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日本語が亡びるとき - 水村美苗

言語学


Title: 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
Author: 水村 美苗
Price: ¥ 1,890
Publisher: 筑摩書房
Published Date:

「世界を繋ぐ言葉としてこれだけ英語が使われている状況で、日本語ってこれからどうなっちゃうのかしら」ということを説いた本。

巷に溢れる「言葉の乱れで言葉が滅ぶ」みたいな能天気なことを書いている本とは一線を画した視点から議論が展開されているので、大変読み応えがある。子どもの頃からアメリカに暮らしながらもアメリカになじむことができず、日本文学に染まりながら成長し、「文句なしにカッコイイ」フランス文学を大学で学んだ著者だからこそ書けた本だと思う。「日本語への愛」30%増し。

著者は、言語を以下のカテゴリーに分けている。

現地語: ひとつの言語圏で日常的に用いられている言語。
普遍語: ひとつの文化圏で普遍的に用いられている言語。
国語: 近代国家の誕生と共に発達した「ひとつの国において現地語が普遍語に昇格した」言語。

例えば、中世~近世のヨーロッパではそれぞれの地方で使われている現地語(ヨーロッパの各種言語)とは独立して聖職者や学者達によって「読まれるべき言葉」を残すために使われていた普遍語(ラテン語)が存在しており、この「普遍語」を使いこなすのは限られたエリート達だけであり、彼らは二重言語者であったということができる。この構造は中華文化圏でも同様で、漢文という普遍語にアクセスできる文化人は日本においても常に一部の上流階級や僧侶に限定されていた。

この状況が崩れたのは近代国家の誕生に伴う「国語」の発生で、ひとつの国家の中で「読まれるべき言葉」が蓄積・活用されるに伴って「普遍語」の役割の一部を「国語」がまかなうようになった。

こうした世界の動きの中で、日本語が「国語」として立ち上がることが出来たのは、日本が漢文文化をベースに独自かつリッチな言語文化を持っていたことと、独立国という立場を貫き続けることが出来たという幸運によるものだと著者は指摘している。また、数百年もの間閉鎖的でドメスティックな言語だった日本語が世界の「言葉」を受け止めることのできる「国語」に昇格することができたのは、明治時代の偉人達による働きが多いという点にも著者の筆は及ぶ。

「世界語としての英語と、ローカル言語で書く人たち」、そして「没落したフランス語」というテーマによる前半の導入部分は少しダルい印象を受けるものの、2009年に読んだ本で今のところ一番面白い本だったと思えるインスパイリングな読書体験だった。

文化の礎となる「言葉」という切り口から発せられた、鋭く尖ったグローバリズム批判の書。