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2006年07月31日

Smoking in Bed: Conversations With Bruce Robinson - Alistair Owen


Title: Smoking in Bed: Conversations With Bruce Robinson
Author: Alistair Owen
Price: ¥ 1,201
Publisher: Bloomsbury Pub Ltd
Published Date:

メディア露出度が極端に低いブルース・ロビンソンにインタビューした本。

若い頃の役者からはじまり、脚本家、監督家、作家・・・という様々なキャリアを通じて関わってきた作品ごとに章立てして、ブルース・ロビンソンという人物に迫っている。

予想に反して、ブルース・ロビンソンという人はとても真面目できちんとした性格であるようだ。母親とアメリカ兵との「過ち」から生まれ、義理の父親から徹底的にいじめ抜かれて育った彼は非常に賢い子どもに成長し、とても思慮深い生き方をするようつとめているように思われる。

ハンサムな若者として出演したロミオ&ジュリエットでは好色家のゼッフェレリ監督に後ろから付け狙われ、彼の役者としてのキャリアはひどいトラウマと共にスタートする。
60年代と、70年代の頭では映画「ウィズネイルと僕」に描かれているような貧困生活の中を映画の筋通り売れない役者として過ごす。
彼が小説「ウィズネイルと僕」を書いたのはこの時代だ。

元々役者としてよりは作家として生計を立てることに興味を持っていたロビンソンは、1970年代後半から1980年頃にかけて映画「キリング・フィールズ」の脚本を手がける。
この映画はニューヨークタイムスの特派員としてポル・ポト派の攻勢によって沈み行くカンボジアの首都プノンペンを取材し、脱出した後、彼がプノンペンで世話になった現地のガイド(英語を話せるインテリ階級なので、制裁の対象)が強制収容キャンプから命からがら逃げ出して、主人公と再会する・・・という筋。

興味深いのは、ロビンソンがこの二人の間に「友情」と呼べるものは一切なかった、と言い切ってしまっていること。
脚本家として、一旦完成させたスクリプトが製作者の都合のいいように変えられていき、描いたものとは異なる形で世に出てしまった、という事態(というか、映画業界における「脚本家」という立場の弱さ)に初めて彼は遭遇する。
と同時に、彼はどんなにまじめな映画であったとしても、それはあくまで「物語」であり、「エンターテイメント」でしかないのだ、と非常に冷静な態度を貫いている。

「キリング・フィールズ」の後に彼が手がけたのはマンハッタン・プロジェクトの映画化のための脚本。アインシュタインが時の大統領ルーズベルトに原爆開発の必要性を訴える手紙を書いたのは有名な話だけれど、実際にプロジェクトを走らせたレスリー・グローブ将軍なんかの話はそこまで知られていない。
「何かを調べると決めたら徹底的に調べるんだ」と言うロビンソンは、この原爆開発という人類が経験した悪魔的プロジェクトをひたすら追いかける。
結局、この脚本もまた製作者の都合で大幅に書き換えられてしまい、「自分では一回も見てないよ」という彼にとっては悲惨なキャリアとなって終わる。

1969年に書いた小説「ウィズネイルと僕」は、彼の身近でカルトな人気を持っていたらしく、読ませた友人の勧めもあって1970年代に既に脚本として完成されていたらしい。
キリング・フィールズでの脚本家としての成功もあり、不運の人ブルース・ロビンソンにもようやくこの「自分の物語」を映画化するチャンスが訪れる。元々は脚本提供だけしかしない予定だったらしいのだが、トントン拍子に話が進み、彼自身が監督となって制作に関わることになったらしい。

ウィズネイルに引き続いて彼がメガホンを取ったのは「広告業界で成功する方法」(How to Get Ahead in Advertising)という映画。
これはサッチャーによるイギリスの改造を徹底的に皮肉った映画らしいのだけれど、明らかに予算が足りていない上に映画としての煮込みが足りずに不完全燃焼な作品になってしまったようだ。

ウィズネイル・広告業界以降の彼の活動は、彼自身の子供時代を描いた小説"The Peculiar Memories of Thomas Penman"(彼曰くウィズネイルが自身の70%の自伝とするならば、ペンマンは80%だそうだ」)や、いくつかの物語の脚本、そして映画「Still Crazy」への出演など。いまでは田舎の広い家に住みながら、マイ・ペースに自分の生活を守っているようだ。

最後の章「Fuck Jesus, Give Me Shakespere」では、彼が最近思っていることを雑多にぶちまけているのだけれど、その章の名前から察するとおり彼の人生哲学のようなものを伺うことができる非常に興味深い発言に満ちあふれている。

映画「ウィズネイルと僕」を知ることでブルース・ロビンソンを知っているようなつもりになっていただのだけれど、それは大きな間違いであることに気づかされた。
とりあえず、買ったばかりになっている"The Peculiar Memories of Thomas Penman"でも暇なときに読んでみることにしようと思う。

2006年07月22日

生と死の分岐点 - ピット シューベルト


ドイツの山岳会の安全委員会委員長として、長らく遭難事故と向き合ってきた著者が山における遭難のリスクを実例を沢山挙げながら解説している非常にドイツ的な本。

山の天気から雷にはじまり、ザイルやビナ、シュリングなどの登攀用具の細かい使い方まで、実地的な経験に基づいた非常に入念かつ詳細な議論が行われている。
ハーネスやピッケルの選択や使い方が日本で広く使われているものと少し違ったりするのだけれど、クライミングにおけるリスクの説明として非常に筋の通った説明が多い。
ザイルで体を確保しながら岩を登っていく、という行為の危険性はここ50年以上の間本質的に変わることなく沢山の人たちの命を奪ってきたのだ。

実際に本番のクライミングなんかをしている時は、コンディションの関係上ゲレンデの時に比べていい加減なことをしてしまうことがあると思う。そしてそのひとつひとつのアクションがこの本で紹介されているリスクに直接結びつく可能性を常にはらんでいるのだな、と思った。

この本は登山技術の解説本、というよりは「事故のケーススタディー紹介本」、として理解した方がよいだろう。
何が起こるか分からない山の中で、沢山の物言わぬクライマー達に接してきた著者だからこそ書くことができた本なのだ。

2006年07月15日

歌舞伎への招待 - 戸板康二


非常に優れた歌舞伎の入門書。
いわゆる入門書、というよりは歌舞伎のエッセンスを非常にコンパクトにまとめあげた本である。

この本は著者がエトランゼの視点から歌舞伎を眺め、その魅力を余すことなく伝えることに成功した非常に素晴らしい作品だと思う。

2006年07月03日

最高裁物語(上・下) - 山本祐司


戦後、GHQによって新しい日本国憲法が提案された時代に産声を上げた最高裁が現代までに辿った道のりを綴った本。

戦前・戦中において、日本における司法の最高機関は大審院と呼ばれ、政治及び天皇から独立したシステムとして機能していなかったのだそうだ。
戦後の混乱と憲法発布の流れ、そして大審院から最高裁への生まれ変わりから始まり、それ以降は各章ごとに歴代の最高裁長官の仕事ぶりを紹介していくことでそれぞれの時代の最高裁の姿が描かれている。

リベラル派が台頭した時代から保守派の復権や、最高裁による様々な決定によって戦後の日本の法律制度がいかなる道のりを経て現代に至っているのか、という流れがよく分かった。
最高裁、というと「上告していくことで最終的に辿り着く、一番重たい裁判を行う場所」という認識しかなかったのだけれど、憲法や法律の判断を行ったりすることで、国内の法律制度に対して非常に大きな影響力を持つ強大な組織であるなぁ、と感じる。時代に時代に応じて少しずつ変化していく「常識」を捉えつつ、法律がカバーしえない領域においても何らかの解決手段を提示しなければいけない最高裁は、とても重たい使命を背負っているのだと思った。

2006年07月02日

デス・ゾーン 8848M - アナトリ・ブクレーエフ


最近読んだ「空へ」という1996年に起きたエヴェレストでの遭難事件を別の人の視点から描いた本。

「空へ」の作者が参加していたパーティーと同じ日に山頂を目指したもうひとつのパーティーのガイドであるアナトリ・ブクレーエフさんとアメリカ人のウェストン・デウォルト氏にによる共著となっている。
実質上、デウォルト氏がアナトリさんやその他大勢の関係者に対して行ったインタビューや、アナトリさんが書いた文章の断片をまとめあげて1996年の出来事をうまくまとめた本、といったほうが正しいかもしれない。

全体的なノリとして、「空へ」では参加者を置いて一人だけ早く下山をしていたり、非協力的なガイドとして批判の対象となっていたアナトリさんが「ほんとのところはこうだったのですよ」と主張した本だと思うのだけれど、最終的に1996年の遭難がいかにして起きたか、という大きな絵は変わらないと思う。
実力不足のパーティーと、それを商売故に無理にでも世界の頂点へと引っ張り上げようとした二人のリーダーの悲劇、という構図しか見えてこないのだ。

「私はスポーツマンだ。できることなら達成したいと思う目標が、山にはいくつもある。なんらかの技術をもったすべての人々と同じように、私も自分の能力の限界に挑戦したいのだ。私個人の目標のために資金を調達するのに、ほかの道を見つけるのはもう遅すぎる。とはいえ、経験のない人々をこの世界につれてくるという仕事をするには、大きな条件がある。こう言うのは辛いが、私は「ガイド」と呼ばれるつもりはない。私は自分の役割をそれとは区別したい。他人から、その人の野心をとるか生命をとるかの恐ろしい選択をまかされなくてすむように。人は誰でも、自分で自分の生命の責任をもつべきだ。」

というアナトリさんが登山に関して特別ストイックな意見を持っているとは思わない。登山(特に8000mを越すような高所での)を行う上で自分で判断できないようなシチュエーションは存在すべきではないし、それはそもそも登山という行為の楽しみの半分以上を奪い去ってしまうものなのだ。