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Smoking in Bed: Conversations With Bruce Robinson - Alistair Owen

伝記


Title: Smoking in Bed: Conversations With Bruce Robinson
Author: Alistair Owen
Price: ¥ 1,201
Publisher: Bloomsbury Pub Ltd
Published Date:

メディア露出度が極端に低いブルース・ロビンソンにインタビューした本。

若い頃の役者からはじまり、脚本家、監督家、作家・・・という様々なキャリアを通じて関わってきた作品ごとに章立てして、ブルース・ロビンソンという人物に迫っている。

予想に反して、ブルース・ロビンソンという人はとても真面目できちんとした性格であるようだ。母親とアメリカ兵との「過ち」から生まれ、義理の父親から徹底的にいじめ抜かれて育った彼は非常に賢い子どもに成長し、とても思慮深い生き方をするようつとめているように思われる。

ハンサムな若者として出演したロミオ&ジュリエットでは好色家のゼッフェレリ監督に後ろから付け狙われ、彼の役者としてのキャリアはひどいトラウマと共にスタートする。
60年代と、70年代の頭では映画「ウィズネイルと僕」に描かれているような貧困生活の中を映画の筋通り売れない役者として過ごす。
彼が小説「ウィズネイルと僕」を書いたのはこの時代だ。

元々役者としてよりは作家として生計を立てることに興味を持っていたロビンソンは、1970年代後半から1980年頃にかけて映画「キリング・フィールズ」の脚本を手がける。
この映画はニューヨークタイムスの特派員としてポル・ポト派の攻勢によって沈み行くカンボジアの首都プノンペンを取材し、脱出した後、彼がプノンペンで世話になった現地のガイド(英語を話せるインテリ階級なので、制裁の対象)が強制収容キャンプから命からがら逃げ出して、主人公と再会する・・・という筋。

興味深いのは、ロビンソンがこの二人の間に「友情」と呼べるものは一切なかった、と言い切ってしまっていること。
脚本家として、一旦完成させたスクリプトが製作者の都合のいいように変えられていき、描いたものとは異なる形で世に出てしまった、という事態(というか、映画業界における「脚本家」という立場の弱さ)に初めて彼は遭遇する。
と同時に、彼はどんなにまじめな映画であったとしても、それはあくまで「物語」であり、「エンターテイメント」でしかないのだ、と非常に冷静な態度を貫いている。

「キリング・フィールズ」の後に彼が手がけたのはマンハッタン・プロジェクトの映画化のための脚本。アインシュタインが時の大統領ルーズベルトに原爆開発の必要性を訴える手紙を書いたのは有名な話だけれど、実際にプロジェクトを走らせたレスリー・グローブ将軍なんかの話はそこまで知られていない。
「何かを調べると決めたら徹底的に調べるんだ」と言うロビンソンは、この原爆開発という人類が経験した悪魔的プロジェクトをひたすら追いかける。
結局、この脚本もまた製作者の都合で大幅に書き換えられてしまい、「自分では一回も見てないよ」という彼にとっては悲惨なキャリアとなって終わる。

1969年に書いた小説「ウィズネイルと僕」は、彼の身近でカルトな人気を持っていたらしく、読ませた友人の勧めもあって1970年代に既に脚本として完成されていたらしい。
キリング・フィールズでの脚本家としての成功もあり、不運の人ブルース・ロビンソンにもようやくこの「自分の物語」を映画化するチャンスが訪れる。元々は脚本提供だけしかしない予定だったらしいのだが、トントン拍子に話が進み、彼自身が監督となって制作に関わることになったらしい。

ウィズネイルに引き続いて彼がメガホンを取ったのは「広告業界で成功する方法」(How to Get Ahead in Advertising)という映画。
これはサッチャーによるイギリスの改造を徹底的に皮肉った映画らしいのだけれど、明らかに予算が足りていない上に映画としての煮込みが足りずに不完全燃焼な作品になってしまったようだ。

ウィズネイル・広告業界以降の彼の活動は、彼自身の子供時代を描いた小説"The Peculiar Memories of Thomas Penman"(彼曰くウィズネイルが自身の70%の自伝とするならば、ペンマンは80%だそうだ」)や、いくつかの物語の脚本、そして映画「Still Crazy」への出演など。いまでは田舎の広い家に住みながら、マイ・ペースに自分の生活を守っているようだ。

最後の章「Fuck Jesus, Give Me Shakespere」では、彼が最近思っていることを雑多にぶちまけているのだけれど、その章の名前から察するとおり彼の人生哲学のようなものを伺うことができる非常に興味深い発言に満ちあふれている。

映画「ウィズネイルと僕」を知ることでブルース・ロビンソンを知っているようなつもりになっていただのだけれど、それは大きな間違いであることに気づかされた。
とりあえず、買ったばかりになっている"The Peculiar Memories of Thomas Penman"でも暇なときに読んでみることにしようと思う。