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生きて死ぬ私 - 茂木健一郎

エッセイ・対談


静かな興奮・・・とでも形容すればよいのだろうか。
茂木さんが「クオリア」という魅力的なアイディアを世に問うた後、肩の力を抜いて彼がその当時(1998年頃)考えたことを思ったことをつらつらと書き連ねた本だ。

もともとこの本は「臨死体験」であるとか「意識の変性状態」といったテーマに脳科学者が切り込む、といったノリを狙っていたらしいのだけれど、編集者の意図とは違った形で当時の茂木さんが書いた内容が、そのまま出版されたものなのだそうだ。
もちろん、当時はまだあまり有名でなかった茂木さんなので、こんな漠然とした内容の本だとあまりよい売れ行きではなかったのだろう。絶版になっていたところを2006年になって「ちくま文庫」として甦ったので購入してみた。

この本の素晴らしいところは、茂木さんという当時(今も)特別に面白いアイディアを出してギラギラ輝いていた人が、そのフレッシュな頭で思ったことや感じたことを下手なフィルターを通さずにガンガン出力されていることだと思う。
「脳科学」という分野にとらわれることなく、生きることから宗教、哲学、芸術、そして「死」まで、と扱っている分野がどれも非常に興味深いものばかり。

ネオフィリア(「新奇なものを好む」傾向)や全知感、それにブロードの制限バルブ説(人間の世界認識は、「世界全体」から引き算することで成り立っている、という逆説的理論)などなど、とても面白い考え方が紹介されると同時に、本を読み進めていくことでこれらの考え方について茂木さんと一緒に考えているような、そんな楽しい気分に浸ることができる。
全体的に少し話題が散ってしまって「結論のない議論」が多い、という見方もあるのかもしれないけれど、素晴らしい科学者が考えていたことに直に接することができるだけでも十分に価値がある。そもそも、完成された理論だとか世界観というものはそうそう出来上がるものではないし、出来上がった頃にはたくさん手垢がついてしまっていざ解説されるとなるとフレッシュな楽しみというものに欠けることが多いのだ。

最後の最後に茂木さんが言っていることがとてもいい。
ファラデーの言葉「素晴らしすぎるからといって、それが本当でないということはない。ただし、それが自然法則に反しない限り。」をひきながら、現代の人類が手にしている可能性の多さとその分だけ増えた無力感に対して慰めの言葉を書いている。

「私たちは、人間ができることの限界について皮肉になるのではなく、ファラデーのように、この世界の法則からくる限界を十分知りつつ、可能性の方を重視したらどうだろう。」

茂木さんのほうはもう既に何冊も読んだけれど、この本が一番読んでいて楽しい本だと思った。