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自転車チャンピオン

1953-1955年に、史上初のツール・ド・フランスの三連覇を達成した伝説的なレーサー、ルイゾン・ボベによるロードレース讃歌。

「未来の自転車チャンピオンとなるべき少年に勇気を与えるために書いた」とされるこの本は、彼にとってのプロデビュー戦となったシルキュイ・デ・ブークル・ド・ラ・セーヌ(今はもうないフランス国内のレース)で輝かしい勝利を挙げたところから始まり、バルタリやコッピといった偉大なチャンピオン達がいかに優れたレーサーだったか、そして彼が戦ってきたレースでいかにして勝利を手にしたか、そしてまたいかに多くの挫折を味わってきたか、ということが細々と描写されている。読み始めたら止まらなくなって、一気に読み切ってしまった。

彼がツール三連覇を達成したのは、コッピの絶頂期とアンクティルが台頭してくる時期の狭間だったと言うこともできるのかもしれない。それでも、現代以上に過酷なコンディションだったツールで三回も連続して勝利し、世界選手権やその他のメジャークラシックレースで勝つことができたのは、彼が傑出したレーサーであったことの何よりの証。

自転車レースをこよなく愛し、偉大な結果を残したレーサーが半世紀近く前に書いた本は、自転車レースの魅力や本質が、今でも全く変わっていないことを教えてくれる。

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個人的に面白かったところを引用。

僕の横で、ティエタールが消耗した顔で言った。 「もう俺は引けない。だが、俺を置いてかないでくれ。この脱力発作なら、もうすぐ乗り越えられる。お前一人で飛び出しても、すぐに燃え尽きるぞ。20km先で、コースの上で大の字になるのが落ちさ」 ティエタールの言い分が気になった。彼の言うことが正しいのか、それとも間違っているのか。僕は迷っていた。 そしてティエタールの意見に傾きかけたちょうどそのとき、後ろから「パナール」のクラクションが聞こえた。やっと追い付いてきたのだ。 自分の後ろに車が来たのが分かって、ようやくこの精神的危機から逃れられた。そしてティエタールに憐れみは禁物とばかり、小さな坂を利用して彼を置き去りにした。一人残された彼は脱力症状のままコース上をジグザグに走行していた。 「あーッ!裏切り者め!」と叫ぶ声が聞こえたが、良心の呵責はなかった。僕は自分の運命に向かって、再びスピードアップした。 (P.58)
1948年のファルケンブルグの世界選手権では、コッピとバルタリは何とも情けない光景を繰り広げた。すでに遅れを取っている集団の中で二人は一向に動こうとしない。まるで二人だけの一騎打ちであるかのように、ただ互いに睨み合ったままで、トップとの差はどんどん拡がるにまかせていた。そして結局、二人ともゴール手前の何周目かでみじめにリタイアする破目になった・・・・引き分けで満足だとでも言わんばかりに。 (P.128)

(このエピソードは"The Rider"にも出てくる。一流ロードレーサーがいかに強いライバル意識を持っていたか、ということがよく分かるエピソード)
僕は愛情をこめて自分の機材を調整した。とくにチューブラータイヤは、前年のうちにストックを大量に買い込んでおいて、一冬かけて乾燥させ、パンクしにくく、ホイールに接着しやすいタイヤに仕上げた。 (P.197)

(近年でもどこかのプロチームのメカニックがタイヤをワインみたいに寝かせる話を聞いたことがあったけど、昔から同じようなことが慣習的に行われていたみたい)

自転車乗りの三種族に関する説明を勝手に要約。

- "sprinter"は英語からの借用。スプリンター。
- "grimpeur"は「攀じ登る(grimper)」人。グランペール。
-> 下りが得意な選手は「下り屋(descendeur)」(デサンデール)、あるいは「転げ屋(degringoleur)」(デグランゴレール)と呼ばれる。
- "rouleur"は「(ペダルを)回す(rouler)」人。ルーラー(ルレール)。
(P.68)

あとは・・・圧倒的な独走力を持っていたものの、アタック力に欠けていたアンクティルに対しては、「アンクティルへの助言」という形でひとつの章をまるまる彼へのアドバイスに割いている。その中でスプリントに関する部分が個人的に多いに励みになったので、引用。

とはいえ、この章を閉じる前に、ぜひ言っておきたいことがある。つまり、意思ー勇気と言っても同じことだがーによってしか実現できない進歩について言っておきたいのだ。 例えば、デビューした頃の僕は、自分はスプリンターじゃないと思っていた。僕のトップ・スピードなんて大したことはない、と自分でも馬鹿にし切っていて、集団ゴールになったときでも、勝負を挑もうなんて考えもしなかった。僕にとっては、トップ・スピードというものは生まれつきの才能であって、それに恵まれるか恵まれないかだけの話だった。 だが、何年か経つうちに、そういう風に理屈で考えるのは馬鹿げていることが、経験から分かってきた。200km以上の過酷なレースをした後で疲れ切っている場合には、いくら優秀なスプリンターでも、よりスピードの劣ったーただし、より余力のあるー選手に敗れることがよくあるのだ。
少しずつ僕はスプリントで戦うためのポジション取りを学んでいった。それには多くの努力と忍耐が必要だった。だがすぐに、自分がかなり進歩していることに気が付いた。負け戦をする代わりに、絶えず自分に言い聞かせていたのだ、「気味はまだ元気だ、まだ余力がある。ポジション取りさえ上手くやれば、勝てるんだ。君に勝てないわけがない」と。そして「君に勝てないわけがない」と繰り返しているうちに、僕は少しずつ、集団ゴールになった場合の要注意選手、と誰からも認められるようになっていった。 (P.191)

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2010年03月24日 07:15に投稿されたエントリーのページです。

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