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2006年11月26日

刑吏の社会史 - 阿部謹也


中世ヨーロッパで最下級の賤民として蔑まれた刑吏に光を当てることで、中世ヨーロッパの民衆の姿に迫った本。
12,3世紀以前の都市・職業システムが確立する前には、共同体の秩序を回復するための「儀式」であった処刑が、都市の発生と職業システムによる排他的な社会、そして個人の発生と同時にそれを生業とする人間の手に委ねられるにつれて社会の「穢れ」となっていく過程を丹念に紐解こうとしている。

絞首、車裂き、斬首、水没、生き埋めに投石・・・。説明を読み進めるのもおぞましい処刑は、元来「悪」を犯した人間の「清め」であり「社旗秩序の回復」のための「儀式」だったのだ、と著者は言う。社会に属する人間が全員集まり、ある基準に基づいた呪術的な「死の儀式」を執り行うことが本来の「処刑」であり、受刑者の確実な死はその目的とするところではなかったという。

中世都市のようなアノニマスに近い(が、そこには人を区別するための構造が確実に存在する)社会空間で、誰もやりたがらない仕事をやらなければならなかった人たち。元来は司祭であり王の仕事であった「処刑」を共同体の成員の代わりとして努めた人たち。

中世ヨーロッパが辿った社会システムの変異を歴史的・人類学的視点から力強く描いた素晴らしい本だと思った。

三位一体モデル - 中沢新一


キリスト教の伝統的な神学的構造体である「三位一体」という形態について、中沢新一さんが話した内容を分かりやすくまとめた本。
父、子、霊、という「神」を構成する要素を機能ブロックとして考えることで、近代から現代にかけて発生しているあれやこれやの現象を分かりやすく理解できる、というのがこの本の主旨。

ストイックな一神教であるイスラム教と比較すると、キリスト教が比較的早い段階で神学的理解をあ~じゃこ~じゃやっていたことがよく分かる。「霊」という曖昧かつ増殖する属性を持ったパーツを組み込むことで、キリスト教を広めていくための理論が補強されているのだ。

現代ほど「父」なる力・理論の源泉が軽んじられている時代はなかった・・と言うけれど、たしかにその通り。これは、全ての源たる「父」ではなく霊を増やすきっかけを作った「子」の存在に価値を求め、さらに「霊」という名の「価値」を広めることにその存在意義を見いだしたキリスト教による影響と言うことができるのだと思う。

2006年11月25日

芸術人類学 - 中沢新一


「芸術人類学」という彼の新しいアイディアに対する直接的な捕捉、と言うわけではなく、主にその考え方に同調する彼の文章や講演の内容をまとめた本。
少し寄せ集め感がただよってしまったのが残念。

神聖な場所としての「山」から力を受け取ること「王」、そして「国家」の造成に「山伏」が深く関わったのではないか、という魅力的な思考「山伏の発生」や、八ヶ岳近辺に残る遺跡の跡から諏訪神社まで繋がる同系列の思想・宗教を汲み取る試みである「壺に描かれた蛙」などがよかった。

2006年11月23日

エヴェレストより高い山 - ジョン クラカワー


エヴェレストでの大量遭難を書いた「空へ」のジョン・クラカワーさんの本。彼のライターとしてキャリアの初期に、あちこちの雑誌に掲載された記事の中でも、山に関係あるものがセレクトされている。

アイスクライミングからヴォルダリング、アイガー、そしてK2からバージェス兄弟まで、12の物語に別れて70年代から80年代にかけてのクライミングのシーンが目の前に広がってくる。
「山登り」という行為に魅せられた人たちと、そして彼らをあざ笑うかのように自然の脅威を見せつける山々の魅力をたっぷり紹介している。

一番グッとくるのは、最後の若かりし著者がデヴィルズ・サムを目指した話。
いわゆるクライミング・バムと呼ばれる人種の典型例として生きていた彼は、つまらない仕事を飛び出して、「何かが変わること」を期待しながら一人アラスカを目指す。狙っていたルートの登攀には失敗するものも、相応の結果を残して下山した彼を待っていたのは「何も変わらない現実」なのだ。

やはり、ある種の人々にとってのクライミングとは一種の精神療養なのかもしれない。

2006年11月09日

野生の思考 - レヴィ・ストロース


「構造主義」という考え方の基盤となった本らしいのだけれど、そんなことは置いといて、とても魅力的な本。

一般的に未開の民として理解されている人々の社会に存在する、興味深い言語世界や社会構造を次々と紹介し、呪術的だとか野蛮だとかいった理由で正しい解釈の対象になったこなかったこれらの構造を「野生の思考」という魅力的な名前の思想として確立している。
日本であれ欧米であれ、近代社会の中には今でも「野生の思考」をベースとしてシステムが存在するのだ、ということを言っている。

人類学という枠を飛び出して、人間社会一般に対して強いメッセージを持った素晴らしい本だと思う。