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2009年03月02日

日本語が亡びるとき - 水村美苗


Title: 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
Author: 水村 美苗
Price: ¥ 1,890
Publisher: 筑摩書房
Published Date:

「世界を繋ぐ言葉としてこれだけ英語が使われている状況で、日本語ってこれからどうなっちゃうのかしら」ということを説いた本。

巷に溢れる「言葉の乱れで言葉が滅ぶ」みたいな能天気なことを書いている本とは一線を画した視点から議論が展開されているので、大変読み応えがある。子どもの頃からアメリカに暮らしながらもアメリカになじむことができず、日本文学に染まりながら成長し、「文句なしにカッコイイ」フランス文学を大学で学んだ著者だからこそ書けた本だと思う。「日本語への愛」30%増し。

著者は、言語を以下のカテゴリーに分けている。

現地語: ひとつの言語圏で日常的に用いられている言語。
普遍語: ひとつの文化圏で普遍的に用いられている言語。
国語: 近代国家の誕生と共に発達した「ひとつの国において現地語が普遍語に昇格した」言語。

例えば、中世~近世のヨーロッパではそれぞれの地方で使われている現地語(ヨーロッパの各種言語)とは独立して聖職者や学者達によって「読まれるべき言葉」を残すために使われていた普遍語(ラテン語)が存在しており、この「普遍語」を使いこなすのは限られたエリート達だけであり、彼らは二重言語者であったということができる。この構造は中華文化圏でも同様で、漢文という普遍語にアクセスできる文化人は日本においても常に一部の上流階級や僧侶に限定されていた。

この状況が崩れたのは近代国家の誕生に伴う「国語」の発生で、ひとつの国家の中で「読まれるべき言葉」が蓄積・活用されるに伴って「普遍語」の役割の一部を「国語」がまかなうようになった。

こうした世界の動きの中で、日本語が「国語」として立ち上がることが出来たのは、日本が漢文文化をベースに独自かつリッチな言語文化を持っていたことと、独立国という立場を貫き続けることが出来たという幸運によるものだと著者は指摘している。また、数百年もの間閉鎖的でドメスティックな言語だった日本語が世界の「言葉」を受け止めることのできる「国語」に昇格することができたのは、明治時代の偉人達による働きが多いという点にも著者の筆は及ぶ。

「世界語としての英語と、ローカル言語で書く人たち」、そして「没落したフランス語」というテーマによる前半の導入部分は少しダルい印象を受けるものの、2009年に読んだ本で今のところ一番面白い本だったと思えるインスパイリングな読書体験だった。

文化の礎となる「言葉」という切り口から発せられた、鋭く尖ったグローバリズム批判の書。

2007年05月14日

おいしい日本語 - 金川欣二


言語学者・金川欣二さんによる、言語学に関する様々なネタが詰まった本。

もともと金川欣二さん自身のウェブページで公開していたものを本としてまとめたもののようだ。実は、この本に興味を持ったのも「ウェブで面白いこと書いてる人がいるなぁ」「おや、本を出しているらしい」「じゃあ、ひとつ読んでみようかね」という流れ。

「そもそも言語ってのはそんなもんなんだよ~」というメッセージが軽妙なオヤジギャグと一緒に伝わってきて、なかなか心地よい。非常に多岐にわたる分野に対するツッコミや言及があって、雑学的知識とそれを統合していく意識の流れのようなものが感じられる本だった。

もともとウェブの記事だったからか何なのか、やたらと誤字・脱字が多いのが少し気になった。

2007年04月24日

翻訳語成立事情 - 柳父章


一般論として、優れた本には深い洞察がいくつも含まれていて、読んでいて色んなことを考えさせられる。
この本はまさにそういった本のうちのひとつで、海外からの強い文化的影響を受け続けてきた日本の現代語が、近代になって出会った西洋文明から、いかに多くのを影響を受けてきたかを「翻訳」という視点から見事に切り取っている。

実に、言語とはひとつの宇宙でありシステムであるように思う。
ひとつの宇宙の中において、言葉とはその宇宙をを切り取って表現する鏡であり、システムのルール自身でさえある。と同時に、言葉とはあくまで移ろいゆくものであって、シニフィアンとシニフィアが常に一対一の関係を持っているわけでもないし、一度繋がったその関係が未来永劫保証されるわけでもない。

元々、翻訳という作業は救いようのない不完全性を持っている。
ひとつのシステムの中でさえ一定でない記号を全く異なるシステムの中に移植する、という作業がいかに絶望的なものであるか、ということはすこし考えれば分かる。
さらに、厄介な問題として「言葉は増殖する」ということが言える。
一度システムの中に現れた「言葉」は、その瞬間からシステムに取り込まれ、拡大や縮小を繰り返しながらある一定のポジションを占めるに至る。

「日本」というシステムが「西欧文明」という全く異なったシステムに出会ったときに、先人達がどういう風に考え、行動し、議論し、現代使われているような翻訳語に辿り着いたかは、とても興味深いものであった。

2007年02月16日

英語のたくらみ、フランス語のたわむれ - 斎藤 兆史, 野崎 歓


東大で英語とフランス語を教えている二人による対談。
それぞれが言語・文学・文化に興味を持ってから今に至るまでの経緯や、出会ってきた文学や人々に対する意見を交わし合いながら、言語学、翻訳、文学について自由なやりとりを楽しんでいる。

ますます実用英語一辺倒になっていく日本の外国語教育事情を憂いつつ、これまでの教養主義のアイデンティティーをきちんと見直す試みが対談のなかでなされているように思う。
実際、きちんとした文法を勉強することなく言語をあるレベル以上マスターすることは不可能だし、明治以来、戦後しばらくの間まで存在していた教養主義の空気の中では、物凄い努力によって複数の言語をマスターしてきた猛者がいるように思う。そして、そんな彼らでさえも到達できない領域がある、というのは嫌でも直視しなければいけない現実でもある。

翻訳論は少し曖昧な感じ。少し一般論でお茶を濁しているように思える。文学論になると俄然熱くなってきて、いかにフランス人が変態であるかがよくわかる対談になっていて面白い。イギリスとフランスという国は、海をちょっとまたいでいるだけでどうしてこうも違うのか・・・つくづく謎だ。

2004年11月27日

ヒトはなぜことばを使えるか - 山鳥重


臨床医であり失語症の研究者である著者が、様々な経験を通して考えた「ことば」に関する考察が、平易な言葉で綴られている。

脳や言語学に関する前提知識を全く要求せずに、とてもよくまとまっている。
「心のシステム」、「言葉と象徴性」、「言葉ってなんだろう」、などあなどの疑問点を持っている人であればきっと楽しく読めると思う。

さいごのほうの、グレゴリーが「Mind in Science」で提唱した、という心が生成される三つのシステムの解説はとても興味深かった。

2004年08月15日

言語にとって“美”とは何か(上) - 吉本隆明


えらい時間をかけて読んだおかげで本がボロボロになってしまった。

言語について、芸術について、真摯に突き詰めた言説。
日本の小説を表出史としてゆっくりと眺めていく。
驚くべきほど内容が濃い。

「吉本隆明入門」というつもりで買ったのだけれど、もうちょっと軽めのものにすればよかったかも・・・と後悔。

言語の起源について色々と考えさせられる。
自己表出と指示表出。
口語体と言語体。

・・・後半もゆっくりと読んでいくことにしたい。