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プリンシプルのない日本 - 白洲次郎

エッセイ・対談


Title: プリンシプルのない日本 (新潮文庫)
Author: 白洲 次郎
Price: ¥ 500
Publisher: 新潮社
Published Date:

つい最近になって白洲次郎さんという人のことを知って、彼の著書が読みたくなったので手を伸ばしてみた本。

白洲次郎さんは、いわゆるひとつのお坊ちゃん育ちの人。
戦前にケンブリッジに学びながら車遊びに熱中し、戦中は鶴川の田舎で「カントリージェントルマン」を自称して畑仕事に精を出し、戦後は吉田茂首相の懐刀として占領軍との交渉役を務め、実業家としても活躍して戦後日本に大きな足跡を残した。

最高にシビれる逸話が多く残っていて、例えばGHQの民政局長ホイットニー准将に英語をほめられた際に「あなたももう少し勉強すれば上手くなる」なんてその最たるもの。しかも、これが単純に英語がうまい・へたの問題ではないあたりが格好良すぎる。

この本は、彼が雑誌に寄稿した雑多な文章がまとめられているものなので、正直なところ一冊目の本としては失敗だったかも。戦後の日本をいかに復興していこうかと本気で悩み、行動している白洲次郎さんが思った通りのことをビシバシと書いている。

プリンシプルとは「根本原則」とでもいうべきもので、彼が学生生活を過ごしたイギリスこそは「プリンシプルの権化」のような人々がウジャウジャと生活している国。「ルール」よりもゆるやかでありながらも、全ての人が「こうあるべき」と疑うことのないプリンシプルが共有され、実践されることによって、社会全体の秩序が保たれる・・・のだと思う。

社会全体のあり方を規定するプリンシプルは、自ずとそれぞれの社会集団によって異なってくる。白洲次郎さんが嘆いている通り、戦後に限らず明治期以降に日本には「プリンシプル」と呼べるものが存在していないように感じた。
ひょっとすると、彼の言う「プリンシプル」とは近代的な個人主義によるエゴの暴走を抑える仕組みのようなもので、日本では江戸時代まで(幸か不幸か)そういった個人主義が流行らなかったから、「プリンシプル」というものも必然的に存在し得なかった・・・と考えることができるのかもしれない。

しばらく前に読んだ憲法関係の本で、民政局のケーディス大佐のチームがいかに短い時間で新憲法の草案をまとめあげたかにびっくりしたのだけれど、その点に関してもごくごくまっとうな指摘がなされていて、なかなか面白かった。

物事を大局で捉えながらも、細かいところまできちんと目がいっている人だなぁ、と思った。