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2007年02月28日

森と文明 - ジョン・パーリン


産業革命の時代まで、人間にとってほぼ唯一の燃料であり万能な建築材であった森林資源と、築かれては消え、築かれては消えてを繰り返してきた文明との関係を丁寧に調べた本。資源と環境と人間、という関係を考える上で多くの示唆を与えてくれる。

古代の文明の中心地であった中近東や中国は、どこも大規模な砂漠化が進んでいる。これは、そこに住んでいた人々が無茶な伐採を繰り返した結果だ。
世界を見渡してみると、日本のような亜熱帯や熱帯地域は稀で、大半の地域は乾燥しているから、一旦森が伐採されてエコシステムが破壊されてしまうと元の通りに木が生えることはない。

有名なギルガメッシュ叙事詩こそは、人の文明が森林に出会い、それを征服していくことによってより強力な文明へと進化していった過程(森林に対する恐れの克服)を如実に描いた物語であると言える。実に、文明とは資源や環境を過度に酷使することで成立してきたものなのだ。

ギリシャやトルコ周辺は地中海文明が華やかなりし頃に木が切り尽くされているし、西ヨーロッパに文明が中心が移ってからも積極的な森林の伐採は続いた。中央アジア・中近東では天井の丸い建築物が多いが(モスク系の建築物等)、これは天井を支えるための木材が不足していたために、梁を必要としない丸い天井を採用した建築方法が盛んになったためだ。王侯貴族によって所有されていた英国の森は、大英帝国として世界の覇権を意識し始めた時代から乱伐されるようになり、ロビン・フッドのような物語(森に依存する近隣の住人と、森を荒そうとする国家権力の対立)を生んだ。

本書では少し強調し過ぎているようにも思えるけれど、古代・中世における文明にとって、森林資源とは実に貴重なものであった。
産業文明によって木材が唯一の燃料でなくなり、さらには科学主義の台頭によって一方的な伐採が不可逆的な変化を環境にもたらしてしまうことが理解されたことは大きな転換点であると言える。これにより、西ヨーロッパ文明においては森林が致命的なダメージを受けずに済み、現在のヨーロッパには適度にコントロールされた自然環境が残っているのだ。

現在の文明が依存している化石燃料に関しても、全く同質の問題が存在していることを考えると、人間の業の深さに唖然とする。
文明は自転車操業のようなもので、常に何か新しい進化を求めていくうちに壁にぶつかり、一つの文明が崩れたかと思うとまた新しい文明が勃興する。
雄大な歴史を「森」という視点から覗かせてくれる、優れた本であった。

2007年02月23日

悪への招待状 - 小林恭二


歌舞伎入門としてオススメできるよい本。
二人のイマドキ風な若者を幕末の江戸に連れて行き、当時の風俗や文化を詳細に説明しながら芝居を楽しむ・・・という筋。

紹介している芝居が「三人吉三巴白波」、というのがポイント高い。
黙阿弥による作品の中でも特に台詞が洗練されていて、幕末の退廃的な雰囲気の中にキラリと光る美しい人情が表現されている。

料理や宗教、芝居の作者や俳優に関しても実に詳しく調べてあって、著者のマメな人柄に感心させられた。

2007年02月16日

英語のたくらみ、フランス語のたわむれ - 斎藤 兆史, 野崎 歓


東大で英語とフランス語を教えている二人による対談。
それぞれが言語・文学・文化に興味を持ってから今に至るまでの経緯や、出会ってきた文学や人々に対する意見を交わし合いながら、言語学、翻訳、文学について自由なやりとりを楽しんでいる。

ますます実用英語一辺倒になっていく日本の外国語教育事情を憂いつつ、これまでの教養主義のアイデンティティーをきちんと見直す試みが対談のなかでなされているように思う。
実際、きちんとした文法を勉強することなく言語をあるレベル以上マスターすることは不可能だし、明治以来、戦後しばらくの間まで存在していた教養主義の空気の中では、物凄い努力によって複数の言語をマスターしてきた猛者がいるように思う。そして、そんな彼らでさえも到達できない領域がある、というのは嫌でも直視しなければいけない現実でもある。

翻訳論は少し曖昧な感じ。少し一般論でお茶を濁しているように思える。文学論になると俄然熱くなってきて、いかにフランス人が変態であるかがよくわかる対談になっていて面白い。イギリスとフランスという国は、海をちょっとまたいでいるだけでどうしてこうも違うのか・・・つくづく謎だ。

2007年02月13日

夢判断 - ジークムント・フロイト


Title: 夢判断 上 新潮文庫 フ 7-1
Author: フロイト
Price: ¥ 740
Publisher: 新潮社
Published Date:


Title: 夢判断 下  新潮文庫 フ 7-2
Author: フロイト
Price: ¥ 700
Publisher: 新潮社
Published Date:

約半年かけて読破した。
フロイトが「夢は願望充足である」という、あまりにも有名なテーゼを発表した本。

会社に入って働き始めた頃に、図書館からユングの著作集を借りて読み漁っていた時期があったのだけれど、その頃から読もう読もうと思い続けて4年以上が経過してしまっていた・・・。

第一章で非常に多くの「夢」に関する文献が取り上げられた後、第二章では彼の手によって作り上げられた「夢判断」の手法が述べられ、続く第三章で「夢は願望充足である」というこの本の中心的なテーマが語られる。
第四章から第六章で「夢」がいかなるプロセスによって作られるか、ということが実例や彼の理論を用いて説明され、第七章で彼の「夢判断」理論と心理学との関係が語られる。

2006年の9月に、積読状態になっていたこの本の上巻を持って八ヶ岳の登山に行ったのが読み始め。行きの電車やテントの中で第二章か三章まで読み進み、快調なスタートではあったもののそれから先が厳しかった。
正直いって、第四章以降の夢の生成に関する説明部分はあまりにも冗長すぎる。興味深い部分も多いのだけれど、あまりにも多くの分析例や、それに対する自分の理論の解説が延々と続くので、超人的な精神力と体力を持っていないと、連続して読み続けていくことは難しい。上巻の後半部分で気力を吸い取られ、分厚い下巻を手にしたときは読破できるとは到底思えなかった。

とはいえ、この本によって彼が心理学・精神医学、それに沢山の好奇心に満ちあふれた読者達に与えた影響は計り知れない。そういう意味で、ダーウィンの「種の起源」にも似たような重み(物理的にも、歴史的にも)を持った本だと言うことができるのかも知れない。

彼のテーゼが世の中に浸透し、他に多くの優れた「夢」に関する理論が提出されている今、この本をあえて読む意味はそこまで大きくないように思う。それでも、フロイトという綿密な思考能力と観察能力を持った人が「夢」という摩訶不思議なものに真っ向から挑み、まっとうな理屈をつけていくプロセスは非常に興味深い。ある意味、この本で試されるのはフロイトの英知ではなくて読者の思考能力なのかもしれない。「古典」とは、多かれ少なかれそういった性質をもつものなのだと思う。

ハワイイ紀行 - 池澤夏樹


実に味わい深い、よい本だった。
「俗っぽい観光地」として、ハワイイ(本書に倣って、あえてこの表記に従うことにしよう)には全くと言ってよいほど興味が湧いてこなかった自分にとっては、目から鱗が落ちる読書体験となった。

池澤夏樹さんと言えば、2001年の9/11直後から朝日新聞に連載していた「新世紀へようこそ」をロンドンからインターネット越しに読んでいたことを思い出す。久しぶりに本土を攻撃されたアメリカがカンカンになって世論を煽って戦争に突入しようとしていた時期だ。今思い返すと、もしこの連載に中沢新一の「緑の資本論」が紹介されていなかったとしたら(または、もっと単純にこの連載を読んでいなかったとしたら)、僕が彼の本を読むことは(少なくとも1,2年というタイムフレームでは)なかっただろうし、チベットに行くこともなかっただろう。そして、日本に戻ってから山に登るようにもならなかったかもしれない。

考えれば考えるほど因縁のある人のように思えるが、未だに彼のまとまった作品を読むことがなかった。ここで、彼の本分と思われる小説を読まずに、あえて評判のよい旅行記を選ぶあたりが自分の天の邪鬼たる由縁なのだけれど、評判に違わず素晴らしくよく書かれた「旅行記」だと感じた。

ハワイイの魅力は、池澤夏樹さんが本の最初のほうで言っているように「自然条件や文化的条件の変異が分かりやすく保存されている」という点につきるように思われる。この本には、プレートテクトニクス(こういう単語があっさり出てくるのが池澤夏樹さんのスゴイところだ)によって生まれた、小さな島々の上で繰り広げられてきた沢山のアクティビティーが丁寧に拾い上げられ、しっかりと吟味された上で本人が自分の足で出かけていって、優れた観察眼と洞察力をもって紡ぎ上げた文章がたっぷりと詰め込まれている。

一般的な日本人から見れば「南国の陽気な踊り」としか認識されていないフラ・ダンスが、文字を持たないハワイイの人たちの伝承や歴史、そして文化を伝える芸術の一形態である、なんていうのは非常によい例のうちのひとつだ。ひとつの文明がより強力な文明に呑み込まれていく時、最後までしぶとく生き延びるのは、生活に密着し、民間で育まれたささやかな文化形態であることが多い。言葉や精神がある程度まで失われてしまったとしても、そういった小さなものを丹念に辿っていくことで元々その文化が持っていた「味」や「臭い」のようなものは、大体の所まで復元することができる。

この本を読みながら、岡本太郎さんの書いた「沖縄文化論」という本を思い出した。この本にも、小さな島々に残る小さな芸術や文化的痕跡を岡本太郎さんが辿っていく様子が描かれていて、今では随分薄くなってしまった日本的文化の「原初の香り」をかぐことができる気がするのだ。

2007年02月10日

完訳・マルコムX自伝 - マルコムX


上巻をアメリカ出張で読破し、下巻は1週間かけてチロチロと読んだ。

「ルーツ」を書く前のアレックス・ヘイリーさんが2年という時間をかけて本人から直接聞き取った、「壮絶」としか言いようのないマルコムXの人生が収められている。

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アメリカ合衆国最下層の民として生まれ、信念を持って闘争していた父を殺され、母が発狂し、挙げ句の果てに落ち着いたのがニューヨークのハーレム。ポン引き、麻薬の売人、拳銃強盗・・・と、思いつく限りの悪事を重ねながらその日暮らしの生活を続け、住み難くなったハーレムを離れて異母姉妹の住むボストンに戻る。ここでも白人の情婦を含む昔の仲間と強盗を重ねるが、ついには逮捕され、懲役8年の刑に処される。この時、マルコムXはまだ20歳。
この世のあらゆるもの(白人、貧乏で無知な黒人、そして自分自身)を呪い、刑務所では「サタン」と呼ばれた彼だったが、兄弟の勧めからイライジャ・ムハンマドによるブラック・ムスリム運動に出会い、信仰に目覚めて熱心に本を読んで勉強するようになる。もともと頭のよい彼はすぐに人々に大きな影響を与えることのできる指導者となり、出獄後はブラック・ムスリム運動の拡大に奔走する。
マルコムXの"X"とは、アフリカから連れて来られた後に失くしてしまった家族の名前をあらわす"X"だ。ブラック・ムスリム運動自体は他愛のない論理(白人に対する嫌悪)をベースにした怪しげな運動で、イライジャ・ムハンマドの偽善(運動の基礎原理を本人が破っていた)に気付き、それに反発した結果運動から排斥されたマルコムは、自分の組織を作り、中東、西欧、アフリカの各国を巡って知見を広げるようになるが、ブラック・ムスリム運動側の放った刺客によって暗殺される。

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「可哀想な人」というのがこの本を読んで、一番はじめに感じた感想だ。素晴らしい才能を持って生まれたにも関わらず、人生の大半を恵まれない環境の中で過ごし、世に出たと思ったら一番信じていて人に裏切られ、世界に飛び出していこうと思ったら殺されてしまった。
それでも、最下層の民の生活を最もよく知る告発者であり、強力なアジテーターとしてのマルコムXは実に魅力的だ。逮捕されて一回は死んでいる、という諦めから来る猛烈な行動力と論争力でアメリカ黒人が受けてきた屈辱を世界に紹介し、閉じられたアメリカ黒人の目を開くべく、闘い続けた。

自伝では珍しく、巻末に「エピローグ」という名目で共同執筆者(実質的な著者)であるアレックス・ヘイリーによる解説がついている。この本が自伝として成立していった過程が正確に記述されていて、たくさんの時間をマルコムと過ごすことで彼の魅力に惹かれていった彼の、マルコムに対する友情が文章の中から読みとれてなかなか面白い。

後半部分(彼が自分の組織を作って、海外に行ったりするあたり)は少しダラダラしている感があるが、現代に生きた一人の猛烈な人間の記録として、これ以上のものはないと思う。
こういうとてつもないパワーを持っている人がいる国(=アメリカ)は、やはり強いものだなぁ、と思う。今はそうでもないけど・・・。

2007年02月06日

コーラン (上) - 井筒俊彦


イスラム教学者の井筒俊彦さんによる翻訳。
アラビア語のオリジナルバージョンのみが「コーラン」と名乗ることのできる唯一の正当な文章であり、翻訳されたものは全て「コーランの解説」という立場をとるのだそうだ。

上巻に収められているのは、イスラム教の創始者であるモハメッドが受けた啓示(アラーからの直接的な教え)のなかでも後期のものにあたり、後期メディナ啓示と呼ばれるものの前半部分らしい。

持ち歩いて読むのもチト違うなぁと思ったので、3ヶ月くらいかけて風呂に入るたびに少しずつ読み進め、ようやく読み終えた。最後のほうになってから音読すると面白いことに気付いたので、あの「使徒のもの」とか「神は**であられます」という興味深い文体を味わいながら読むことができた。

神による直接的な語りなので、基本的には神の一人称となり、実際に語っているムハンマドに対しても「汝」のような言葉で語りかけているのが特徴的。中に出てくるエピソードは聖書の創世記とかぶったものが多く、イスラム教から見て堕落しているキリスト教やユダヤ教に対する強い敵愾心(部分的には、友好的な記述もある)が現れている。

イスラムとは「身を委ねること」であり、その名の通りイスラム教の神アラーは非常におそれ多い神として語りかけている。優しいのか厳しいのか、たまに分からなくなるところがあるが、そのあたりの曖昧さも含めてとても魅力的な書物だと思う。
聖書を一通り読んでおくと、より楽しめる気がする。