« アラスカの氷河 - 中谷宇吉郎 | メイン | 南極第一次越冬隊とカラフト犬 - 北村泰一 »

イエスの生涯 - エルネスト・ルナン

伝記


霊感と詩情に溢れたイエスの物語。
エリック・ホッファーの自伝で絶賛されていたのので読んでみた。

ルナンは本の冒頭で、自身のキリスト観及び聖書観が超自然的な解釈から一切離れていることを明記している。この本が書かれた1860年代は、帝国主義と植民地政策、それに自然科学的なものの見方が欧米社会に広がった時代だ。
この物語はその時代的空気を色濃く残していると共に、ルナンのイエスに対する愛情とその後1800年間に渡るキリスト教の混乱に対する厳しい視線が結実したもの、と考えることができる。

イエスの新しさとは「宗教の形式というものを放棄した」ということに尽きる。
世界でも稀にみるほどに複雑怪奇な律法システムを持ち、ローマに占領されてはいるが心は錦でいつか救世主がやってきて俺達「だけ」が救われる・・・みたいな変な思想を持った人たちの間に生まれたごくごく普通の人イエスは、単純に「全ての人を愛しなさい」という言葉で全ての人の間にあるいざこざを解決しようと試みたのだと思う。
あまりにも劇的な十字架刑による死や、彼が死んで間もなくイスラエル国家にカタストロフィーが訪れたこと、そして彼が教えた教義がシンプルで多くの人たちに支持されたことと、さらに多くの偶然が重なって、彼はキリスト教という巨大な社会的ムーブメントの礎として人々の記憶に残されることになった。

19世紀の人たちは、当時の社会においてもなお巨大な怪物であったキリスト教とはいったい何なのか、そもそもキリストとは一体何者なのか、ということを「当時の科学的思想」に基づいた形で知りたがったのだろうし、それを実践したのがルナンという人だったのであろう。

**

この本を読んでいて、自分が育ったキリスト教的環境を強く意識させられた。
幼稚園児の頃に一緒に遊んだアメリカ人の家族はもちろんキリスト教徒で、アットホームな形でキリスト教を実践している人たちであったように思われる。
イエスとその弟子達が作っていた親密なコミュニティーとはまさに僕が子供の頃に体験したようなアットホームなコミュニティーだったのではないか?と気づかされた。

**

本当にいつもいつも思うことだけれど、何か新しいアイディアをぶち上げる人は、いつも大きな社会的・世間的反抗に遭って苦難の人生を歩む。そしてそれに続くフォロワー達が、先人の思想を少しずつ少しずつ社会に浸透していくことで、ようやく社会に認知されはじめ、いつしかそれは大きなうねりとなって社会全体に大きな影響を与える。
でも、この偉大なる先人が蒔いた種が大きなうねりとなる頃には、彼の偉業は多くの場合において忘れ去られていて、彼にまつわるいささか神話めいた謎や奇跡が残されるだけで、誰も彼が本質的に「何を変えたのか」ということに目を向けることはない。

だから、本当に何か新しいことをやる人はいつも世間からの冷たい視線を浴びる運命に立たされていて、本当に涙が出るほど一生懸命になって彼のアイディアを伝えるために奔走することになるのだと思う。
僕はこれをここしばらくの間「尖った先の憂鬱」という言葉で表現し続けているのだけれど、イエスこそまさにこの尖った先の憂鬱を生きた人、として記憶されるべき一人のカリスマであったのだろう。