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2008年06月30日

いきなりはじめる仏教生活 - 釈徹宗


Title: いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)
Author: 釈 徹宗
Price: ¥ 1,680
Publisher: バジリコ
Published Date:

絶妙に面白い仏教本。
「仏教はいけてるぜ!」っていうのが主旨だけど、ヘタに仏教にとらわれない視野の広さと、自由奔放な語り口が素敵。

近代思想から個人主義まで、現代のポストモダン的状況が抱えている「病み(闇)」を概観した上で、仏教というよい意味で手垢のついた宗教が何を提示できるのか、ということを筆者なりによくまとめている。

読めば読むほど、考えれば考えるほど、仏教的な考え方が現代において有効であるという意見に頷けてくる。個人の意識を広げられるところまで広げることで、「よりよい社会」を目指していくスタイルが限界に達している今、「自分」という枠組みを見つめ直して解体するノウハウを持った仏教は、非常に有効な思考様式・生活スタイルを提示してくれるように思う。

2008年06月24日

プリンシプルのない日本 - 白洲次郎


Title: プリンシプルのない日本 (新潮文庫)
Author: 白洲 次郎
Price: ¥ 500
Publisher: 新潮社
Published Date:

つい最近になって白洲次郎さんという人のことを知って、彼の著書が読みたくなったので手を伸ばしてみた本。

白洲次郎さんは、いわゆるひとつのお坊ちゃん育ちの人。
戦前にケンブリッジに学びながら車遊びに熱中し、戦中は鶴川の田舎で「カントリージェントルマン」を自称して畑仕事に精を出し、戦後は吉田茂首相の懐刀として占領軍との交渉役を務め、実業家としても活躍して戦後日本に大きな足跡を残した。

最高にシビれる逸話が多く残っていて、例えばGHQの民政局長ホイットニー准将に英語をほめられた際に「あなたももう少し勉強すれば上手くなる」なんてその最たるもの。しかも、これが単純に英語がうまい・へたの問題ではないあたりが格好良すぎる。

この本は、彼が雑誌に寄稿した雑多な文章がまとめられているものなので、正直なところ一冊目の本としては失敗だったかも。戦後の日本をいかに復興していこうかと本気で悩み、行動している白洲次郎さんが思った通りのことをビシバシと書いている。

プリンシプルとは「根本原則」とでもいうべきもので、彼が学生生活を過ごしたイギリスこそは「プリンシプルの権化」のような人々がウジャウジャと生活している国。「ルール」よりもゆるやかでありながらも、全ての人が「こうあるべき」と疑うことのないプリンシプルが共有され、実践されることによって、社会全体の秩序が保たれる・・・のだと思う。

社会全体のあり方を規定するプリンシプルは、自ずとそれぞれの社会集団によって異なってくる。白洲次郎さんが嘆いている通り、戦後に限らず明治期以降に日本には「プリンシプル」と呼べるものが存在していないように感じた。
ひょっとすると、彼の言う「プリンシプル」とは近代的な個人主義によるエゴの暴走を抑える仕組みのようなもので、日本では江戸時代まで(幸か不幸か)そういった個人主義が流行らなかったから、「プリンシプル」というものも必然的に存在し得なかった・・・と考えることができるのかもしれない。

しばらく前に読んだ憲法関係の本で、民政局のケーディス大佐のチームがいかに短い時間で新憲法の草案をまとめあげたかにびっくりしたのだけれど、その点に関してもごくごくまっとうな指摘がなされていて、なかなか面白かった。

物事を大局で捉えながらも、細かいところまできちんと目がいっている人だなぁ、と思った。

2008年06月20日

死刑 - 森達也


Title: 死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
Author: 森達也
Price: ¥ 1,680
Publisher: 朝日出版社
Published Date:

映画監督・ノンフィクション作家の森達也さんが「死刑」という制度と現場に取材し、自らが考えたこと・感じたことを綴った本。

死刑が確定した囚人や弁護士、囚人と日々顔を合わせたり執行に立ち会う刑務官、そして被害者の遺族に出会い、話を聞き、意見を交わすことで、著者の「死刑」という制度に対する考え方が揺らいでいく姿がリアルに描かれている。

結局、森達也さんの「死刑制度にへの反対」という立場が変わることはないのだけれど、取材を通じて出会った人たちが語る「死刑」が巷で騒がれているような表層的な議論だけで済むようなものではないのだな、ということがよく分かった。

それにしても、「死刑」というテーマは考えれば考えるほど分からなくなる。
「犯罪」は、個人的な行為であると同時に社会的な行為でもある。
ピュアに個人的な行為であれば、当事者だけで決着をつけることができるかもしれないけれど、現実的にはひとつの「犯罪」は周りにいるたくさんの人に少なくない影響を与える。
人が死んでしまう「殺人」であれば、なおさらのことだ。
人が死んで、いなくなってしまえば全ての可能性が葬り去られてしまう。

直感的に「国の制度として人を殺すこと」に対する疑問はある。
と同時に、何をもってして「殺人」という行為に対するペナルティーを課すのか、という問題もある。最期のほうに出てくる遺族の「仮に加害者が改心したとしても、被害者の遺族が救われることはない」という言葉はただただ重い。「死刑も止むを得ないのかもしれないな」なんて考える自分もいる。

普段考える機会のないテーマだからこそ、こういったエクストリームな話題を通じて現場のリアリティーに触れることは貴重な機会だと思う。

**

森達也さんのことは、前に見た「いのちのたべかた」というドキュメンタリー映画の上演前のトークショーで知った。
この映画は彼の作品ではないけれど、「いのたのたべかた」という邦題は、彼の手による同名の本から取られたものなのだそうだ。

2008年06月18日

夏の闇 - 開高健


Title: 夏の闇 (新潮文庫)
Author: 開高 健
Price: ¥ 460
Publisher: 新潮社
Published Date:

「素晴らしい小説」という、月並みな表現しか思いつかない。

取っ付きにくくて読みにくい文章だけど、ひとたびその何ともいえない表現世界に入ってしまえば、尋常ならざる表現の嵐の中にまばゆい光を感じる。

男であること。
女であること。
人の醜さ。
人の救いがたさ。

人生を甘くし、時に辛くする、たくさんのエッセンスが凝縮された小説だと思う。

2008年06月13日

自動車爆弾の歴史 - マイク・デイヴィス


Title: 自動車爆弾の歴史
Author: マイク デイヴィス
Price: ¥ 2,730
Publisher: 河出書房新社
Published Date:

「貧者の空軍」と呼ばれる、自動車爆弾の歴史を綴った本。
自動車爆弾によるテロリズムだけを淡々と綴った本ではなくて、その背景にうごめいている複雑な事情に関する緻密な記述が印象的。

1912年、怒れるイタリア人ブダによって発明された「自動車爆弾」。

どんな社会経済的な変革も上手くいく可能性はわずかであり、大規模な「精神の武装解除」を導くはずの独立や民族的自決(実際の状況は真逆なのだ)についてはいつも妥協が生じるおかげで、自動車爆弾は輝かしい未来を確実に手に入れるのだ。
(P.297)

2008年06月05日

「人間嫌い」のルール - 中島義道


Title: 「人間嫌い」のルール (PHP新書)
Author: 中島 義道
Price: ¥ 735
Publisher: PHP研究所
Published Date:

「人間嫌い」による「人間嫌い分析」。
あるいは、「人間嫌いとして生きる方法あれこれ」。

中島義道さんの本は、「うるさい日本の私」とか「「対話」のない社会」を読んで共感するところが多かった。この本には、上記の本に書かれていない、著者がいかにして「人間嫌い」になったかという経緯と、徹底した「人間嫌い生活」の一端が紹介されている。

本書の要点をまとめてしまうと、「人間嫌い」と言われている人たちはただ純粋に「人が嫌い」なのではなくて、「人は全て異なる価値観を持っているから、社会的慣習に基づいてその価値観を肯定したり否定したりするのはやめて欲しい」と考えている人たちなのですよ・・・、ということなのかなぁ、と思った。

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「共感ゲームから降りる」とか「他人には何も期待しない」とか、社会一般的な通念から考えると「なんてことを!」っていうことばかりが書かれているけれど、書いてる本人は大まじめ。

人は「誰かと一緒に「共感」する」ことを好む。
「共感」は、人の快楽神経を強く刺激するからだ。
「人は一人では生きられない」とは言うけれど、こういった神経回路は人の社会的生存率を上げるために発達したものであると推測できる。

問題は、「文化」という名のものとに過度に発達した「共感システム」と、それに基づく社会での「常識」に対して違和感を抱いてしまう人が*現実的に*いる、ということなのだと思う。
そういう意味で、この人の主張やライフスタイルは内田樹さんなんかと正反対であるような気がする。

人間嫌いとは「他の人に対する期待値が高く、いつも期待はずれな結果になることに疲れた人」と言うこともできるのかもしれない。著者の場合は、ヨーロッパでの生活によって日本における密着した人と人との距離感に違和感を感じてしまったのが決定的なターニングポイントだったのだろう。

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小さな頃から人と接することが苦手だった自分としても、こういった「人間嫌い」をテーマに色々と考えた時期があった。自分の中で辿り着いた結論としては、以下のようなものになる。

人と人とは本当のところでは分かり合えない。
これは仕方がない。
これをふまえた上で、どこまで人と人とが接近して生きていけばいいのか。
この点における「距離感」が「人間好き」と「人間嫌い」を分けているパラメータとなる。

・・・という感じ。

ちょうどこの本を読んでいる時期にテニスをしていて、自分のダブルスのパートナーに対するコミュニケーションが実に形式的なものばかりであることに気付いた。人との距離感が分からないから、とりあえず標準的な形で人と接することによって楽をしていたのかなぁ、と思う。
そう思った瞬間、背中にヒヤリと冷たいものを感じた。

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本書の中身とはそこまで関係ないけれど、引用されていたサルトルの言葉が印象的だったのでメモ

「創造的行為の目的は、若干の対象を創り出すことによって、あるいはふたたび創り出すことによって、世界の全体をあらためてわがものにすることである」