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われわれ自身のなかのヒトラー - ピカート

その他


ナチスの台頭を許した近代ドイツで何が起きていたのか、という観察を通じて、連関性を失った近代の人間像に迫った良書。
自分が考えていたことと共通点も多く、とても印象的な読書体験だった。

内容としては、連関性の失った人間、「ロゴスの喪失」、そして連関性のない世界での秩序(もしくは真空)に関する詳細な著者の視点を提供した上で、ナチスというシステムがいかにして連関性を失った世界で台頭したかが書かれている。
前半部分で著者の主張はほとんど展開されてしまうので、後半部分は冗長的な感じがした。

著者はナチの外貌を評してこんな言葉を紡いでいる。

“巨大な空無の堆積から何事かを吠えるような声が聞こえてくるー押し出されたような叫び声が発せられてはいるのだが、それが命令をくだす者の叫び声なのか、或いは圧迫に耐えかねて悲鳴をあげる被命令者の叫び声なのか定かでない、ーーまた腕が振り上げられるのだが、それが人を殺すために振り上げられた加害者の腕なのか、或いは抵抗しようとして振り上げられた被害者の腕なのか定かでなく、絞首人の腕か或いは被絞首人の腕か見分けがつかない、ーーさて、それから一瞬間静かになる、しかし、以前の叫び声がどこから発せられたのか確かでなかったのと同じく、この静けさもどこから生じたものなのか確かでない。いや、叫声を発し、そしておのが叫声を呑み込むときに一瞬の静寂を生ずるところのものの正体は、実は空無自体なのだ。が、やがてふたたび、この空無から一つの叫び声が恐ろしい勢で押しだされてくる。それは叫び声としか言いようのないものである。そしてこの叫び声が空無自体なのだ。”

また、人間存在、またはその相互関係に意味を与えるものとしての「愛」についてはこんなことを書いている。

”人間のもろもろの体験が時の経過とともに次第に遠方へと押しやられるだけではなく、次第にその意味を失ってゆくこと、このことは、経過し消滅してゆく時間の有する性格の一つである。そのために人間はもはや自己の体験に対して、当然払うべきはずの関心を寄せえなくなる危険にさらされる。自己の体験に至当な関心を抱き続けるためには、「愛」が必要なのだ。
真の内的連続性を創造するものは、この「愛」である。ひとりの人間の過去をーーひとりの人間が体験したすべてのものをーー内的統一へと結晶せしめるのは、まさにこの「愛」である。人間が過ぎ去ったものに愛情を寄せることにより、つまり彼が過去のものを愛情をもっと受け容れることによって、彼はそれを一つの秩序のなかへ、とりもなおさず一つの連続性のなかへと置くのだ。そして神が「連続」であるだけではなく、また「永遠」であるのは、神があらゆる事物や人間を最大の愛において抱擁している正にそのためなのである。”

少しキリスト教的な香りのする文章だけど、「愛」と「永遠」ということについて、素晴らしくうまい点をついていると思う。