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2008年05月31日

ほんとうの環境問題 - 池田清彦


Title: ほんとうの環境問題
Author: 池田 清彦, 養老 孟司
Price: ¥ 1,050
Publisher: 新潮社
Published Date:

しごくまっとうに環境問題について論じた本。

いわゆる「環境問題」には複合的な要因が絡んでいて、一概に「これが正しい」と言い切れないところに難しさがあることを教えてくれる。安易なメッセージがメディアに氾濫し、何も考えずにそういったメッセージが鵜呑みにされている現状に対する警告の書。

「環境に優しい」なんて言葉は、そもそも定義されえない言葉だと思う。地球上の環境(システム)は、ヒトがいようといなかろうと長い年月を通じて大きな変化を続けてきたし、人間の文明もまたその一部と捉えることもできる。

ヒトが「環境によい」という時、それはヒトにとって「よい」という意味で使われていることが思いのほか多いように感じる。これはどういうことなのだろう?

ヒトが「環境」について論じるとき、「環境」と呼ばれるシステムは「ヒト」を除外して機能しているような構図でもってして論じられることが多い。まるで、環境にとって「ヒト」という生物は存在しないかのように。

でも、現実問題として僕たちは生きているわけだし、世界中の人が「僕はもう生きるのがイヤになりました」と言って死滅しない限りは「環境」に干渉して生き続けていくしか道はない。

農業をやろうと、木を切って燃やしたり、石油を掘って燃やしたり、その結果として戦争をしたりしようと、環境が「ヒト」によって影響を受けていることに違いはない。

地球上のリソースは、人類の歴史を通じて「ヒト」の欲望を満たすために使われてきたし、残念ながら「ヒト」はそれを続けられる限りブレーキをかけることをしてこなかった。

これから40-50年の間に石油に変わるリソースを人類が見つけだせるのか、というのは興味深い問いかけだと思う。
エンジニアの視点からすれば、「きっとどうにかなる」なのだけれど、これはひょっとすると楽観的過ぎるのかもしれない。

2007年12月24日

ソロモンの指環 - コンラート・ローレンツ


Title: ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)
Author: コンラート ローレンツ
Price: ¥ 735
Publisher: 早川書房
Published Date:

オーストラリアの動物学者、コンラート・ローレンツさんの本。
彼が生き物と生活を共にし、その複雑な行動様式を学び、驚嘆し、感じたことを読みやすい文章で綴っている。

独立したひとつの生態系としてアクアリウムの話、コクマルガラスを飼育した話、そしてガンの子マルティナを親代わりとして育てた話など、どれも動物への愛が溢れた素晴らしい文章だと思う。
悪魔の格好でコクマルガラスの足環をつけた話だとか、街中で大声で叫んで頭上の鳥を呼び寄せた話だとか、微笑ましい話が多いのもよい。

最後のほうに書かれている、オオカミの仲間うちでの喧嘩に「礼儀」があることと、逆に弱い動物たちの間にそういったルールがないことを比較しての文章が実に印象的。

動物に対して、ステレオタイプな見方をすることを戒めてくれるよい本だった。

2007年10月22日

花と木の文化史 - 中尾佐助


Title: 花と木の文化史 (岩波新書 黄版 357)
Author: 中尾 佐助
Price: ¥ 735
Publisher: 岩波書店
Published Date:

実に魅力的な本。
人が長い時間をかけて繰り返してきた、自然にある植物に魅せられ、自然から切り離し、改良し、広め・・・という営みを概観しており、植物に関する知識のない人間でも興味が持てるように、面白い小話がたくさん詰め込まれている。

ヨーロッパで品種改良されたバラの花のほとんど全てが中国原産のバラを交配したものである、とか、チューリップはトルコが原産だとか、膨大な量の豆知識が溢れているのが素晴らしい。

現代において都会の人が目にしている「自然」がいかに人工的なものか、ということや、大航海時代にプラントハンターや名も無き水夫達が果たした役割、そしてヨーロッパに勝るとも劣らない花卉園芸文化を発達させていた江戸期のことなど、目から鱗が落ちるような読書体験だった。

2007年07月13日

栽培植物と農耕の起源 - 中尾佐助


Title: 栽培植物と農耕の起源 (岩波新書 青版)
Author: 中尾 佐助
Price: ¥ 777
Publisher: 岩波書店
Published Date:

人工的に栽培された植物の変移と起源に迫ることで、人が植物を「食べる」ために行ってきた営みをクリアーに説明した本。1966年の本だが、まったく古さを感じさせない(実際のところ、内容的には古いのかも知れませんが)。食料という人間にとって最も切実なものの歴史が綴られた、実に素敵な本だ。

もともと野生していた植物を人間が試しに食べてみたことにはじまり、その植物をより安定して手に入れるように・・・という願いと実践が農業という営みだ。世界中のあちこちで、その風土に適した形で発展していった農業文化は、この本によれば4種類に分かれる。すなわち、

- 根栽農耕文化 (イモなどの澱粉に依存)
- 照葉樹林文化 (雑穀の栽培)
- サバンナ農耕文化 (豆などの栽培)
- 地中海農耕文化 (家畜を利用した雑穀の栽培)

の4つだ。
世界中のそれぞれの地域で沢山の食料を確保するための文化が花開いていったわけだけれど、あまりにも安易に食料が確保できてしまう地域では高度な文化が発生しなかった、という事実もなかなか興味深い。

また、これらの動きと平行して、灌漑が発明された地域では食料の大量収穫が可能になり、その結果国家の発生だったり大規模な戦争が行われるだけの余剰が生まれることになった。人間にとって、技術や洗練された文化は常に欲望の対象であり、ひとつの欲望が達せられると同時にまた新たな欲望が生まれるエンドレスゲームなのだ。

2007年02月28日

森と文明 - ジョン・パーリン


産業革命の時代まで、人間にとってほぼ唯一の燃料であり万能な建築材であった森林資源と、築かれては消え、築かれては消えてを繰り返してきた文明との関係を丁寧に調べた本。資源と環境と人間、という関係を考える上で多くの示唆を与えてくれる。

古代の文明の中心地であった中近東や中国は、どこも大規模な砂漠化が進んでいる。これは、そこに住んでいた人々が無茶な伐採を繰り返した結果だ。
世界を見渡してみると、日本のような亜熱帯や熱帯地域は稀で、大半の地域は乾燥しているから、一旦森が伐採されてエコシステムが破壊されてしまうと元の通りに木が生えることはない。

有名なギルガメッシュ叙事詩こそは、人の文明が森林に出会い、それを征服していくことによってより強力な文明へと進化していった過程(森林に対する恐れの克服)を如実に描いた物語であると言える。実に、文明とは資源や環境を過度に酷使することで成立してきたものなのだ。

ギリシャやトルコ周辺は地中海文明が華やかなりし頃に木が切り尽くされているし、西ヨーロッパに文明が中心が移ってからも積極的な森林の伐採は続いた。中央アジア・中近東では天井の丸い建築物が多いが(モスク系の建築物等)、これは天井を支えるための木材が不足していたために、梁を必要としない丸い天井を採用した建築方法が盛んになったためだ。王侯貴族によって所有されていた英国の森は、大英帝国として世界の覇権を意識し始めた時代から乱伐されるようになり、ロビン・フッドのような物語(森に依存する近隣の住人と、森を荒そうとする国家権力の対立)を生んだ。

本書では少し強調し過ぎているようにも思えるけれど、古代・中世における文明にとって、森林資源とは実に貴重なものであった。
産業文明によって木材が唯一の燃料でなくなり、さらには科学主義の台頭によって一方的な伐採が不可逆的な変化を環境にもたらしてしまうことが理解されたことは大きな転換点であると言える。これにより、西ヨーロッパ文明においては森林が致命的なダメージを受けずに済み、現在のヨーロッパには適度にコントロールされた自然環境が残っているのだ。

現在の文明が依存している化石燃料に関しても、全く同質の問題が存在していることを考えると、人間の業の深さに唖然とする。
文明は自転車操業のようなもので、常に何か新しい進化を求めていくうちに壁にぶつかり、一つの文明が崩れたかと思うとまた新しい文明が勃興する。
雄大な歴史を「森」という視点から覗かせてくれる、優れた本であった。

2007年01月24日

原子力と環境 - 中村政雄


(気をつけて使えば)クリーンな資源として利用可能な原子力の議論から始まって、今後の文明社会がどういう風になるべきか、というあたりまでが説かれた本。

- 石油はいつか枯渇する
- 火力発電の代わりとなりうる実用的な発電方式は、今のところ原子力以外に存在しない

・・・という背に腹は変えられない事情が存在する限り、科学力及びエンジニアリング能力で解決できるところまでは頑張ってみる価値はあるなぁ、と思う。どうせ今更「あとになるとみんなが困るから、質素な生活をしましょう」なんて言い出したところで、素直に不便な生活に甘んじるような殊勝な人は少ないだろうし。

本の最後のほうはほとんど原子力とか関係なくて、日本式の過密文化がいかに世界のイザコザを解決する可能性を持った素晴らしいものか・・・みたいなことが書かれている。
世界中のみんなが空気を読み始めたら・・・、それはそれで面白い世界になりそうだけれど、正直言って、そうなるには時間がかかりそうである。

2006年09月17日

南の海からきた丹沢 - 神奈川県立博物館:編


前々から地学に興味を抱いていたものの、いつも入門編でくじけていた自分にとって、ようやくプレートテクトニクスがどんなものなのかを教えてくれた画期的な本。
やはり、人間身近な教材がないと学習できないものだと思う。

プレートという言い方は、60年代以降に出てきたプレート理論という学説に倣った言い方で、物理学的な分類では地球の各層は地殻、リソスフェア、アセノスフェア、メソスフェア、そして核から構成されるらしい。「プレート」とは地殻とリソスフェアを含み、柔らかなアセノスフェアの上を大小約10枚のプレートが動いているのが地球の姿なのだそうだ。

ウェゲナーの大陸移動説は有名だけれど、現在の地学では既に地磁気等に影響も既に研究され、地球にはもともとひとつの大きな大陸(ゴンドワナ大陸)があった、ということになっているらしい。
各プレートがぶつかり合う境界では、海同士であれば重い方が下に潜り、海と陸であれば海が下に潜り、陸同士だった場合には衝突が発生する。衝突で有名なのはインド大陸によるヒマラヤ山脈の造成だが、実は極めて身近な伊豆半島も日本列島に衝突した「島」だったのだそうだ。

丹沢のあの複雑な地形がどうやってできたのか、という身近な興味から、日本という島の極めて特殊な島であることがよく分かるよい本だった。

2005年09月09日

草原の記 - 司馬遼太郎


モンゴルに関する司馬遼太郎的考察。

世界地図を広げたときに、モンゴルと呼ばれる広大な草原は圧倒的に場所の特異さには誰もが驚かされる。
そしてユーラシア大陸の広さをものともせずに、東から西へと移動を続けながら生活を営んでいる人たちの姿はそれ異常に感動的だ。
農耕民族である漢民族や日本列島の住民とは、個々人が内に持っているメンタリティーが根本的に異なるような気がしてならない。

町に住みながらもあくまで草原を愛したり、ユーラシア大陸をまたにかける大侵略を行ったと思えばあっけなくその領土を失ってしまったり、とにかくこの人達は素朴なのだ。
そしてその素朴さゆえに近代において近隣の巨大国家間の軋轢の間に苦しい思いをしつづける運命を背負ってしまっているのだけれど、そんなことさえも気にせず馬の背にまたがって草原をを行くこの人たちのなんて気分のよいことか。

みずみずしい想像力と描写力に溢れた素晴らしい本。

2005年01月18日

はじめての地学・天文学史 - 矢島道子、和田純夫


一般的にはあまりメジャーではない、地学・天文学の歴史の本。
一般向けで、中身がそんなに濃い本ではないけれど、分かりやすくてよろしい。

大陸移動説からプレートテクトニクスへ・・・というあたりはやっぱり面白いし、「種の起源」の時代の学問の世界の雰囲気を嗅ぎ取れたのはとてもよかった。

天文学では、Background Radiation, Dark Matter,・・・・、と最新のトピックについても言及している。
2002年の論文についても触れているので、本の執筆時期は相当新しいらしい。

少しアカデミックな匂いが強く、文章が単調で興味がないと読み続けにくいかも知れないけれど、物理学やその他の科学の発展に大いに貢献した学問の歴史がうまくまとまっているので、興味がある人ならサクッと読んでしまえると思う。

2004年10月17日

環境と文明の世界史 - 石弘之、安田喜憲、湯浅赳男


環境に主眼をおいた文明史を語る対談。

全体的に砂漠的、遊牧民的文明に対するカウンター・カルチャー的存在として、森的、農耕民的文明の存在を語り、それを今後必要とされる思考様式のようなものとして取り上げている。

ヨーロッパが美しいのは、一旦壊してしまった自然を人工的に再構築したからだ、という意見はとても納得できる。
最後の方に対談者の本音が凝縮されていて、これまでの歴史で人類がはめていたわっか(孫悟空における緊箍)のようなものを再構成する必要がある、という意見も、同意。

ただ、これだけ個人が自由を獲得してしまった状態で「じゃ、明日からは使う電気を半分にしましょう~」と言うのはあまりに厳しい。
これ以上酷い方向にいかないように、せめて欲望が暴力的なレベルに達さないようにコントロールするような方法こそが求められているのではないか、と感じた。

唯一気に入らなかったのが、日本の学会的事情をタラタラと語った部分があったりするところかも。