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2006年08月26日

戯場戯語 - 板東三津五郎


主に歌舞伎に関係する人や物に焦点を当てた八代目板東三津五郎さんによる随筆集。

タイトル通り軽めで読みやすいものが多いけれど、さらっと書いた文章の中に著者の生きてきた役者人生がギュッと濃密に詰められているような気がしてとても読み応えがある。

「役者とは親の死に目にも、妻の死に目にも会えないものだ」という悲しい現実。底抜けに楽しい中に張りつめた緊張感を感じさせる舞台。そして昔気質の人たち・・・。
戦前・戦中・戦後にかけて大きく日本が変わってきた中で、変わらないように変わらないようにしてきた歌舞伎という文化を背負ってきた人による、とても味わい深い本だ。

2006年08月12日

生きて死ぬ私 - 茂木健一郎


静かな興奮・・・とでも形容すればよいのだろうか。
茂木さんが「クオリア」という魅力的なアイディアを世に問うた後、肩の力を抜いて彼がその当時(1998年頃)考えたことを思ったことをつらつらと書き連ねた本だ。

もともとこの本は「臨死体験」であるとか「意識の変性状態」といったテーマに脳科学者が切り込む、といったノリを狙っていたらしいのだけれど、編集者の意図とは違った形で当時の茂木さんが書いた内容が、そのまま出版されたものなのだそうだ。
もちろん、当時はまだあまり有名でなかった茂木さんなので、こんな漠然とした内容の本だとあまりよい売れ行きではなかったのだろう。絶版になっていたところを2006年になって「ちくま文庫」として甦ったので購入してみた。

この本の素晴らしいところは、茂木さんという当時(今も)特別に面白いアイディアを出してギラギラ輝いていた人が、そのフレッシュな頭で思ったことや感じたことを下手なフィルターを通さずにガンガン出力されていることだと思う。
「脳科学」という分野にとらわれることなく、生きることから宗教、哲学、芸術、そして「死」まで、と扱っている分野がどれも非常に興味深いものばかり。

ネオフィリア(「新奇なものを好む」傾向)や全知感、それにブロードの制限バルブ説(人間の世界認識は、「世界全体」から引き算することで成り立っている、という逆説的理論)などなど、とても面白い考え方が紹介されると同時に、本を読み進めていくことでこれらの考え方について茂木さんと一緒に考えているような、そんな楽しい気分に浸ることができる。
全体的に少し話題が散ってしまって「結論のない議論」が多い、という見方もあるのかもしれないけれど、素晴らしい科学者が考えていたことに直に接することができるだけでも十分に価値がある。そもそも、完成された理論だとか世界観というものはそうそう出来上がるものではないし、出来上がった頃にはたくさん手垢がついてしまっていざ解説されるとなるとフレッシュな楽しみというものに欠けることが多いのだ。

最後の最後に茂木さんが言っていることがとてもいい。
ファラデーの言葉「素晴らしすぎるからといって、それが本当でないということはない。ただし、それが自然法則に反しない限り。」をひきながら、現代の人類が手にしている可能性の多さとその分だけ増えた無力感に対して慰めの言葉を書いている。

「私たちは、人間ができることの限界について皮肉になるのではなく、ファラデーのように、この世界の法則からくる限界を十分知りつつ、可能性の方を重視したらどうだろう。」

茂木さんのほうはもう既に何冊も読んだけれど、この本が一番読んでいて楽しい本だと思った。

2006年08月08日

沖縄・先島への道 - 司馬遼太郎


相変わらず面白い「街道をゆく」。

沖縄が15世紀頃まで国家的な枠組みを持っていなかったことを初めて知った。
生活を便利にすると同時に精算余剰分を創り出した鉄がこの島々に伝わったのが遅かったから、という理由は多分にうなずけるものだ。

侵略され、統治していた大名に好きなように人頭税をかけられ、「日本」という近代国家が成立していく過程でも大きな犠牲を払い、しまいに「戦争」の直接的な被害者となった沖縄。
おおらかな歴史を持っていただけに、「日本」という国によって沢山のものを失った沖縄が今になって「独立」ということを言い出すのは、ある意味当然のことなのかも知れない。

この本の中で一番よかったのは、やはり竹富島の描写だ。
本土への返還によって始まった巨大資本による沖縄の開発をギリギリ逃れた島が今どうなっているのか、とても気になった。

2006年08月02日

南伊予・西土佐の道 - 司馬遼太郎


はじめて「街道をゆく」シリーズを読んだ。

松山から南へ下り、宇和島から東に抜けて四万十川の流れる土佐の国に入ったあたりまで。司馬さんらしい、柔らかなタッチと鋭い洞察力、それに圧倒的な知識を楽しめる貴重な読書体験。
なかでも、伊予・宇和島藩に関するあたりは、去年あの辺りをうろついたばかりなだけにとても興味深く読めた。

「宇和島十万石」というわけで、四国の片隅にあって非常に栄えた宇和島藩なのだけれど、伊達政宗の長男でありながら豊臣方の人質としてして育ったために(一説には、正室の子ではないからとも言われる)家を継ぐことができず、宇和島十万石を任された伊達秀宗にまつわる話は面白い。
彼に仕え、民を思いやる政治を行おうとして無惨にも殺されてしまった山家清兵衛が築いた藩の政治の礎が江戸時代を通じて残り、その発展に与したのだそうだ。
ペリー来航から数年後に、「藩だけ」の力で蒸気汽船を作ってしまった、という話もとても興味深い。