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2009年05月15日

経済成長という病 - 平川克美


Title: 経済成長という病 (講談社現代新書)
Author: 平川 克美
Price: ¥ 777
Publisher: 講談社
Published Date:

ここ数年の間に起きた出来事を振り返りながら、世にまかり通っている「経済成長=絶対的によいこと」という常識を疑う思考が詰まった本。

実際問題として、日本という国はがむしゃらな発展期を過ぎて急速にオヤジ化~老化局面を迎えているわけで、そういった現実を直視した上で国家戦略を組み立てていく必要があるように思う。手放しで絶賛されてきた新自由主義の功罪、経済活動に限らず「人類の発展」だとか「よりよい世界」とかいった美名のもとに行われるグロテスクな活動などに対する懸念がパラパラと書かれている。

2009年05月06日

反貧困 - 湯浅誠


Title: 反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
Author: 湯浅 誠
Price: ¥ 777
Publisher: 岩波書店
Published Date:

今そこにある日本の貧困に「NO」を唱える本。
バブルが弾けて国家としての勢いも失いつつある中においてもなお一億総中流の幻想から醒めない日本で、経済的・社会的に行き詰った人たちがどんな扱いを受けているか、そしてそういった人たちを救済しつつ、豊かな社会を作っていくためにはどんな活動が必要とされているのか、ということが書かれている。

「格差社会」だとか「下流」とかいった言葉は既に違和感なくメディアを流通する言葉になっているけれど、国内における「貧困」という言葉はまだまだメディアに登場する機会が少ない。この本の著者が日々向き合っている「貧困」は、日本国憲法によって保障されている「健康で文化的な最低限度の生活」が脅かされている人たちの「待ったなし」の「貧困」。

例えば、「ネットカフェ難民」という言葉がメディアに登場するやいなや「分かりやすい貧困」として政府の重い腰を動かす結果になったわけだけれど、「ネットカフェ難民」という現象の裏にある根本的な問題に対して政府が何らかの措置を取っているようには思えない。

今の日本に必要とされているのは、経済発展を前提とした弱者を切り捨てることを厭わない戦線拡大ではなく、経済活動が縮小していく中でも国民の「最低限の生活」が守られるようにするための知恵であり、制度であり、痛みを共感する心なのではないかと感じた。

2009年04月16日

子どもの貧困 - 阿部彩


Title: 子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)
Author: 阿部 彩
Price: ¥ 819
Publisher: 岩波書店
Published Date:

貧困学者による「日本の子どもの貧困論」。

「格差」という言葉がメディアをにぎわすようになって久しいけれど、この本で扱っているのは「貧困」問題。「貧困」の定義にも「相対的貧困」と「絶対的貧困」というのがあって、ひとつの社会の中での貧困(相対的貧困)と全世界共通の尺度での貧困(絶対的貧困)とがあるのだそう。この本における「貧困」とは「ひとつの社会において最低限の生活を送ることができない状態」(=相対的貧困)。

「国民総中流」の幻想が未だに深く根付いている日本では、「格差」の存在がまずもって注目されているわけだけど、何らかの形で補助を必要としている「貧困」状態にある人の数が想像以上に多いことに驚いた。

「子どもの貧困」という観点で見ると、シングルマザー世帯の子どもの貧困率が突出して高いようだ。それぞれの家庭の「格差」が子どもの「格差」として引き継がれている現実と、いかに政府が打ち出している「貧困対策」が空回りしているか、ということについても指摘がなされている。一番困ってる人に救いの手が届いていない現実をどうにかしたいという著者の気持ちが伝わってくる。

イギリスでは、ブレア元首相が打ち出した「2020年までに子どもの貧困をなくす」宣言によって、ティーンネイジャーがポコポコ子どもを産んで給付金で生活して・・・という問題が出ていると聞く。もちろん、これはこれで問題であるとは思うのだけど、ひとつの社会における子どもの価値は、その社会の全ての構成員にとって共通の価値なので、過度にフリーライダーを排除するような方向に動く必要はないのではないかと感じる。

日本におけるこの手のセーフティネットの拡充は、いつも対応が後手後手に回った挙句に何がしたいのかよく分からない形で世に出てくるように思うのだけど、この問題ばかりはきちんとした形での対応が求められているように思った。

2009年03月18日

ヤバい経済学 - スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー


Title: ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する
Author: スティーヴン・レヴィット, スティーヴン・ダブナー
Price: ¥ 1,890
Publisher: 東洋経済新報社
Published Date:

いわゆる「経済学」という枠にとらわれずに、経済学というツールを使うことでいかに面白く世界を見ることができるか、ということを実践した本。

90年代のアメリカで犯罪が激減した理由は「1970年代の中絶合法化」であるとか、相撲には八百長が存在するとか、子育てにおける親の存在価値だとか、クークラックスクランと不動産屋の類似点だとか、どこか「ヤバい」香りのするネタがたくさん詰まっている。

マジメでカタい学問になってしまった「経済学」とは対照的に、数値をいじってどうにでも結論を出せてしまう(ような印象を受ける(偏見ですみません))「社会学」が扱っているようなネタに、経済学的アプローチを持ち込むことで、世間の常識とはかけ離れた興味深い考察を行っている。

人が流動的に活動する社会の中で筆者が注目するのは「経済的インセンティブ」「社会的インセンティブ」「道徳的インセンティブ」の三つ。

個人的に「いわゆる」経済学がどうしても好きになれない人間なのだけど、こういう切り口は大好き。故・森嶋道夫さんもよく本の中で語ってたけど、やはり経済学はもっと自由であるべきだと思うんだよね。

2009年02月11日

行動経済学 - 友野典男


Title: 行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)
Author: 友野 典男
Price: ¥ 998
Publisher: 光文社
Published Date:

「行動経済学」とは、経済人(100%合理的な神のような人間で)を前提とした経済学ではなく、人の認識能力の欠陥や、感情のブレといった要素を組み合わせて経済活動を研究する比較的新しい学問。

数理経済学の「カタさ」にウンザリしている自分としては、この学問コンセプトには大いに共感できるところがあるのだけど、実際の所まだまだ黎明期の段階で、学問としてのまとまりに欠ける印象を受けた。一歩間違えると(間違えなくても?)胡散臭い社会学に脱線してしまう危険性を孕んでいるような気がするようなしないような・・・。

本自体にはなかなか面白い実験結果やネタが詰まっているので興味のある人は読んでも損はしないと思う。

2009年01月31日

立身出世主義 - 竹内洋


Title: 立身出世主義―近代日本のロマンと欲望
Author: 竹内 洋
Price: ¥ 1,995
Publisher: 世界思想社
Published Date:

明治維新以来の近代日本の立身出世主義について研究した本。

明治初期は真の意味で高等教育を受けることに意義があった時代だったようだけど、その後には高等教育を受けるという価値感だけが高騰してしまい、結果として自己目的化した受験社会を生み出すに到った・・・というのがこの本の主旨(まとめすぎ)。

この「真に高等教育を受けることに意義があった時代」に、いかに立身出世ということが社会に広まり、若者達を鼓舞し、東京の人口を増やし、苦学生を生み、近代日本を形作ってきたか・・・ということが丁寧に研究されている。

エリートの輩出装置だった旧制高校のバンカラぶりや、高等小学校卒の「インテリ志望」達のクーリングオフ装置となった自習用の講義録の話。さらには苦学生達の苦労と「学校出」の中流階級が創出されていく過程などなど、様々な視点から近代日本の立身出世「幻想」を見つめていて、とても面白く読むことができた。

現代日本においては崩れつつあるにせよ、近代日本が造りあげてきた社会構造の一端を覗くことができる有意義な本。

2009年01月20日

安全。でも、安心できない… - 中谷内 一也


Title: 安全。でも、安心できない…―信頼をめぐる心理学 (ちくま新書)
Author: 中谷内 一也
Price: ¥ 735
Publisher: 筑摩書房
Published Date:

社会心理学的アプローチから、人が様々なリスクファクターをどのように扱うか、ということを論じた本。

当事者にとっての「安全」と、利用者や消費者等にとっての「安心」の間には深い溝があって、それをどのようにしたら埋めていくことができるか、ということをテーマに、様々な「安全学」のモデルや理論が紹介されている。

リスクを判断する側から見て、

「当事者の能力」
「当事者のモチベーション(動機付け)」

といったファクターが大事であることは間違いないのだけれど、多くの場合において「当事者達の意識」と「判断者側の意識」に隔たりがある、という指摘は的を得ている。また、リスクを判断する側が適切な専門知識や強い動機を持っていない場合には、第三者を介した間接的かつ表面的な形でのリスク勘定が行われることが多い、というのもその通りだなぁと思う。

2008年12月29日

階級にとりつかれた人びと - 新井潤実


Title: 階級にとりつかれた人びと―英国ミドル・クラスの生活と意見 (中公新書)
Author: 新井 潤美
Price: ¥ 735
Publisher: 中央公論新社
Published Date:

英国の階級システムの特異さ。
特にミドルクラスのそれについて論じた本。

ミドルクラスという階級の成立からロウアーミドルクラスの勃興。さらに、同じクラスの中でも絶妙な上下関係が存在することなど、英国文化に長いこと触れてきた著者にしか書けない知識が詰まっている。

2008年12月23日

不機嫌なメアリー・ポピンズ - 新井潤実


Title: 不機嫌なメアリー・ポピンズ―イギリス小説と映画から読む「階級」 (平凡社新書)
Author: 新井 潤美
Price: ¥ 798
Publisher: 平凡社
Published Date:

現代の英国においてもまだ存在する「階級(=クラス)」を小説や映画から読み解いた本。

喋る言葉から住む家、飲むお酒から楽しむスポーツまで、何から何までが異なる英国における「階級」は、ほぼ全ての英国人が意識せざるをえない重大事項。アッパー・クラス(貴族)とワーキング・クラス(普通の人)までは分かりやすいからよいとして、英国における階級を決定的に特徴づけているのはアッパーとロウアーに分断されたミドル・クラスの存在。

ミドル・クラスは、英国が豊かになり始めた時代に一財産を作ったワーキング・クラス出身の富裕層によって確立された階級で、典型的に「ジェントルマン」と呼ばれる。これは、いわゆる本物の「ジェントルマン」を規範としつつ、どうあがいても本物のジェントルマンにはなれない彼らに対する蔑称でもあったのだそう。

裕福な商家や企業家、それに名誉的な職業(弁護士、医者)に就いている貴族の次男、三男などによって形成されたミドル・クラスがひとつの社会集団として認知されていったのに対し、ビクトリア時代の都市部で労働者階級からの脱却を計った人々は典型的にロウアー・ミドル・クラスと呼ばれた。彼らは主に都市部におけるホワイトカラーとして働き、いわゆる労働者階級とは異なる生活様式と価値観を持ちながらも、「確立されたミドル・クラス(=アッパー・ミドル・クラス)」にはどうしても届かない身分であった。

英国の階級をややこしくしているのが、財産や教養、それに結婚などによって階級間(特にミドル・クラス)を移動することができる、という状況。インドのようなカースト制であれば、階級はその出自によって決まるからどうしようもないけど、自分の才覚や努力によってより「恵まれた階級」に身を置くことができる可能性が開かれているという事実は、より一層彼らの「階級に対する強い興味と自覚」を促したのではないかと思う。

結局の所、こういった階級分けはいわゆる「文化のサンスクリット化」的状況に他ならない。財産や土地を持っている人がより優雅な生活を送っていて、持ってない人がその財政状況に応じた生活をしている・・・というところまでは世界共通なのだろうけど、中世以降のイギリスでは「中流」と呼ばれる階級が世界で初めて生まれ、その階級の存在によってイギリスの階級マインドが誕生したのではないかと思う。

映画や小説を題材にしているのでとっつきやすく、英国の階級が実際のところどうなのか、という疑問に応えてくれる良書。

2008年04月24日

女は何を欲望するか - 内田樹


Title: 女は何を欲望するか?
Author: 内田 樹
Price: ¥ 1,890
Publisher: 径書房
Published Date:

内田樹さんによるフェミニズム論。

社会活動としてのフェミニズムが下火になってしまった今、フェミニズムという考え方の存在意義を認めつつも、フェミニズム的主張の中でおかしな部分に対して鋭いツッコミをいれている。

例によって、「フェミニズム」という考え方をネタにして、自由気ままに議論が展開されているので、少し冗長的なところもあるけれど、そのあたりも含めて面白く読めた。

「**として読むこと」「**として書くこと」、に関する議論がなかなか興味深くって、フェミニズムとかそういうのを抜きにした普通の文学論として楽しめた。要するに、「ことば」というものは、書いている方も読んでいる方も、その内容に関して常に自覚的ではないのだ、というところに集約されるのだと思う。

「正しそうな」主張や理論には、注意した方がよい。
その主張や理論の虜になった人は、多くの場合においてその「正しさ」の射程範囲を誤認して、その「正しさ」を世界全体に対して適用してしまいがちだからだ、という冒頭の文章は実にまっとうな意見だなぁ、と思った。

2008年04月03日

自分探しが止まらない - 速水健朗


Title: 自分探しが止まらない (ソフトバンク新書)
Author: 速水 健朗
Price: ¥ 735
Publisher: ソフトバンククリエイティブ
Published Date:

「身も蓋もない言い方をするなら、自分探しの旅とは、現実逃避のことだ」・・・ということをのがこの本の主旨。

ただし、自分探しに没頭して、結果自分を見失ったり、世間から外れて生きている人たちを無闇に攻撃するような本ではなくて、日本の戦後の社会的状況をきちんと汲み取って、「自分探し」という風潮がいかにして生まれて来たか、ということについてしっかりと論じている。

実際、つい最近の自分にも、色々と悩み事があったりして、今の境遇を離れてエクストリームな世界に出て行こうかなぁ・・・なんて漠然と考えたりしていた時期があったので、「自分探し」に没頭する若者とは他人事ではない。

著者があとがきで書いているとおり、自己啓発セミナーのようなところで行われているポジティブシンキングは、ある局面では非常に有効なものだと思うし、身の回りの様々なことに対して、何の疑問も抱かずに生きてしまうことも問題だと思う。

結局のところ、色んな意味で恵まれている自分たちの世代にとって必要なものは、大人の視点を持って、逞しく世の中を渡り歩いていく勇気なのかなぁ、と感じた。

2008年01月01日

街場の中国論 - 内田樹


Title: 街場の中国論
Author: 内田 樹
Price: ¥ 1,680
Publisher: ミシマ社
Published Date:

すごく「まっとう」な中国論と「インスパイアリング」な議論が詰まった本。

この本は、よく本を読んで考える人が陥りがちな落とし穴をきちんと回避しながら(あるいは、回避できるようベストを尽くしながら)、中国という国について論じているのが最も大きな特徴だと思う。中国に関する素人である著者と学生だからこそ、素人にとっても分かりやすく、プロの世界で共有されている「空気」に汚されることなく自由な意見を交わすことができたのだろう。

中国に関する基礎知識や新しい視点を提供してくれると同時に、「国」や「社会」、それに「政治」といったことに関しても優れた議論が展開されていて、グイグイと引き込まれてしまった。
2008年に初めて読み終えた本がこういう面白い本で幸せだと思った。

2007年12月29日

株式会社という病 - 平川克美


Title: 株式会社という病 (NTT出版ライブラリーレゾナント)
Author: 平川 克美
Price: ¥ 1,680
Publisher: NTT出版
Published Date:

「株式会社」という存在が、どういった危険性を孕みつつ、現代において最も活動的かつ生産的な組織として機能しているか・・・といったことが論じられた本。

特に日本に関して言えば、「株式会社=お家制度の受け皿」という構図は非常に説得力のある説明だと思う。

「会社」とは、投資家にとっての投資先であり利益を生む機関であると同時に、社員にとっての生活の糧を得る場所であり、社会生活の大半を過ごす場所でもある。こういった視点を抜きにして、即物的に会社の「価値」を論ずることは危険を伴う。
会社とは、ひとつの経済的な組織であると同時に、擬人化された組織でもあるのだ。

現代の日本人がいかにして「忙しい」「消費者」となったかの説明として、高度経済成長の時代にがむしゃらに価値を生産していた頃に憧れの的であった「消費文化」への「憧憬」がある、という分析には物凄い共感できた。

沢山の物事について、冷静かつ分析的であろうとする著者の生の声が詰まったよい本。

2007年05月11日

つっこみ力 - パオロ・マッツァリーノ


「反社会学講座」、「反社会学の不埒な研究報告」に続き、相変わらず毒舌冴え渡るパオロ・マッツァリーノさんの本。

この人の本のよいところは、毒をまき散らしているのにも関わらず、絶妙なギャグのセンスで薔薇の香りを残していくところ。題名の「つっこみ力」(なぜ平仮名なのかは、本文を読んでみるべし)とは、世間一般に言う「メディア・リテラシー」というやつで、それをマッツァリーノさん風に緩く、優しく、楽しく、味付けしたものだ。

要するに、メディアに騙されたりするのは情けないけれど、それをお高いところから一方的に言うのではなくて、もう少し興味を持ってもらえるように楽しく言いましょうヨ、というのが主旨。「反社会学講座」などでも実践していたデータを活用したトリックやら、面白おかしい小話が随所に散りばめられているのであっという間に読めてしまう。
「ツッコミ=愛」とまで言い切ってしまっているところに、この本の真の力強さがあるように思う。

よくよく考えてみると、自分も会社のメールを書くときに、自分の意見に自信がない場合はよく「ツッコミ等ありましたらお願いします」なんて書いている。固い言葉で言えば「ご指摘」とか「ご意見」とかなのだろうけれど、どうせエンターテイメントやってる会社なので堅苦しいばっかりじゃつまんないよね、という意識がある。
もちろん、誰かがおかしなことをやっていたら自分も意識的に「ツッコミ」をやるようにしているし、堅苦しくなりがちなメールのやりとりに楽しさを醸し出すには面白おかしげな何かを少しでもトッピングしてあげることが重要なんじゃないかと思った。

2007年05月04日

路上のエスノグラフィ―ちんどん屋からグラフィティまで - 吉見 俊哉(編), 北田 暁大(編)


ストリート・ミュージックやパフォーマー、チンドン屋、サウンドデモ、そしてグラフィティをアカデミックな視点から調査・分析した本。東京大学の学生の調査研究がベースになっている。

現代における都会の「路上」とは、生活の一部であると同時に現実世界との繋がりの場所でもあり、実に不思議な場所であるように思われる。過度に管理された都市空間はパフォーマーにとって居心地の悪い空間となり、その無機的かつ匿名的をうち消すかのようにして、上記のようなパフォーマー達が活躍する。

個人的に、チンドン屋にはとても興味がある。子どもの頃はよくパチンコ屋さんの新装開店でチンドン屋さんが街を練り歩くのに出会ったことを思い出す。子どもながら、あの異様な格好をして賑やかな音楽を奏でる人たちは、街の中に部分的に非日常的な空間を生んでいたことに驚かされていたのだろう。
最近は渋谷のHMV周辺で若者三人組のチンドン屋さんに出会ったのだけれど、思わず嬉しくなってついていこうかと思ってしまった。最近の若者達がチンドン屋さんとして活動していることや、戦前から活躍していたチンドン屋さんの親方のインタビューは実に興味深いものであった。

最後に調査されているグラフィティとは、町中でたまに見かける落書きのようなもののことを言うらしい。ヒップホップカルチャーに影響を受けている、とか、グラフィティにも色々と種類があることは初めて知った。法律的に許されていない行為になろうとも、自分の美的センスだったりコミュニケーションだったりためにグラフィティを描く彼らは、都会という空間の中での自己を再認識するための演出道具としてグラフィティをやっているように感じられた。

2007年01月27日

安全学 - 村上陽一郎


ヒトにとっての「安全」とは何か?という議論から始まり、「安全」ということが学問の対象として捉えようとして見事に失敗している本。

正直言って、「安全学」という学問が狭義な意味での学問として成立するとは思えないけれど、その過程でなされている議論の方が面白い。「安全」というお題で色々と面白いネタが書かれていて、それを読みながら色々考えることができる、というのがこの本の正しい読み方だと思う。
決してつまらない本ではない。

2007年01月19日

所有という神話―市場経済の倫理学 - 大庭 健


正直に白状すると、途中の議論では何回か全然フォローできなかった・・・。でも、まぁ、一応読破。

「倫理学」という、やたらと対象範囲の広い学問の視点から、現代の人間社会がどんどんサムい空間になっていく現象について色々と考察している。
個人個人の「ヒト」にとって、そもそも近代資本主義や経済学がどういう価値観をもたらし、どういう矛盾を生み出す可能性を持ったものか、というところから始まり、経済システムが成立するための前提のひとつである「所有」ということ、そして「権利」ということについて、より深い意見が述べられている。

さらに、「平等であること」とは本質的などういうことなのか?という厄介な問題に関しても著者の意見が色々と述べられている。

2007年01月14日

醜い日本の私 - 中島義道


相変わらず、日本の暮らしにくさや矛盾に対して、真正面から戦っている中島義道さんの本。

ヨーロッパ的社会の洗練された居心地のよさに気づいてしまうと、いつまでたっても日本の「世間型」社会の住みにくさやおかしさは目に付いてしまうものだ。僕が随分前から諦めて、逃避するようにつとめているあれやこれやについて、真摯な態度で正確なツッコミをいれ、とことんまで闘う彼の姿勢には見習うべきところが多い。

この人の本を始めて読んだのは「「対話」のない社会」だったろうか。「うるさい日本の私」からそこそこ時間が経って、氏本人の怒りと、怒る対象についての冷静な観察はますます冴えわたっている。もはや「うるさい」とか「醜い」とかそういう次元ではなくて、「日本の社会のこういうところがよくないからどうにかしようよ」的な主張の本になっている。

読みながら、自分の中で色々と考えることがあったので、メモとして残しておこう。

言葉に酔う
空間を切り取る
内側に閉じた言語空間
「世間の空気」を壊すことへの恐怖
「身内」と「身内以外」のはっきりとした区別
大人になること=本音と建前を正しく使い分けることができるようになること

2007年01月03日

暴力の哲学 - 酒井隆史


途中からよくわからないタームや思想に惑わされて、延々と文字を追う読書になってしまった。それでも、前半で語られていた暴力論の歴史のようなものはとても興味深いし、難解だった後半でも時折「こういうことを言っているのかな?」と考えさせられるところがあったりして楽しめた。

キング牧師が言っていたという、「非暴力活動による緊張感の醸成」というのは彼の活動の核心をついていると思う。人が社会に影響を及ぼそうとするとき、誰しもが思い描くような直接的な方法よりも、ひとつの統一的かつ人の心を揺さぶる強力な「意志」を提示する行動こそが必要なのだと感じた。

暴力は非暴力。非暴力は暴力。
暴力とは、行為であり、人間の中に潜む「何か」なのだ。

2006年12月31日

平和の経済的帰結 - ケインズ,J.M.


森嶋道夫さんの本で取り上げられていたので、読んでみた。
狭義での「経済学」という枠では捉えられない本だと思う。

ケインズは、一次大戦後のパリ講和会議にイギリス大蔵省主席代表として出席する。これまでの戦争では考えられなかった大きな被害を蒙った諸国の感情は複雑で、連合諸国は敗戦国ドイツに対して莫大な賠償を請求する。
ここで良心の人・ケインズは立ち上がり、代表を辞任してこの本を書いた。

「もし、連合諸国がこのような賠償をドイツならびに他の敗戦国に対して課するのであれば、我々連合諸国は敗戦国を一代の間完全な奴隷状態として悲惨な状態に置くことになる。これは、ヨーロッパの未来にとって大きな障害となるばかりでなく、いつか大きなしっぺ返しを食らうだろう。」
・・・というのが本書の趣旨だ。

結果論的に言ってしまえば、ケインズの慧眼があったにも関わらず、国境沿いの諸地方の割譲や莫大な賠償金を規定するヴェルサイユ条約はほとんど手を加えられることなく調印され、その後のヒットラー率いるナチス台頭の遠因となった。
それでも、ケインズのやった仕事はあまりにも立派だ。
彼の仕事がなかったならば、第二次大戦の戦後処理において戦勝国が敗戦国の復興に責任を持つようなことは起こりえなかっただろうし、またもや莫大な賠償金が敗戦国に課せられていた可能性さえもある。

この本は、経済学的分析というツールを使い、いかに人がその良心を発揮することができるか、ということを示した素晴らしい例だと思う。ケインズは、経済学よりも何よりも、人間の良心に対して訴えているのだ。

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2006年12月16日

思想としての近代経済学 - 森嶋通夫


優れた本。
「市場経済」が発見されあとの、セイ法則(アダム・スミスのいう「神の見えざる手」が正しいことを前提とし、供給は常に需要を作り上げるものとする)に振り回された近代経済学のキーパーソンを通じて、数字だけで表現できない経済学の世界を紹介している。

経済学に関する本や教科書を読んでいていつも腑に落ちない思いをするのだけれど、森嶋通夫さんの文章を読んでいるとなぜ自分がそう思っていて、そしてなぜそれでも経済学が存在するべきかが漠然と理解できる気がする。

「なぜ中央銀行はお金を作り続けるのか」という素朴な疑問に対するひとつ回答として、「セイ法則が成立しない現実世界では、連続的な投資が行われる必要があり、さらにその投資をより容易にするためには利子が下がる必要がある」ということを理解できた(少し違うかもしれないが)。
また、第一次大戦後のあまりにもアンフェアな戦後処理に憤慨し、経済学という切り口から問題提起を行ったケインズの功績を初めて知って単純に感動した。素晴らしい人間ってのはどの時代にも、どの分野にもいるものだ。

2006年10月28日

「世間」論序説 - 阿部謹也


中世の歴史家、阿部謹也さんによる「世間」論をまとめた本。

ヨーロッパで近代が成立していく過程で、現在の日本に根強く存在する「個人」の成立を許さない「世間」と同じような仕組みが解体されていったと思われる。
この本では、日本の「世間」を紹介するのと同時に、その解体がいかにして発生したのかを紐解こうとしている。

中世における「神判」や「タブー」、それに「性生活」や「恋愛の理想形」など、色々と興味深い事例が挙げられている。多くの内容をいっぺんに紹介しすぎている感が否めないし、この本だけを読んでヨーロッパでの「個人」の成立が分かるわけでもないので少し中途半端な気がしないこともない。だが、筆者の興味深い著作をちょこちょこと読むことができる、という意味では十分に価値のある本だ。

結局の所、ヨーロッパで個人が生まれたのは、都市化とキリスト教の広がりによる単一的な社会思想の伝達、そして告解等のシステムによる「個」の客観的な認識等、色々な条件が積み重なった末の出来事のように思われた。

2006年06月21日

反社会学の不埒な研究報告 - パオロ・マッツァリーノ


相変わらずしょ~もないけど、理にかなった楽しい話がつまった本。

権威から武士道、経済学から社会学まで痛烈にからかった挙げ句に、うさんくさいビジネス本作者を主人公にしたフィクションで猛烈に笑わせてくれる。

社会に蔓延する妙ちきりんな幻想や、「専門家」の肩書きで好き放題なことをいう人々、それに社会的システムによって守られた特権階級まで、現代社会に巣くう面白おかしげで一般庶民にとっては迷惑でしかない現象がここまでかとばかりに取り上げていて、ほんとにマッツァリーノさんの視野の広さと知識の深さに驚かされる。

2006年04月06日

良い経済学 悪い経済学 - ポール・クルーグマン


最近、いいなぁ、と思っている人のリストに"Paul Krugman"なる人が追加されることになった。理由は簡単「経済学アレルギーを治してくれた」から。

大学生の頃から国際経済学及び経済学一般には興味を抱いていて、色々と勉強しようと苦心したのだけど、いつも似たような議論が出てきて分からなくなって諦める・・・という情けないパターンにハマっていた。さらに会社に入って仕事をするようになってからも、それっぽい本なんかを読んだりしていたのだけど、どうにもこうにも納得のいく「経済学」に出会うことができず、「結局、お金の動きだけで人間社会の仕組みを解き明かすのは無理だよ」っていう自分なりの結論に落ち着いていたのだった・・・。

で、この本を読む前に読んだクルーグマンさんの「クルーグマン教授の経済入門」で、きちんと「経済学が解き明かすことのできる限界」について書いてあることと、「世間一般に信じられていることと経済学とでは完全に矛盾することが往々にしてある」ということが何となく理解できてとてもスッキリした。

今回読んだ「良い経済学 悪い経済学」は「クルーグマン教授の経済入門」の前に出た本なのだけれど、扱っている内容が10年以上前の古いものであるにも関わらず、現代でも完全に通じてしまうとても的確な指摘がなされている。

まず、冒頭から「国と国とが経済的な競争をしている」妄想に対して真っ向から異論を唱えているのだけれど、これがツボにはまった。
メディアによって取り上げられる経済学には大抵勝者と敗者がいて、決まったサイズのパイの奪い合い合戦であるかのように報じられることが多い。「勝ち組」だとか「負け組」なんていう言い方にも通じるところがあるけれど、企業間の競争ならまだしも国家という単位で「経済的」な「競争」が行われている、という理解はよくよく考えれば全然ミスリーディングであることに気づく。このイメージは一般的に受け容れやすいから繰り返し同じようなノリで伝えられてきているのだと思うのだけれど、経済学の本分はこういったミスリーディングを助長するのではなくて、きちんとジャスティファイするものとして機能するところにある・・・というクルーグマンさんの意識がとても強く伝わってくる。

メディアは小さな声を拾い上げて拡声して多くの人に伝える・・・という機能を持っていると思うのだけれど、どの「小さな声」を選択するかはメディア自身によって選ばれているのと同時に拡声されたものを聞く人たちによっても選ばれている。で、世の中に何らかの主張を行いたい人がいたとして、その人がその主張を世の中に広めるためのツールとしてメディアが乱用されてしまった場合、それは一般的にメディアの視聴者の耳に心地よく、違和感なく届くものであるものとして伝えられるのだ。

2006年03月31日

クルーグマン教授の経済入門 - ポール・クルーグマン


山形浩生さんの訳。
1997年当時の内容だけど、経済学が胡散臭い科学なんかじゃなくて、一応それなりに正当性を持った部分を持っているんだよ・・・ということを説明してくれる。

主にアメリカ経済の話をしているのだけど、どこの国でも一般的なインフレや不況、失業率等の関係で「実際のとこ、どうなのよ?」といった内容まで教えてくれるのでとてもありがたい。

- 各国間の貿易は、本来そこまで一国の経済に大きな影響を与えるものではない(心理的な面は大きいものの・・・)
- 保護貿易はそんなに悪いものじゃない
- インフレだって、そこまで悪いものじゃない
- ユーロはもともと共通通貨を作るのではなく、通貨レートを安定するための仕組みだった

ホンモノの経済では、純粋な資本や資産の動きだけでなしに、様々な情報とそれに付随する限りなくカオス的な状況によって「結果」がもたらされるため、事実を見ようとすれば見ようとするほど何がなんだか分からなくなってくる。
クルーグマン教授の素晴らしいところは、そこで一歩ひいた態勢から「フム、冷静に考えると実は・・・」という立場にいることなのだと思った。

2006年03月05日

<子>のつく名前の女の子は頭がいい - 金原克範


なんてバカバカしい名前の本だろう。
前に本屋で見かけた記憶があるのだけれど、その時は多分こんなことを思って素通りしていたに違いない。

・・・で、山形浩生の本でべた褒めされたいたので読んでみたのだけど、これがかなりまっとうな主張をしている本であることがよく分かった。
まず、タイトルの「なんてバカバカしい名前の本だろう。
前に本屋で見かけた記憶があるのだけれど、その時は多分こんなことを思って素通りしていたに違いない。

・・・で、山形浩生の本でべた褒めされたいたので読んでみたのだけど、これがかなりまっとうな主張をしている本であることがよく分かった。
まず、タイトルの「

2005年11月03日

嗤う日本の「ナショナリズム」 - 北田 暁大


題名には「ナショナリズム」とあるけれど、60-70年代から現代へと繋がる時代空気を社会学的に概観した本。
少し前に読んだ「カーニヴァル化する社会」とかぶるところが多いものの、こちらのほうが65倍くらい難解な書き方がされている。

連合赤軍の浅間山荘事件は名前だけ有名だけど、具体的にどういうことが起きていたかは知らなかった。勢いがなくなってしまった学生活動のグループが山に籠もり、「総括」という名の自己回帰的反省を一人歩きさせて仲間をリンチして・・・ってのはなんともお粗末な展開。
糸井重里さんが60年代はバリバリのカツドウカだったのは知らなかった・・・。彼も彼なりにその時代時代の空気に流されて生きてきて(というかあの時代は特に流されやすい時代だったのであろう)いたのだな、と思った。

大きな物語の損失やニヒリズム、それに・・・と社会学で扱うネタは哲学的なものから文化学的なものまで限りなく幅広い。
ちょっと盛りだくさんすぎて読むのが疲れるけれど、面白い本。

2005年10月26日

カーニヴァル化する社会 - 鈴木 謙介


GLOCOMの倫理研究会で話を聞いたことがある鈴木さんの本。

宗教や社会、それに国家や家族という枠組みから解体されつつある現代人がどういう精神生活・社会生活を営んでいるか、という点を良くも悪くもあっさりと解析&分析している。

ここでいうカーニヴァル、というのは日常生活にポッと生まれるハイ・テンションな状態のことであり、自己回帰的で何も生み出すことのできなくなりつつ現代人が発作的に何かに没頭する状態を表している。
分かりやすいところだと、にちゃんねるの祭りのようなもの。

著者の鈴木さんが文章を通じて言いかけようとしていることが僕がここのところ考えている事にとっても近く、「あぁ、そうそう」みたいな感じで共感することも多い。社会学の新しい概念なんかは初めて聞くものが多く、とても興味深く読めた。

この書評もなかなか納得。そうそう、メッセージ性って意味では薄いっていうか何もないよね。

2004年11月23日

世間学への招待 - 阿部謹也・他


「世間」に関する論考を集めたもの。

ちょっとスカされてしまうような内容の文章が多いのだけど、まぁ興味があるので最後まで読んだ。

日本経済が高度成長期を通り越えて安定・停滞期に入り、「世間」的人間関係がまた現れつつある・・・という考えはちょっと賛成できない。
日本の「世間」的なものって、高度成長期の間も常に人と人、それに組織と組織の繋がり方として存在していて、そのときはポジティブに解釈されていたものが、停滞期に入ってネガティブに解釈されるようになった・・・というのが僕のイメージだからだ。

最後のほうの「個人という考え方の賞味期限が切れつつあり」「世間という考え方も、これからは通用しづらい」という意見には同意できた。

2004年08月28日

反社会学講座 - パオロ・マッツァリーノ


なかなか同調できる本。

テンポのよい文体で独自の「人間いいかげん史観」に基づいた現代社会の分析を行っている。
漫画のようにスカスカと読んでいける内容だけれど、語られている内容の中には深刻なものも沢山ある。

筆者が本を書くに至ったであろう利用として推測できるのが、ここのところ顕著な「富の偏在」だろう。
システムとしてアンフェアーな日本が、現実としてもアンフェアーになってしまっている描写がところどころに見られる。

日本人も外人も大抵はだらしない人間で、そのための社会保障なのにそれが効果的に機能していない国で頑張り続ける日本人はたしかに偉い。

「母は陽気な花売り娘」という自己紹介にとりあえず一本取られた。

2004年08月26日

安心のファシズム - 斎藤 貴男


21世紀に入ったあたりからの日本の危ない側面をつらつらと書いてある本。

何故か全体的にスカッと読めない文章なのがひっかかる。
マスコミや固定化した“世間”的関係の力によって思想の単一化が進んでいる、というのはそれなりに正しいと思う。
そしてそれに乗じた形で自分の望む方向に世論を作り上げ、国の進む方向をあるレベルでコントロールしている層が存在しているかのように見えるのも確か。

銃を持つ -> 銃を発射できる
軍を持つ -> 戦争ができる

というあまりにも単純な論理が通じないのが一番の問題だろう。

2004年08月22日

過防備都市 - 五十嵐太郎


全体的に、近年進みつつある「高コスト的」「ビッグブラザー的」、そして日本においては「村社会的」な要素を多く含んだ都市の変貌を憂う内容。

「人に優しい」という建前の割に、本質的なところで全然人に優しくない都市の姿が描き出される。

世界的な傾向として、「安全」に対して大きな投資が行われる風潮が高まりつつある。

これからの都市社会のあり方について考えさせられるところの多い良書。

2004年06月29日

快楽消費する社会 - 堀内 圭子


現代的「消費」に関する考察。

「おわりに」でも言われているように、小論文のような形でも取り上げられた題材をあえて本にまとめる形にしている。
読みやすいし分かりやすい。

自分でも最近考えていた題材なので、スラスラ読めた。
「消費」の概念を少し広げすぎているような印象を少しだけ受けた。

2004年06月02日

ライブ・経済学の歴史 - 小田中 直樹


最近読んだ「経済学という教養」にあわせて読むと良いズラ、と書かれていたので読んでみた。

なかなかしっかりした本。
よくある入門書のように「ミクロ経済とは・・・」とおっぱじめないのが何よりもよい。

この学問がまだ若くて、不完全で、だけど成長しようとしている姿や、スコープがよく見えた。
所詮、経済学において可視領域に入ってくるのは「財」の動きを伴った(端的に言えば、貨幣の動きの生じる)ことだけで、人間の心理的なあれこれは検証に耐えうる形では現在の経済学は扱うことができないし、これからも扱うことは難しいのだろうな、と感じた。

2004年05月28日

経済学という教養 - 稲葉振一郎


「ナウシカ解読」の人による経済学論議。

はじめのほうはまだいいのだけど、途中からのスピードはついていくのが精一杯。
全体的に非常に啓蒙的な本。

マルクスが求めていた究極の共産的社会の姿と、自分が思い描いていた社会とがあまりに近似していてびっくりした。
発射された弾丸の角度や成分は違うのだけど、落ちるところは同じ、みたいな・・・。

最近の読書の流れは
人類学・思想・宗教 -> 歴史観 -> 認識論 -> 経済学
って感じ。
週末は久しぶりに神保町に行きそうなので、まとめて経済学の本でも買ってみようかと思った。

2004年05月26日

経済学のすすめ - 池上 惇


買ってから2年してようやく一通り読んだ。
というか、ここ2週間くらいでちょこちょこ読んだらスラスラ頭に入った。
もちろん完全に理解はしてないが・・・。

どっかのだれかが「人類学、社会学から経済学を作り直すべきだ」とか、まぁ最近の自分の中でも嫌悪感を抱いてる学問だからこそ勉強すべきだな、ってのがあったので、あえてもうちょっとかじりたいな、と思いつつある。

それにしても、「少子化を効果的に行うためには女性の機会損失をあるレベルまで大きくすることで対応できる」ってのはひどいなぁ・・・。

ようやくミクロ経済とマクロ経済(ケインジアン)の明確な違いが分かった。
めでたい。

2004年05月21日

世間の現象学 - 佐藤直樹


いい!

つい最近阿部謹也の本を読んだばかりだったので、引用も含めて内容を噛みしめながら読むことが出来た。

「主観と客観」の問題についてもちょっとした議論もあって、面白い。
当然のように「世間」についての論考なのだけれど、この本を読んでいると日本で起きている日本独自な現象のほとんどがこの「世間」というシステムによるものだ、と説明できてしまう気がしてくる。

自分がへそ曲がりなのはどうやら色々と複雑な理由があるような気がしてきた。

2004年05月11日

日本人の歴史意識 - 阿部謹也


日本的「世間」に対する考察。

急いで読んだので完全に理解し損ねた気がする。
共通の価値観を持って内部に内向的時間的感覚を共有する社会構成。

う〜〜〜ん、もっと深く考えないと理解できない。

2004年02月05日

新聞の歴史 - 小糸忠吾


小糸忠吾「新聞の歴史」を途中まで読んだ。
メディアの力が事細かに、歴史を追って書かれている。

“結局ミルトンは、思想の自由市場の活用が、人間にとり、社会にとり、
もっとも必要なことであるという。
であるから「良心に従って意のままに知り、語り、論じる自由が、あらゆる自由に優先して」
与えられなければならない、とミルトンは続ける。
知る自由、言論の自由こそ、ウソを追放し、マコトの威力を発揮させる
最善の道だからであろう”

凄惨な歴史を読むと、民主主義なり人権なり自由なりの考えが、
いかに沢山の人の努力や苦労によって育まれたものかが少し分かる気がした
その基盤の上に安心して生きることができることこそが、現代に生きることができる
最大のポイントなのかもしれない、と思った