圧倒的な知識と趣のある文章でつづられた、味のある「峠考」。

2007年11月24日

パウロ -伝道のオディッセー - エルネスト・ルナン


Title: パウロ―伝道のオディッセー
Author: エルネスト ルナン
Price: ¥ 2,520
Publisher: 人文書院
Published Date:

ルナンによる「キリスト教の起源史」の第三部「聖パウロ」。
忽那錦吾さんによる、「キリスト教の起源史」の翻訳プロジェクトとしては、「イエスの生涯」に続く2冊目。

パウロというと、ある1日の出来事によってキリスト教の迫害者から最も熱心な使徒となり、厳格なユダヤ主義者と対立し、広く地中海世界を伝道して回ってキリスト教を世界的宗教にした立役者という印象が強い。新約聖書の中でも、特別な地位を得ている「ローマ人への手紙」は彼の手によるものだ。

この本では、パウロの4回に渡る伝道の旅を丹念に調べ、想像することで、その旅の様子や、パウロが絶えず抱えていた葛藤や悩みを実に見事に再現している。

ローマの市民権を持つ有力なユダヤ人であり、律法に忠実なパリサイ派であったパウロ(ユダヤ名はサウル)は、キリスト教徒を迫害するためにダマスコへと向かう道すがら、復活したキリストの幻影に出合い、突然失明する。迫害する立場であったパウロは、迫害する対象であったキリスト教徒の祈りによって失明から回復し(「目から鱗が落ちた」の語源とされる)、キリスト教徒として熱心に活動するようになる。

律法を守ることよりも「愛すること」を説いたパウロは、常に「行動の人」であり、「雄弁な書き手」だった。生前のイエスを知らず、ある意味においてはイエスを徹底的に美化し、自分流に解釈したキリスト教を死ぬまで伝道し続けた彼の生涯は、愛に溢れたものであったと同時に、一途な情熱に突き動かされたものだったのだろう。

彼が持っていた「強さ」は同時に「危うさ」でもあったことをルナンは的確に指摘していて、「狂信的」とまで言い放っている。激しやすく自分の意見に固執しがちな彼の性格は、行く先々の町で問題を引き起こしたし、生前のイエスを知るイスラエル教会の重鎮達とも衝突した。

とはいえ、彼の存在なしに今のキリスト教がなかったであろうことはそのルナンさえもが認めている事実であり、彼の存在は初期のキリスト教会の発展にとって決定的な違いをもたらしたのだから、歴史とは面白いものだと思う。

新約聖書の時代の地中海世界を旅しているような気分になってくる、魅力に溢れた読書体験だった。

2007年09月29日

反・キリスト―黙示録の時代 - エルネスト・ルナン


Title: 反・キリスト―黙示録の時代
Author: E. ルナン
Price: ¥ 2,520
Publisher: 人文書院
Published Date:

「イエスの生涯」がとても気に入っていて、本屋で偶然見つけたので迷わずゲット。忽那錦吾さんによるルナンの翻訳は、まさに現在進行形で進んでいるらしく、これは2006年の出版。

エルネスト・ルナンは19世紀のフランスの宗教史家で、キリスト教の歴史及びユダヤ人に関する研究で知られる。当時まかり通っていた非科学的な聖書解釈にメスをいれ、奇跡や超自然現象を抜きにイエスという人のヒューマニズムを褒め称えた「イエスの生涯」が有名。このほかにも、「イスラエル民族史」(日本語訳はまだ存在しない模様)や、「国民とは何か」などの著書がある。

この本の題名「反・キリスト」とは、キリストの死後にキリスト教会が発展していく最初期に壮絶な迫害を行ったローマ帝国の皇帝ネロのことであり、その時代に書かれた「黙示録」がいかにして成立したかが精緻な研究と文章によってまとめられている。

イエスの死後50年と経たないうちに、ユダヤ人の首都であり、心の拠り所である神殿を擁したイスラエルはローマ軍の総攻撃にあって壊滅し、ユダヤ人にとっての苦難の時代の幕開けとなる。この戦争については、ユダヤ軍の総司令官で、戦争の途中でローマ軍に捕まって有名な「ユダヤ戦記」で一躍後世に名を残すことになったヨセフスによってかなり詳しいところまでが知られている。

イエスの死後にローマ帝国の内外で起きた変化や、ローマに渡ったパウロによるイエス解釈(彼はイエス本人を知らない)と彼の手による教会の発展、そしてイスラエルで成長し、国難を避けてイスラエルを脱出したイスラエル教会の動向も合わせてよくまとまっており、この時代に関して考える際のよい道しるべとなる本だ。

現代における最新の研究成果とは多かれ少なかれ食い違う解釈も多いのだろうけれど、19世紀という時代にまとめられたキリスト教の黎明期に関する考察として、非常に価値のあるものだと感じた。

2007年08月21日

現代人のためのユダヤ教入門 - デニス・プレガー、ジョーゼフ・テルシュキン


Title: 現代人のためのユダヤ教入門
Author: デニス プレガー, ジョーゼフ テルシュキン
Price: ¥ 2,100
Publisher: ミルトス
Published Date:

今日におけるユダヤ教を概観した本。
ユダヤ教・ユダヤ人に関してある程度興味があって、どこから切り込んでよいか分からなかった人にはうってつけの入門書。

ユダヤ教における「神」とはどういうものか、そしてなぜユダヤ教がかくも複雑な律法をその宗教的立脚点にしているのか・・・といったことをひとつひとつ丁寧に説明している。アメリカに移住したユダヤ人がユダヤ人的生活を送るためにはどうすればよいか、みたいなことについてもかなりのページが割かれており、なかなか興味深い。

ユダヤ教が一神教の元祖であり、最も古くから明文化された律法を守り続けている民であることはよく知られている。その長い歴史の中で彼らが紡いできたのは、いわゆる「聖書」だけではなく、「口伝律法」と呼ばれるタルムードと総称される律法群がある。

著者によれば、はユダヤ教における「神」とは、存在と善良性、その他全ての立脚点(あるいは根拠)となる「あるもの」であり、その存在なくしては全てが頼りなく移ろいゆくもの(相対的なモラルは、もともとなかったようなものである)となってしまうものなのだそうだ。そしてその神の存在を前提に、ユダヤ教の目標であるところの「善人であること、善をなすこと」を実践するためのガイドラインとしての律法が存在する、というのが著者の視点で、このあたりの議論は非常に納得できた。

まだまだユダヤ教・ユダヤ人については分からないことだらけで、知りたいことがたくさんあるのだけれど、頭の中に持っていた漠然とした問いはいくつか解けたような気がした。

2007年05月14日

宗教を現代に問う - 毎日新聞特別報道部


1970年代に毎日新聞に連載されていた記事をまとめた本。
三冊組で角川文庫から出ているが、どうやら絶版らしい。

新聞の記事らしく、「現代における宗教」をできるだけ生の姿で捉えようという強い意志が現れていて、非常に読み応えのある本(というか「記事」)。前後の繋がりがそこまでなくても読めるので、約半年の間就寝前読書の定番として枕元に置かれることになった。

これを読んで宗教が分かる、といった本ではないけれど(そもそもそんな本は存在しない)、実際に宗教が行われている現場に近づいていって、できるだけ詳しく、できるだけ客観的に「宗教」の姿を捉えようとしている姿勢には共感できる。現実にそこで実践されている「宗教」のありのままの姿を見ていくことで、「現代の宗教」の輪郭がおぼろげながらも浮かんでくるのだ。

もともと読み始めようと思ったのは、山本祐司さんの「毎日新聞社会部」なる記事の中で触れられていたから。山本祐司さんの本は「最高裁物語」も読んだけれど、ジャーナリズムというものに常に情熱を持って接していた人だなぁ、と感心させられた。

2007年02月06日

コーラン (上) - 井筒俊彦


イスラム教学者の井筒俊彦さんによる翻訳。
アラビア語のオリジナルバージョンのみが「コーラン」と名乗ることのできる唯一の正当な文章であり、翻訳されたものは全て「コーランの解説」という立場をとるのだそうだ。

上巻に収められているのは、イスラム教の創始者であるモハメッドが受けた啓示(アラーからの直接的な教え)のなかでも後期のものにあたり、後期メディナ啓示と呼ばれるものの前半部分らしい。

持ち歩いて読むのもチト違うなぁと思ったので、3ヶ月くらいかけて風呂に入るたびに少しずつ読み進め、ようやく読み終えた。最後のほうになってから音読すると面白いことに気付いたので、あの「使徒のもの」とか「神は**であられます」という興味深い文体を味わいながら読むことができた。

神による直接的な語りなので、基本的には神の一人称となり、実際に語っているムハンマドに対しても「汝」のような言葉で語りかけているのが特徴的。中に出てくるエピソードは聖書の創世記とかぶったものが多く、イスラム教から見て堕落しているキリスト教やユダヤ教に対する強い敵愾心(部分的には、友好的な記述もある)が現れている。

イスラムとは「身を委ねること」であり、その名の通りイスラム教の神アラーは非常におそれ多い神として語りかけている。優しいのか厳しいのか、たまに分からなくなるところがあるが、そのあたりの曖昧さも含めてとても魅力的な書物だと思う。
聖書を一通り読んでおくと、より楽しめる気がする。

2006年11月25日

芸術人類学 - 中沢新一


「芸術人類学」という彼の新しいアイディアに対する直接的な捕捉、と言うわけではなく、主にその考え方に同調する彼の文章や講演の内容をまとめた本。
少し寄せ集め感がただよってしまったのが残念。

神聖な場所としての「山」から力を受け取ること「王」、そして「国家」の造成に「山伏」が深く関わったのではないか、という魅力的な思考「山伏の発生」や、八ヶ岳近辺に残る遺跡の跡から諏訪神社まで繋がる同系列の思想・宗教を汲み取る試みである「壺に描かれた蛙」などがよかった。

2006年11月09日

野生の思考 - レヴィ・ストロース


「構造主義」という考え方の基盤となった本らしいのだけれど、そんなことは置いといて、とても魅力的な本。

一般的に未開の民として理解されている人々の社会に存在する、興味深い言語世界や社会構造を次々と紹介し、呪術的だとか野蛮だとかいった理由で正しい解釈の対象になったこなかったこれらの構造を「野生の思考」という魅力的な名前の思想として確立している。
日本であれ欧米であれ、近代社会の中には今でも「野生の思考」をベースとしてシステムが存在するのだ、ということを言っている。

人類学という枠を飛び出して、人間社会一般に対して強いメッセージを持った素晴らしい本だと思う。

2006年04月23日

新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか - 加藤隆


どこかの本屋で見つけて図書館で借りてみた。
新約聖書の成り立ちから、初期キリスト教の権威であったエルサレム教会、それにイエスの時代のユダヤ人社会の解説まで、細かいところまで手が届いている本。

マルコ・ルカ・マタイによる福音書は「共感福音書」と呼ばれているらしい。研究の結果によると、ルカ・マタイの底本としてマルコによる福音書が存在し、さらにもうひとつの底本によってルカ・マタイはそれぞれ独自の部分(一部はルカ・マタイで共通)を足したもの、とされるのだそうだ。

著者の考察によると、「始まりの福音書」と考えられるマルコによる福音書は、イエスの死後初期のキリスト教(ナザレ派)の権威を持っていたイエスの直接の使徒達(アラム語しか話さず、みな生粋のユダヤ人)に独占されていたイエスの教えを当時の国際語であったギリシャ語でまとめることにより、キリスト教を世界的宗教にするためのきっかけを作った、と考えることができるらしい。

「聖書」と聞くと自動的にあの分厚い本を思い浮かべてしまうけれど、あの本が成立するためには数々の苦労や葛藤、それに対立があったのだろうなぁ・・・と思い知らされた。

2006年02月22日

クリシュナムルティの日記 - クリシュナムルティ


もっとも美しい思想は、人がもっとも自然で、調和の取れた状態から生まれる・・・。
インドの思想家(宗教家?)のクリシュナムルティが晩年に綴った日記は、シンプルな言葉で恐ろしいほどまでに多様な事柄を描こうとしている。

ほんのちょっとした日常や自然の描写から、自我ということや自然ということ、そして人が生きるということまで・・・本当に沢山のことについて触れられていて、どの意見にも彼のオリジナリティーが現れている。
きっと、ブッダやキリストなど、他人を完全に許すようなことができた人はこんなような境地に辿り着いた人なのかなぁ・・・なんて考えさせられた。

2006年01月03日

民俗学の旅 - 宮本常一


日本中の村々を伝書鳩のように渡り飛んだ宮本常一さんの自伝的な文章。

「忘れられた日本人」を読んだときの強烈な印象がまだ残っている。
山口県の大島の貧農に生まれ、50を過ぎるまで定職にはつかずに旅をしつづけた人は、こんな人だったのだなぁ、と合点がいった。

まず、大島の中でも宮本さんが生まれた大字西方は、みなが一様に貧しい村で、祖父も父も非常に優れた特質を持っていたにも関わらず、死ぬまで寒村の貧農として生きた人たちであったらしい。
祖父は寡黙ながらも歌が上手で剣道も強くて生真面目な人で、父はフィジーに出稼ぎにいって失敗するものの、様々な見聞を身につけた人だったりして、そういう人からの強い影響を受けて宮本さんは育ったようだ。

「火事を起こしたら紋付で公の席にでられない」なんて話は、とてもリアリティーがあった。
渋沢敬三さんについては、宮本常一さんの文章によく出てきたのだけれど、この本を読んではじめてとんでもない人であることが分かった。

それにしても、明治、大正時代から生きてきた人は、みな「よさ」を求めるために骨を折った人が多い。国の「よさ」であったり社会の「よさ」であったりするけれど、現在みたいに混乱した価値基準がなかった時代だから、志を持った人が手を動かしやすい時代だったのではないだろうか、と思った。

死ぬまで「一介の百姓」を貫き通した宮本さんには、心底尊敬の念を感じる。この「ひたむきな真面目さ」こそが日本人の美徳なのかもしれない。

2005年07月30日

アースダイバー - 中沢新一


久しぶりの中沢新一の本。

これは本屋さんで見かけて買わずにはいられなかったものだけど、中沢新一の本としてはとても分かりやすいし、東京という身近な都市にこれまで絶対に考えられていなかった方法で密接に迫っているのでグイグイと吸い込まれてしまった。

とにかく東京、というか都市というものに関する新しい考え方を与えてくれた画期的な本。
感想が多すぎて書けないけどとにかくよかった。

2005年07月09日

ナグ・ハマディ写本 - エレーヌ・ペイゲルス


これはよい本。
ちょっと取っつきにくいけど、キリスト死後に正統派教会が成立していく過程がよく分かる。
グノーシス主義に関してはユングやら何やらでよく耳にはしていたのだけれど、ここまで間近に迫ったのは初めて。

1940年代、エジプトのナグ・ハマディで偶然発見されたパピルス群(これがナグ・ハマディ写本)に書かれていた「抹殺された思想」を軸に、キリスト教成立当時の正統と異端の対立が描かれている。

グノーシス主義はキリスト以前から存在する思想で、キリストの教えの捉え方として「グノーシス主義的」理解があり、それがキリスト教の教えを熱心に広めようと活動していた正統派との摩擦を起こしていた・・・、という感じ。
グノーシスとは知識・認識の意味で、深い自己との対話の中で真理に到達するのが究極目標とされる。

自己認識の究極の形としての神認識、なんてまさにインド思想のアートマンとブラーフマンなんだけど、こういう考え方でキリストを理解していくと全然違った印象をキリスト教に持つことができる。
というか、現代に伝わっている「キリスト教」、及び聖書とはあまりにもかけ離れていて、キリスト教とは呼べないのかもしれない。
音楽でも何でも、横に広げるには分かりやすい方がよいのだ。

2005年07月03日

禅とは何か - 鈴木大拙


ディープな禅入門。

宗教一般に対する解釈も沢山与えてくれるとてもよい本。
理論をこねくりまわしているようにしか見えない部分があるように感じてしまうのは、まだまだ禅に親しんでいないからなのかもしれない。
全体的に禅的なコントラディクションが溢れているのだけれど、なんとなくうなずかせてしまうものがあるのはやっぱり著者が卓越した人物であることを感じさせる。

「知は目であり、情は足である」というのはとても共感。
宗教が「自己の発見」のステップである、という認識にも共感。

小乗仏教と大乗仏教のノリの違いも分かったし、とてもよい本に出会えたと思った。

2005年05月02日

神、この人間的なもの - なだいなだ


思いがけず、「権威と権力」、「民俗という名の宗教」との3部作的なものでうまく完結できた。

相変わらずのなだいなだ調で、昔の友達と宗教論を交わす、というお話。
これまで僕が考えてきたことに限りなく近い頃と言っているので驚くほどすんなりと読めた。

このあたりの考え方って、結構チョムスキーなんかとも通じるところがある。
まっとうに考えると結局たどり着くところは一緒なのだと思った。
やっぱりなだいなださんは素晴らしい。

2005年04月03日

禅 - 鈴木大拙


もともと英語で書かれた禅に関する著述を日本語に訳したもの。

禅とはどのようなものか、そしてなぜ“禅”が仏教の究極の形として成立し得たのか、またなぜ禅が中国で生まれることになったのか・・・などなど、とても興味深い内容が分かりやすく書かれている。

引っ越しの慌ただしい中で読んだのだけど、この本を読んでいる間だけ魂の高揚を感じることができた。
とてもよい本。

2005年03月13日

聖書はどこから来たか - 久保田展弘


副題に「東洋からの思索」とある通り、日本の山岳信仰に親しんできた著者が実際にシナイ半島に行き、一神教が生まれたバックグラウンドに思いをはせる・・・、というノリの本。

全体的に感じるのは、当然だけど著者とキリスト教・ユダヤ教の距離。
我ながら、子供の頃から教会的空気の中で育ったので、マリア様がどうこうして・・・、なんて話は耳にたこができるほど聞いている。
普通の環境で育った日本の人にとって著者のような視点は当然なものなのだろうけれど、少なくとも僕にとっては不自然に感じた。

創世記から列王記伝、それにイザヤ書、そして新訳聖書・・・、と聖書の舞台を歩きながら著者が感じたあれやこれやを書いていて、面白いところは面白い。

たしかに、亜熱帯である日本と、ステップないしはサバンナであるシナイ半島を同列に語ることはできない。
また、複数の民俗がそれぞれ強力な武力とアイデンティティーを持って存在していた場所・・・となれば、全く違った考え方が生まれてくるのは当然とも言えると思う。

それでも、全ての宗教に共通な自然への畏怖と感謝、そしてその他にの細々したところでも共通項は多いのが興味深い。

ちょっと冗長的なところがあるけれど、著者と同じように色々と考えさせられる、という点ではとてもよい本だと思った。

2005年02月19日

忘れられた日本人 - 宮本 常一


これははっきり言って素晴らしい。
日本人でありながらこの本を読んでいなかったのは、なんていうかすごい勿体ないことだな、と思えてしまうほど。

昭和の初期に日本各地の農村を歩き、その地の生活の生き証人である老人や女性達からの話をまとめている本。
江戸時代から明治維新、大正、昭和、と移り変わる歴史の中で、たくましく生きてきた生活者としての農民達の活き活きとした声がとてもうまく収められている。

個人的に、ここしばらく「世間」的社会システムの信頼性を疑うようなことばかりを考えていたのだけれど、この本に描かれている「世間」をかいま見て、それもそれで素晴らしいものだな、と感じた。
とはいえ、大都市などで「世間」的社会システムがうまく機能しないことはまた自分の中で強い確信がある。
はやいとこ、シミュレーターを作り始めたいところではあるが・・・。

2005年01月07日

トリノ聖骸布の謎 - リン・ピクネット


Title: トリノ聖骸布の謎
Author: リン ピクネット, クライブ プリンス
Price: ¥ 2,625
Publisher: 白水社
Published Date:

これは面白い。

立花隆の書評で推薦されてたので読んだけど、これはよい本。
はじめからオカルトチックな世界に進みこんでしまって、著者も主観的にグイグイと筆を進めてしまっているような所も見受けられるのだけど、研究の内容がとても斬新なのでスイスイと読み進められる。

聖骸布とはキリストが十字架上での受難のあと、墓地の中に横たえられた際に体を包んだもの、とされる布で、類似品は有名なトリノのもの意外にもいくつかあるらしい。

で、このトリノ聖骸布が何故ここまで取り沙汰されるか、というと仮に偽造であったとしてもその作成方法が未だ謎に包まれていたかららしい。
他にやることを抱えながらもアマチュア精神でこの研究に取り組んだ著者達の努力はこの本に書かれた素晴らしい研究結果によって報われたのだろう、と思う。

この本で取り上げられている説に対する反証もいくつか出ているようなので、そちらもちらほらと読んでみたくなった。

2004年05月03日

悲しき熱帯 - レヴィ・ストロース


後編をようやく読み終えた。

結局前編・後編を合わせて1年くらいかけて読んだことになる・・・。
著者の視点から観察される情景が流れゆくままに過ぎていく。

視覚的な風景と、心情的な風景が極めて重厚な形でこめられていて、ちょっとした風景なのにも関わらず、立ち止まって考えさせられてしまったりする。

ナンビクワラ族(?)の暮らしの描写がとても好きだ。
はじめに「旅や冒険は嫌い」と言っておき、また最後の方で戻ってきたこの議論の中に興味深い点がいくつかあった。

結局人間はその文化や社会の当事者に成り得ない限り、全てを理解するのは不可能なのだ。
これは当たり前のことだけど、これはフィールドワーカーや、旅をして分かったつもりになってしまう我々の浅はかな思考に対して厳しくNOを主張している、と思った。

2004年05月01日

エデンの彼方 - ヒュー・ブロディ


最高。

2004年に入って読んだ本の中でインスパイアリングだった度でいうとトップ3に間違いなく入る。

創世記という、世界で最も有名な神話の世界に関する洞察や、この本が主眼を置いている狩猟採集の民の神話。

人間が生きていくのに一番必要なのは「誇り」なのではないか、とよくよく思うのだけど、この本を読んでもそれを感じた。

人類の文化の変移について少しでも興味があればこの本は最高に楽しく読めると思った。

2004年04月23日

対称性人類学 カイエ・ソバージュ - 中沢新一


すごい、またもや強烈。

このカイエ・ソヴァージュ・シリーズは読みやすいのがとてもよい。
これまで積み上げてきた、現代的な問題に対して、あるレベルの解答を与えている。

折しも、同時進行で岡本太郎の「美の呪術」を読んでいて、なんだか2冊ともどこかで繋がっている気がしながら読んだ。

仏教的な思想が強い意味を持つ、というのがどこまで正しいのかは分からない(仏教である必要性は、と問われると今の自分では判断できないので)けれど、対象性人類学的な考え方がとてもよく頭に入ってきた。

やっぱり神話最高だぜ!
ってところか・・・。