シークレット・レース

タイラー・ハミルトンによる福音。



タイラー・ハミルトンはアメリカ人の元プロサイクリスト。アメリカ人ジャーナリストのダニエル コイルが取材し、プロレース界に蔓延しているドーピングの事実を明らかにしながら、プロサイクリストとしてのキャリアを綴っている。陳腐な言い方をすると「衝撃的な内容」で、ナイーブな見方をしている人がこの本を読むと、自転車競技そのものが嫌いになってしまうのでは・・・と思ってしまうほどの内容。

ハミルトンはアメリカのチームでプロとしてのキャリアをスタートさせ、99年にはじまるランスのツール連覇に貢献し、ポスタルを離れた後はチームCSCのエースとしてランスと争い、オリンピック金メダルを獲得したキャリアの絶頂期の直後にドーピングで競技から追われ、復活を目論んだもののうまくいかず、レーサーとしてのキャリアに終止符を打った。

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パンターニの本(ルコ・パンターニ―海賊の生と死)や、ポール・キメイジの本(ラフ・ライド)、その他多数の本やニュースを読んでいれば、プロレーサーの中でドーピングが常態化していたという観測は容易に成立するはずだし、自分もそうだったんだろうなぁとは思っていた。・・・のだけど、この本ではランスのツール7連覇の初期に片腕として活躍した「内幕を知る人」が、彼らが使っていたドーピング戦略を赤裸々に書き出しているので、これまでに読んできた本とは一味違った「重み」を持っている。

過去数ヶ月のあれこれで90年代以降のプロレースがどっぷりドーピングに浸かっていたことが再確認されたわけだけれど、スポンサーシステムによって賄われる多額のチーム運営資金や、その結果として選手に求められる「プロとしての結果」、それに「見せ物としての自転車競技」といった側面を見ることなく、「ドーピング=悪」と決めつけるのは早計なのかなと思う。少なくとも、選手個人個人に全ての責任を押し付けることはできないと自分は思う。

今年はパリでツールを観戦していて、ヨーロッパでの自転車レースは純然たるスポーツである以前に「超人びっくりレース」であり「お祭り」であり「見せ物」であるということを強く感じたのだけど、これは例えばもともと日本古来の武道の一種だった柔道や、祭事的な性格をもっていた相撲などが近代スポーツとして認知されていった過程で様々な問題を指摘されてきたことにも似ているのかなと感じた。

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・・・とはいえ、ドーピングが常態化していたプロ選手の中で最も堂々としていながら、用意周到かつ徹底的にドーピングをしていたランスは、良くも悪くも大物だったんだなーということを再確認。ゲームの賭け金を上げられるまで上げてしまった状態で、他の選手もドーピングをしている環境で勝ち続けたのはなんだかんだ言って凄い。

シークレットレースが出るよりも前に、似たような境遇にあったフロイド・ランディスが、自信の経験も含めたドーピングの告発本(ラフ・ライド)をずっと前に出していたポール・キメイジによって受けたインタビュー(“THE GOSPEL ACCORDING TO FLOYD”必読!)も赤裸々な内容でびっくりさせられたけど、シークレット・レースは過去数十年間自転車競技が背負い続けたドーピングが今後議論される上でのメルクマールとなるような、そんな本なのではないかと思った。