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2009年05月08日

無一文の億万長者 - コナー・オクレリー


Title: 無一文の億万長者
Author: コナー・オクレリー
Price: ¥ 2,100
Publisher: ダイヤモンド社
Published Date:

実にユニークな人物の評伝。
世界最大の免税店DFSを立ち上げて、アメリカ人的大成功を収めたチャック・フィーニーは、事業で儲けた4000億円を自らが立ち上げた財団に全額寄付し、慈善活動に半生を捧げる。

失敗を繰り返しながらビジネスの世界で這い上がっていく前半生も面白いけれど、全体を通して伝わってくるフィーニーの「事業を成功させること」へのこだわりの哲学がとても興味深かった。

ビジネス書っていうよりは、一人の面白い人の生き様を綴った本として読んだほうが楽しめると思う。

2009年04月21日

アシジの聖フランシスコ - ヨルゲンセン


Title: アシジの聖フランシスコ (平凡社ライブラリー)
Author: イエンス・ヨハンネス ヨルゲンセン
Price: ¥ 1,260
Publisher: 平凡社
Published Date:

デンマークの詩人・ヨルゲンセンによる聖フランシスコ伝。
「言葉よりも行動で」福音を伝えようとしたフランシスコの姿を描き出した力作。

12世紀のイタリアの裕福な商家に生まれ、貴族・騎士のような華やかな栄光に憧れた青年時代を過ごしたフランシスコは、ある時を境に信仰の道を歩み始める。

持たざるべき教会が持ち、持たざる民が貧しさに泣いていた時代に、彼はイエス・キリストが実践していたことをあくまで忠実に再現しようとした。その徹底ぶりはローマの教皇からも知られるようになり、彼と彼の修道院はさらなる名声を獲得していく。

所有への欲望を一切放棄し、究極的なドMっぷりを追求したフランシスコの人生は、一人のキリスト者として理想的な姿だったのだろうと思う。でも、正直言って現代の日本に住む自分にとってはあんまりピンと来る人生ではないかな・・・。

2009年03月09日

甘粕正彦 乱心の曠野 - 佐野 眞一


Title: 甘粕正彦 乱心の曠野
Author: 佐野 眞一
Price: ¥ 1,995
Publisher: 新潮社
Published Date:

大正~昭和という、時代の闇に包まれた「甘粕大尉」に迫ったノンフィクション。

甘粕大尉というと、映画「ラストエンペラー」で坂本龍一が演じた狂信的な国家主義者という印象が強い。憲兵時代に関東大震災発生直後の混乱に乗じてアナキスト大杉栄の殺害をしたとされる「甘粕事件」は有名だし、満州建国のためのスパイ活動や皇帝溥儀の亡命の手助けをしたりといったアウトロー的な活躍も知られている。さらに、「満州の夜を牛耳った」といわれる満映事務長時代にも様々な逸話を残し、終戦後に満映事務長室で青酸カリを飲んで自殺した人・・・というところまでは、なんとなく頭にあった。

・・・のだけど、この本を読むと、日本帝国の浮沈に運命を弄ばれた名家出身のエリート実務家という彼の一面が浮き上がってくる。ダークな印象ばかりが先行して、実際の人となりが語られることは少ない甘粕大尉だけど、

- 甘粕家が上杉謙信に仕えた猛将の末裔であること
- 陸軍幼年学校、陸軍仕官学校を卒業した軍人のエリートコースを歩いていた人物だったこと(訓練中の落馬で足を痛めて憲兵となった)
- 満映事務長時代はユーモアを解する有能な実務家として周囲の人間から好意的に扱われていたこと(終戦時は満映社員全員が無事に日本に帰れる手はずまで整えていた)

といったことを知るにつけ、いかに「大杉殺し」という事件が甘粕正彦という人間を深くて濃い闇の中に突き落としたかが分かったような気がする。陸軍の将校クラスになるはずだった人間が、不運な事故でその道を閉ざされ、失意の中で憲兵大尉に出世したと思いきやその生真面目さ&責任感を買われて「大杉殺し」の罪を被らされて、そのダークなオーラを身にまとったまま満州国の塵となった・・・というのが本書で描かれている「甘粕大尉」だ。

大杉殺しについては、「裁判における一貫していない証言」や、周囲の人間に漏らした思わせぶりな発言、そして事件に関与した憲兵の遺族達による証言から、本の中では大杉殺しの下手人を特定すると同時に、甘粕大意による大杉殺しは軍部によるスケープゴートであるという結論に至っている。事件から85年が経過しており、断片的な情報しかない中で結論に飛びついている感は否めないものの、この本の中で描かれている状況からすると、彼が無罪であった可能性は十分にありそう。

責任感や義務感が強かった彼にとって、昭和初期という時代は生きにくい時代だったのだろう。陸軍士官学校時代の同期に送った手紙が彼の本音を吐露しているように思う。

「私は事故の境涯上一生懸命に何かをやればよいのだ。知己を現代に求めやうとしたり、よく思はれようなどと思っては間違ひなのだ。此の世の中で何かをやれば必ず悪口されるものだと悲しくも悟り諦めている。だが然し人間はどうしても孤独では此の世に生存出来ないシロモノだ。悲しいにつけ嬉しいにつけ癪に障れば癪に障ったで、秘密を持てば持ったで誰かに訴へてみたい心に逼られるものだ。」P.286

2008年01月29日

孔子伝 - 白川静


Title: 孔子伝 (中公文庫BIBLIO)
Author: 白川 静
Price: ¥ 940
Publisher: 中央公論新社
Published Date:

内容の詰まった孔子伝。

一言で言うと、孔子の思想がいかにして生まれたのか、ということについて書かれた本なのだけれど、論語に限らず中国の歴史、人物、思想、漢字についての膨大な知識が詰め込まれているので、じっくりと読み進めていたら3週間もかかってしまった・・・。

論語は一通り読んだし、孔子という人についても自分なりに勉強はしていたつもりだったのだけれど、孔子が生きて活動した時代背景や、彼以外の古代中国の思想家についての知識が圧倒的に足りていなくて、なかなか刺激的な読書になった。

思うに、宗教家や思想家と呼ばれる人が様々な議論を通して辿り着くのは、大抵の場合において「善」(イデア)のようなものがいかにしてあるべきか、そしてその根拠は・・・というポイントだ。孔子の場合、周公が行っていたとされる政(まつりごと)をそのような位置に想定することで、彼の「あるべき姿」を規定したのだと思う。キリスト教の場合では、「神」という圧倒的存在が全ての善悪、価値観、物事の根拠であることを想定していて、その上でキリストという実在を1枚持ってくることによって分かりやすさを演出したんじゃないかと思う(こういう適当なことを書くと、怒られそうだけど・・・)。

孔子の時代の混沌とした政治的・文化的状況と、様々な技術や文化の積み重ねによって混迷の度合いを深めている現代とでは、全ての条件が異なっているように見える。けれど、人間そのものはほとんど進化していないわけだし、人のあり方、社会のあり方について考え、説き続けた孔子の言葉は、今の時代にあってもその価値を全く失わないのだと感じた。

2007年02月10日

完訳・マルコムX自伝 - マルコムX


上巻をアメリカ出張で読破し、下巻は1週間かけてチロチロと読んだ。

「ルーツ」を書く前のアレックス・ヘイリーさんが2年という時間をかけて本人から直接聞き取った、「壮絶」としか言いようのないマルコムXの人生が収められている。

**

アメリカ合衆国最下層の民として生まれ、信念を持って闘争していた父を殺され、母が発狂し、挙げ句の果てに落ち着いたのがニューヨークのハーレム。ポン引き、麻薬の売人、拳銃強盗・・・と、思いつく限りの悪事を重ねながらその日暮らしの生活を続け、住み難くなったハーレムを離れて異母姉妹の住むボストンに戻る。ここでも白人の情婦を含む昔の仲間と強盗を重ねるが、ついには逮捕され、懲役8年の刑に処される。この時、マルコムXはまだ20歳。
この世のあらゆるもの(白人、貧乏で無知な黒人、そして自分自身)を呪い、刑務所では「サタン」と呼ばれた彼だったが、兄弟の勧めからイライジャ・ムハンマドによるブラック・ムスリム運動に出会い、信仰に目覚めて熱心に本を読んで勉強するようになる。もともと頭のよい彼はすぐに人々に大きな影響を与えることのできる指導者となり、出獄後はブラック・ムスリム運動の拡大に奔走する。
マルコムXの"X"とは、アフリカから連れて来られた後に失くしてしまった家族の名前をあらわす"X"だ。ブラック・ムスリム運動自体は他愛のない論理(白人に対する嫌悪)をベースにした怪しげな運動で、イライジャ・ムハンマドの偽善(運動の基礎原理を本人が破っていた)に気付き、それに反発した結果運動から排斥されたマルコムは、自分の組織を作り、中東、西欧、アフリカの各国を巡って知見を広げるようになるが、ブラック・ムスリム運動側の放った刺客によって暗殺される。

**

「可哀想な人」というのがこの本を読んで、一番はじめに感じた感想だ。素晴らしい才能を持って生まれたにも関わらず、人生の大半を恵まれない環境の中で過ごし、世に出たと思ったら一番信じていて人に裏切られ、世界に飛び出していこうと思ったら殺されてしまった。
それでも、最下層の民の生活を最もよく知る告発者であり、強力なアジテーターとしてのマルコムXは実に魅力的だ。逮捕されて一回は死んでいる、という諦めから来る猛烈な行動力と論争力でアメリカ黒人が受けてきた屈辱を世界に紹介し、閉じられたアメリカ黒人の目を開くべく、闘い続けた。

自伝では珍しく、巻末に「エピローグ」という名目で共同執筆者(実質的な著者)であるアレックス・ヘイリーによる解説がついている。この本が自伝として成立していった過程が正確に記述されていて、たくさんの時間をマルコムと過ごすことで彼の魅力に惹かれていった彼の、マルコムに対する友情が文章の中から読みとれてなかなか面白い。

後半部分(彼が自分の組織を作って、海外に行ったりするあたり)は少しダラダラしている感があるが、現代に生きた一人の猛烈な人間の記録として、これ以上のものはないと思う。
こういうとてつもないパワーを持っている人がいる国(=アメリカ)は、やはり強いものだなぁ、と思う。今はそうでもないけど・・・。

2006年07月31日

Smoking in Bed: Conversations With Bruce Robinson - Alistair Owen


Title: Smoking in Bed: Conversations With Bruce Robinson
Author: Alistair Owen
Price: ¥ 1,201
Publisher: Bloomsbury Pub Ltd
Published Date:

メディア露出度が極端に低いブルース・ロビンソンにインタビューした本。

若い頃の役者からはじまり、脚本家、監督家、作家・・・という様々なキャリアを通じて関わってきた作品ごとに章立てして、ブルース・ロビンソンという人物に迫っている。

予想に反して、ブルース・ロビンソンという人はとても真面目できちんとした性格であるようだ。母親とアメリカ兵との「過ち」から生まれ、義理の父親から徹底的にいじめ抜かれて育った彼は非常に賢い子どもに成長し、とても思慮深い生き方をするようつとめているように思われる。

ハンサムな若者として出演したロミオ&ジュリエットでは好色家のゼッフェレリ監督に後ろから付け狙われ、彼の役者としてのキャリアはひどいトラウマと共にスタートする。
60年代と、70年代の頭では映画「ウィズネイルと僕」に描かれているような貧困生活の中を映画の筋通り売れない役者として過ごす。
彼が小説「ウィズネイルと僕」を書いたのはこの時代だ。

元々役者としてよりは作家として生計を立てることに興味を持っていたロビンソンは、1970年代後半から1980年頃にかけて映画「キリング・フィールズ」の脚本を手がける。
この映画はニューヨークタイムスの特派員としてポル・ポト派の攻勢によって沈み行くカンボジアの首都プノンペンを取材し、脱出した後、彼がプノンペンで世話になった現地のガイド(英語を話せるインテリ階級なので、制裁の対象)が強制収容キャンプから命からがら逃げ出して、主人公と再会する・・・という筋。

興味深いのは、ロビンソンがこの二人の間に「友情」と呼べるものは一切なかった、と言い切ってしまっていること。
脚本家として、一旦完成させたスクリプトが製作者の都合のいいように変えられていき、描いたものとは異なる形で世に出てしまった、という事態(というか、映画業界における「脚本家」という立場の弱さ)に初めて彼は遭遇する。
と同時に、彼はどんなにまじめな映画であったとしても、それはあくまで「物語」であり、「エンターテイメント」でしかないのだ、と非常に冷静な態度を貫いている。

「キリング・フィールズ」の後に彼が手がけたのはマンハッタン・プロジェクトの映画化のための脚本。アインシュタインが時の大統領ルーズベルトに原爆開発の必要性を訴える手紙を書いたのは有名な話だけれど、実際にプロジェクトを走らせたレスリー・グローブ将軍なんかの話はそこまで知られていない。
「何かを調べると決めたら徹底的に調べるんだ」と言うロビンソンは、この原爆開発という人類が経験した悪魔的プロジェクトをひたすら追いかける。
結局、この脚本もまた製作者の都合で大幅に書き換えられてしまい、「自分では一回も見てないよ」という彼にとっては悲惨なキャリアとなって終わる。

1969年に書いた小説「ウィズネイルと僕」は、彼の身近でカルトな人気を持っていたらしく、読ませた友人の勧めもあって1970年代に既に脚本として完成されていたらしい。
キリング・フィールズでの脚本家としての成功もあり、不運の人ブルース・ロビンソンにもようやくこの「自分の物語」を映画化するチャンスが訪れる。元々は脚本提供だけしかしない予定だったらしいのだが、トントン拍子に話が進み、彼自身が監督となって制作に関わることになったらしい。

ウィズネイルに引き続いて彼がメガホンを取ったのは「広告業界で成功する方法」(How to Get Ahead in Advertising)という映画。
これはサッチャーによるイギリスの改造を徹底的に皮肉った映画らしいのだけれど、明らかに予算が足りていない上に映画としての煮込みが足りずに不完全燃焼な作品になってしまったようだ。

ウィズネイル・広告業界以降の彼の活動は、彼自身の子供時代を描いた小説"The Peculiar Memories of Thomas Penman"(彼曰くウィズネイルが自身の70%の自伝とするならば、ペンマンは80%だそうだ」)や、いくつかの物語の脚本、そして映画「Still Crazy」への出演など。いまでは田舎の広い家に住みながら、マイ・ペースに自分の生活を守っているようだ。

最後の章「Fuck Jesus, Give Me Shakespere」では、彼が最近思っていることを雑多にぶちまけているのだけれど、その章の名前から察するとおり彼の人生哲学のようなものを伺うことができる非常に興味深い発言に満ちあふれている。

映画「ウィズネイルと僕」を知ることでブルース・ロビンソンを知っているようなつもりになっていただのだけれど、それは大きな間違いであることに気づかされた。
とりあえず、買ったばかりになっている"The Peculiar Memories of Thomas Penman"でも暇なときに読んでみることにしようと思う。

2006年05月27日

波止場日記 - エリック・ホッファー


1958年から1959年にエリック・ホッファーがつけていた日記。

労働と読書、それに思想する毎日がポツリポツリと語られている、とても中身の濃い本。
全体的なテーマとして、当時彼が執筆していた「知識人」に関する著述をまとめ上げていく上で彼が行った思考が綴られているのだけれど、当時の世界とアメリカの状況も含めて非常に興味深い。

彼はアメリカ的民主主義を成立せしめている個々の人々を信じる、というその大きなテーマを気に入っていたらしい。
当時台頭していたロシアを筆頭とする共産主義国家の無意味さを彼は骨の髄まで理解しており、またこれらの国家に対する厳しい指摘をたくさん行っている。

彼が一生涯かけて考え続けたことに「人が自由に生きること」という大きな命題があったように思える。
人が社会秩序や自然的状況から離れて自由に生きること環境、という意味でのアメリカは、確かに昔から変わらずに今でも世界で一番完成されているように思える。そして彼が常に恐れ続けていたのは、「庶民の国」であるアメリカが既存の国家であり社会秩序が持つ古臭い因習に捕らわれてしまうことだったのだろう。

**

「どのような見方をしてみても、創造力は内的な緊張から生まれるものである。この緊張に加えて、さらに才能がなければならない。才能が全くない場合には、緊張はそのはけ口をさまざまな行動に求めることになる。」

「絵画・音楽・舞踊の先行性、非実用的なもの、無駄なものの先行性はどう説明するか。おそらくここに、人間の独自性の根源がある。人間の発明の才は、人間の非実際性および途方もなさに求められるべきである。」

「われわれはただちにプライドの化学についてできるだけのことを知るべきである。プライドー国家、人種、宗教、党、指導者に関するーは個人の自尊心の代用品である。」

「自由とは、人間をものに変えてしまうような、つまり人間に物質の受動性と予測可能性をおしつけるような力や環境からの自由を意味する。このテストにかけるならば、絶対的な権力は人間の独自性もっとも反する現象である。絶対的な権力は人を順応性のある粘土に変えたがるからである。
自由に適さない人々ー自由であってもたいしたことのできぬ人々ーは権力を渇望するということが重要な点である。」

「人間の独自性は安定し連続した環境においてのみ開花し持続しうる、と私は信じ始めた。現代社会に特有の、生活のあらゆる部門の絶え間ない根底的変化は、人間の本性に敵対するものである。」

「旧約聖書における自然の格下げは、近代西洋出現の決定的要因となっている。エホバは自然と人間を創造したが、人間を彼の姿に似せて創り、人間を地上における彼の総督となした。」

2006年05月13日

青春を山に賭けて - 植村直己


植村直己、という名前は幾度も聞いたことがあったのだけど、実際にどんな人だったのかを知らなかったので、彼の半生を知るよい機会になった。

日本がまだ貧乏敗戦国だった時代に海外に飛び出して、冒険のパイオニアになったような人なのだなぁ、と思う。
アルプスの美しい氷河を夢見てアメリカに稼ぎに行く、という発想が単刀直入で面白いし、本当にそれを実行してしまうこと、そしてその最中やその後に起きるあれやこれやの騒動を切り抜けていくことが彼の凄さなのだろう。

どうやら植村直己さん、という人はとてもシンプルで力強い人で、自分が「やろう」と思い立ったことは最後の最後までやり遂げる人だったらしい。
猛獣の住むジャングルを抜けてケニア山を目指すくだり、それにアメリカやフランスで会った心優しい人たちとの交流もよく描かれている。

ちょっと文章としては退屈だったけど、植村さんという面白い人の話を楽しく聞くことができるような楽しい読書だった。

2006年05月06日

イエスの生涯 - エルネスト・ルナン


霊感と詩情に溢れたイエスの物語。
エリック・ホッファーの自伝で絶賛されていたのので読んでみた。

ルナンは本の冒頭で、自身のキリスト観及び聖書観が超自然的な解釈から一切離れていることを明記している。この本が書かれた1860年代は、帝国主義と植民地政策、それに自然科学的なものの見方が欧米社会に広がった時代だ。
この物語はその時代的空気を色濃く残していると共に、ルナンのイエスに対する愛情とその後1800年間に渡るキリスト教の混乱に対する厳しい視線が結実したもの、と考えることができる。

イエスの新しさとは「宗教の形式というものを放棄した」ということに尽きる。
世界でも稀にみるほどに複雑怪奇な律法システムを持ち、ローマに占領されてはいるが心は錦でいつか救世主がやってきて俺達「だけ」が救われる・・・みたいな変な思想を持った人たちの間に生まれたごくごく普通の人イエスは、単純に「全ての人を愛しなさい」という言葉で全ての人の間にあるいざこざを解決しようと試みたのだと思う。
あまりにも劇的な十字架刑による死や、彼が死んで間もなくイスラエル国家にカタストロフィーが訪れたこと、そして彼が教えた教義がシンプルで多くの人たちに支持されたことと、さらに多くの偶然が重なって、彼はキリスト教という巨大な社会的ムーブメントの礎として人々の記憶に残されることになった。

19世紀の人たちは、当時の社会においてもなお巨大な怪物であったキリスト教とはいったい何なのか、そもそもキリストとは一体何者なのか、ということを「当時の科学的思想」に基づいた形で知りたがったのだろうし、それを実践したのがルナンという人だったのであろう。

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この本を読んでいて、自分が育ったキリスト教的環境を強く意識させられた。
幼稚園児の頃に一緒に遊んだアメリカ人の家族はもちろんキリスト教徒で、アットホームな形でキリスト教を実践している人たちであったように思われる。
イエスとその弟子達が作っていた親密なコミュニティーとはまさに僕が子供の頃に体験したようなアットホームなコミュニティーだったのではないか?と気づかされた。

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本当にいつもいつも思うことだけれど、何か新しいアイディアをぶち上げる人は、いつも大きな社会的・世間的反抗に遭って苦難の人生を歩む。そしてそれに続くフォロワー達が、先人の思想を少しずつ少しずつ社会に浸透していくことで、ようやく社会に認知されはじめ、いつしかそれは大きなうねりとなって社会全体に大きな影響を与える。
でも、この偉大なる先人が蒔いた種が大きなうねりとなる頃には、彼の偉業は多くの場合において忘れ去られていて、彼にまつわるいささか神話めいた謎や奇跡が残されるだけで、誰も彼が本質的に「何を変えたのか」ということに目を向けることはない。

だから、本当に何か新しいことをやる人はいつも世間からの冷たい視線を浴びる運命に立たされていて、本当に涙が出るほど一生懸命になって彼のアイディアを伝えるために奔走することになるのだと思う。
僕はこれをここしばらくの間「尖った先の憂鬱」という言葉で表現し続けているのだけれど、イエスこそまさにこの尖った先の憂鬱を生きた人、として記憶されるべき一人のカリスマであったのだろう。

2006年05月02日

散るぞ悲しき - 梯 久美子


硫黄島防衛の総司令官として、破滅的状況の中でアメリカを悩ませた栗林忠道さんのドキュメンタリー。

タイトルの「散るぞ悲しき」とは、栗林忠道さんの辞世の句「国の為重き務を果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき」から取られている。
彼の電信が受信されて記事として新聞に載った際、最後の部分は「散るぞ口惜し」と改変されていたのだという。

栗林忠道さんは軍人らしくない軍人で、部下や家族に対する気遣いを持ち、文章や絵をよく書き、さらに合理的な人であったらしい。アメリカでの留学経験から「アメリカは日本が一番戦ってはいけない国」と主張し、いざ日本本土が空襲の危険にさらされる瀬戸際となれば自ら最前線となる硫黄島で徹底的な抗戦をやった人・・・。

半藤一利さんの「ノモンハンの夏」なんかを読むと、いかに戦前・戦中の帝国陸・海軍が硬直的な組織でリアリティーを喪失していたか、ということが分かるけれど、栗林忠道さんが硫黄島でやったことは本当に「人」が「軍」という組織を使って最大級の働きをした稀有な例として考えることが出来る。
実際の戦闘に関する詳述はそこまでないけれど、この本で描かれているようなゲリラ戦はベトナム戦争でも実践されて大成果をあげたわけで、本当の意味で「抗戦する」ということを近代の戦争で初めて大掛かりに実践した人なのではないか?と思った。

2万人を超えるような人たちがひとつのちっぽけな島でバタバタと死んでいく姿は本当に馬鹿馬鹿しくて理解不能だけれど、優れた人間はどの時代にもいて、その手腕を発揮する機会にさえ恵まれれば本当にとてつもない結果を残すことが出来るのだな、と感じた。

2006年01月15日

なめくじ艦隊 - 古今亭志ん生


志ん生の半生記。
とにかく「貧乏も楽しい」の一言につきる。
昔の芸人の生活やメンタリティーがとてもよく出ているし、志ん生が頑張って来れたのはまず「生活」があって、それから「人の情け」があったからなのだなぁ、としみじみと納得してしまった。

家賃が「タダ」の貧乏長屋での生活や東京大空襲の真っ最中にビールを飲んでいた話、そして満州での苦労・・・、この人の人生ほどネタに彩られた人生も珍しい。

「人間なんてものは、当たりまえのことで嬉しいなんてことはあるもんじゃなくて、当たりまえでないことがうれしいんですよ。」

「しかし、もともと落語てえものは、おもしろいというものじゃなくて、粋なもの、おつなものなんですよ。
それが今では、落語てえものは、おもしろいもの、おかしいものということを人々がみんな頭においているんですが、元来そんなものじゃないんですナ」

「古い噺てえものは、何べんきいても味があるけれど、そういう噺って、何万という噺の中から残った、本当の名作ばかり一つか二つかです。だから、そういう噺には捨てがたい味がある。」

「むかしのいくさというものは半分は、その国の城主のいろいろな道楽でやったもんらしいですね。いくさに行くんだから、すがたなんぞどうだってよさそうなもんなのに、金の鎌形のカブトでもって、ひおどしのヨロイで、きれいなようすを見せる。そうするもんだから、向うも負けてはいない。サァ、おれの格好をみてくれというわけで、相手に負けないようないでたちでいくさに出かけるんですね。」

2005年08月18日

エリック・ホッファー自伝 - エリック・ホッファー


しっとりして面白い本。

まず何よりもエリック・ホッファー自身の特異な体験がとても印象的。失明してから回復しても40歳までしか生きられないと思い続けて絶望を胸の中に抱えながらそれでも一生懸命生きた彼の半生。そして自殺未遂から立ち直って放浪者として色んなことを学びながら生きた残りの半生。
彼のユダヤ人に関する意見や、不適応者が新しい世界を作ること、それに弱者が強者に対して講じる対抗策こそが新しいものを作ってきた、などの洞察にはとても強く共感した。

「歴史は不可抗力によってではなくて、先例によって作られるのだ。」とか「私が知る歴史家の中に、過去が現在を照らすというよりも、現代が過去を照らすのだという事実を受け入れる者はいない。」なんて言葉は非常に示唆的。

本の副題であり、原題である「構想された真実」(Truth Imagined)とは、彼が愛着を持って読み続けた旧約聖書のことを指す。これはつまりユダヤ民族の持つ歴史がこの言葉で表させることを言っているのと同時に、我々人間の認識能力が「構想された真実」に基づいていることを言っているのではないか、と感じた。

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日本における「不適応者」とはつまるところ「オタク」のことだし、芸術家とはある意味においてみな「不適格者」として新しい可能性にチャレンジし続ける人たちのことを言うのだと思う。

ひとつのところにとどまっている限り、お金は稼げても新しい体験には巡り会えないし、考え方も固定されてしまう。それが1人の人間という存在にとってよいことなのだろうか?
エリック・ホッファーという人からは、立花隆やファインマン、それにチベットで会った放浪するオランダ人と同じような印象を感じた。

2005年05月04日

わたしが子どもだったころ - エーリヒ・ケストナー


なだいなだの本に出てきたので読んでみた。

ケストナーさんの名前はどことなく知っていたのだけど、彼が「点子ちゃんとアントン」の作者だったとは知らなかった。
「ふたりのロッテ」だとか「飛ぶ教室」、それに「エーミールと探偵たち」なんてのは小学生のころに読んだ記憶がある。

なだいなだの本での紹介としては、「資本主義社会が成立していく時代を子どもの視点で描いたもの」というノリで、たしかにそれはその通りで興味深いのだけれど、それ以上にこのケストナー一家とその身の回りの人たちのエピソード、そして何よりもこの才気煥発なケストナー少年の活躍がとてもとても面白い。

お母さんの盲目的に近いともいえる愛情と、それを大人しく受け止めようとするケストナー少年の気持ちの描写はとても心が暖かくなる。

2005年03月19日

司馬遼太郎の「かたち」 - 関川夏央


司馬遼太郎の人生最後の10年間に書き連ねられた「この国のかたち」を通して、彼のパーソナリティーを垣間見ることが出来る本。

筆まめだった彼は、文芸春秋に「この国のかたち」の原稿を送る際、必ず手紙を同封していたようで、その手紙の文面から見えてくる彼の思いがとても面白く感じられた。

死ぬのは怖くないけど老いるのは怖く、リアリズムが好きで正義が嫌いな彼は、徹底的な資料集めを行うことで歴史上の人物に限りなく近づいて、彼にとっての人物像を描いていくことですばらしい小説の数々を紡ぎだすことに成功する。

- 負け好きでないと人間いけないんだ
- 思想というものは、それ自体で完結し、現実とは何のかかわりももたないところに思想の栄光がある。

結局、司馬遼太郎という人は、自分に対してとても正直に生きた人だと感じた。

**

「この国のかたち」はいとおしむようにして、第5巻まで揃え、第4巻まで読んだ。
第6巻が揃ってないのだけれど、近いうちに揃えてゆっくり読んでみようと思った。

2005年03月17日

ベラ・チャスラフスカ - 最も美しく - 後藤正治


チェコ出身の体操選手、ベラ・チャスラフスカの生き様に迫ったノン・フィクション。

ちょっと冗長的なところが多いのだけれど、40年間続いた共産主義国家において、誇り高く「個人」として生きようとしたチャスラフスカの姿が描かれる前半がなかなかよい。

NHKの「共産主義の20世紀」みたいな特集で出てきたドゥプチェクや、地下放送を続けたアナウンサー、それに・・・、とチェコの人たちが生きた20世紀後半を1人の体操選手を通して映し出される。

もっとチャスラフスカ個人の考えなんかに迫って欲しかったのだけど、直接のインタビューも叶わなかったし情報ソースが不足していたのだろう、周りからの視点がメインになってしまっているのはいささか残念なところ。

2005年01月29日

マクナマラ回顧録~ベトナムの悲劇と教訓~ - ロバート・S・マクナマラ


たくさんの教訓と示唆に富んだ本。

立花隆の書評に「政治に興味のある人であれば、1読、または2読にも値する」と書かれていたので読んでみた。
もともと政治の世界は苦手なのだけれど、この本をベースにした映画「戦争の霧」はとても興味深かった。

極めて優秀な1人の人間であるマクナマラが、国防長官という立場でどのようにふるまい、苦悩したかが豊富な引用資料を使って解説されている。
ケネディーやジョンソンをはじめとして、マクナマラ在任中のアメリカのトップにいた人たちの表情も読みとることができる。

前々から疑問だった「戦争努力」(War Effort)という言い方がなんとなく理解できた気がする。
特に北爆開始の際の判断や、北爆中止を訴えかけて覚書を書いたりしているくだりからは、特にそういった考え方を伺い知ることができた。

「掛け金をつり上げて白熱しているつもりが、実は掛け金なんてはじめから存在しなかった。」

国際政治においてありがちなことだけれど、「相手側が何を思って行動しているか」。
要するにそれを知ることこそが一番重要な事なのだろう。
アメリカのスーパーパワーが世界に対していかなる影響を及ぼすかどうか、もっとアメリカ人たちは真摯に考えるべきなのだ。

2005年01月10日

ご冗談でしょう、ファインマンさん (2) - リチャード P. ファインマン


ああ、やっぱりこの人大好きだわ。

単純に頭がよくて、それを活用しようしようとウズウズしているうえに、視線がとてもフェアーに保たれていて、それでいて好奇心も人の300倍はある。
こんな人が面白くない人生を送るわけがない!

とはいえ、「不正直な馬鹿ほど腹が立つモノがない」なんてコメントは自分のことを怒られているようで少々居心地が悪い。
せめて正直な馬鹿になるべき、と思う今日この頃。

なんだって、やってみなくちゃわからない。

2004年11月09日

ご冗談でしょう、ファインマンさん - リチャード P. ファインマン


面白くてあっという間に読み終わってしまった。

もはやただの物理学者という枠には収まりきれない面白い人間、リチャード・ファインマンのエピソードを集めた本。
なんていうか、彼は色々な才能に恵まれた人だと思う。
でも、彼のその才能を素晴らしいものにしているのがごくごく一般的な「正直さ」だったりするのがとても興味深い。

「本はあくまで道具やきっかけにすぎず、問題はそれを読んで考える人間の方だ」と、前々から思っている。
さらにいうと、ある種の人々にとって読書というものは他人が考えたことをベラベラとまくしたてられる厄介な代物に過ぎず、頭の良い一部の人にとって読書の必然性はないなぁ、と感じることも多いのだけど、まさにファインマンはこういった「頭の良い人」の部類に入る人だと感じた。

何事にも興味を持つこと。
なんだって楽しんでやってみること。

このふたつを知っていれば、大抵の人生は随分楽しくできるのに違いない。

2004年10月19日

ルーツ - アレックス・ヘイリー (2 & 3) / 3


クンタ・キンテと、その子供達・孫達の物語。

「結局人間が人間に支配されている限りは幸せになんてなれっこないのだ」

なんといってもチキン・ジョージの話が一番面白い。
彼が他のだんなの家の奴隷に求婚しに行くところの描写はまるでパールバックの「大地」のようだし、イギリスに渡って帰ってきて自由になった一家を新しい地へと導くところも非常に勇気づけられる。

やはり現代は歴史のある時代と比べればまだマシになった時代なのだろうか?
「ルーツ」ではこの世の楽園のように(少なくとも精神的には)描かれている文明のアフリカ的段階の生活がどのようなものだったのか?

現代社会のシステムに対する疑問と同時に、その改善方法について考えさせられる素晴らしい本。

2004年10月10日

ルーツ1/3 - アレックス・ヘイリー


著者が、先祖であるアメリカに連れてこられた黒人奴隷クンタ・キンテの系譜を辿った著述の1/3。

思えば、この本は就職活動で日本に帰ってた時に教養文庫がなくなってしまう際のフェアーの時に見かけて以来ずっと気になってた。
その時は「菊と刀」と「東方見聞録」しか買わなかったのだけど、その次に見かけたのが神保町の古本屋の店先で、3冊2,000円だった。

なんだかその値段で買うのが癪だったので、1,800円で売ってるアマゾンのマーケットプレイス経由で買った。
気のせいかその店先で買ったものと同じもの(古さと、それでいて全体的にきれいなところが)のように思えたが、その可能性もありうる。

アフリカでの生活がとても楽園的に描かれていて、そこからアメリカに連れてこられた経緯の描写は対照的に地獄のよう。
誇りを持ち続けるクンタ・キンテの運命やいかに!・・・ってことで2巻へと続く・・・。