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神仏のまねき - 梅原猛 市川亀治郎

哲学・思想


Title: 神仏のまねき (梅原猛「神と仏」対論集 第三巻)
Author: 梅原 猛, 市川 亀治郎
Price: ¥ 1,890
Publisher: 角川学芸出版
Published Date:

宗教哲学者の梅原猛さんと、歌舞伎役者の亀治郎さんの対談。

半世紀も歳が離れた二人がやたらと楽しそうに語らっているのが印象的。亀治郎さんが梅原猛さんからの影響を常々口にしているのは知っていたのだけど、ここまでとは知らなかった・・・。亀治郎さんの芝居を構成・演出してきた方法論や考え方の中心に、梅原猛さんがはっきりと存在しているのだな、と思った。

歌舞伎や演劇といったテーマを通じて、古代日本から脈々と受け継がれている呪術的・宗教的なあれやこれやを切り出したり、中世~近代における日本の演劇・宗教・思想観の変異といったことに関して面白い議論が展開している。主に民俗学系のマニアックな知識の詰まったコラムも充実しているのも面白い。

全体的には、亀治郎さんが問いかけを発してそれに梅原猛さんが応えるという形で対談が進んでいくのだけど、亀治郎さんが語っている部分で面白かった部分があったので、そこを抜粋。

P.100
亀「歌舞伎界というのは、先人たちから伝えられてきた型は、全部正しいということになっているんです。だけど僕はそこで疑って、先輩が長年継承してきた型でも、本当にこの役の精神を現しているんだろうかと疑う。疑って疑って、疑い得ぬものが残ったら、それが本物だと思う。もちろん、間違った型でも、それが今まで伝えられてきたのにはそれなりの理由があるわけですから、それも考えあわせた上で。
(中略)しかしながら演劇というのは論理も大事ですけれど、論理を越えたところの「摩訶不思議」なところも大事だと思います。あまり理屈で芝居をすると冷たいものになってしまいます。
それで自分なりに役を構築して、自分で納得したら、一遍全部忘れるんです。で、しばらくして、三日間くらいぼうっとしていると、パッとひらめくんです。「あ、これで行こう」って」

P.158
亀「ただ、僕が疑問に思うのは、果たして「鳴神」が初演された当時、江戸時代において、役者がそういう二面性を考えて演じていたかということです。僕がやっている、心理を細かく掘り下げて、例えば先生がおっしゃった人間の深い精神を表現することは、果たして歌舞伎として本当の意味で正しいのか。実は歌舞伎はそういう二面性ではなく、もっと単純に人間を切り取るものかも知れない。」

P.178
亀「でも、熱っぽさとかそういう情熱だけだと役に深みがない。そういう意味で言うと、役者というのは、世阿弥の言う「離見の見」じゃないけど、理論と情熱が同居してなければいけないということですね。」
梅「だから、「蜘蛛絲梓弦」を観て安心したんです。あまり、賢すぎる役者になったら困るからね。こういうばかばかしいものもできるということは大事なことで、あなたが猿之助劇も吸収しているので少し安心しました。違うのは、猿之助だと、「これでもか、これでもか、これでもか」というところがあること。だから、僕に近いんですよ、絶対。」