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2006年05月28日

毎日新聞社会部 - 山本祐司


特ダネをものにしようと朝昼晩とかけずり回り、夜は飲み屋で気勢を上げる・・・、そんな「新聞記者」という人々の姿が印象深く綴られている。

戦後すぐのドロドロした時代から、毎日新聞社会部が報道してきた数々の事件や出来事と、それに関係した人々のドラマを書き、著者が活躍し始める70年代からは、著者が接した社会の闇に焦点を当てている。
これらの多くの事件の奥底にアメリカの影がある、という事実は非常に興味深い。戦後の日本において、アメリカは常に日本社会を裏からコントロールし続けてきたように思われる。

著者はもともと児童文学を志していた人だったらしいのだけれど、大学も終わりの1969年に学生運動を学生の立場から報じた毎日新聞に感銘を受けて毎日新聞の記者になることを決めたのだそうだ。

毎日新聞が一貫して貫いてきた「ジャーナリズムの精神に忠実でありつづけること」というスローガンは、現在の日本のジャーナリズムにおいて徹底されているとは思えない。個人的な意見、日本で発行されているような巨大新聞は、特ダネをぬいたぬかれたという「競争」ではなくて、」社会に対して何をフィードバックしていくか」という命題をもっと追求すべきであろうと思った。

2006年05月27日

波止場日記 - エリック・ホッファー


1958年から1959年にエリック・ホッファーがつけていた日記。

労働と読書、それに思想する毎日がポツリポツリと語られている、とても中身の濃い本。
全体的なテーマとして、当時彼が執筆していた「知識人」に関する著述をまとめ上げていく上で彼が行った思考が綴られているのだけれど、当時の世界とアメリカの状況も含めて非常に興味深い。

彼はアメリカ的民主主義を成立せしめている個々の人々を信じる、というその大きなテーマを気に入っていたらしい。
当時台頭していたロシアを筆頭とする共産主義国家の無意味さを彼は骨の髄まで理解しており、またこれらの国家に対する厳しい指摘をたくさん行っている。

彼が一生涯かけて考え続けたことに「人が自由に生きること」という大きな命題があったように思える。
人が社会秩序や自然的状況から離れて自由に生きること環境、という意味でのアメリカは、確かに昔から変わらずに今でも世界で一番完成されているように思える。そして彼が常に恐れ続けていたのは、「庶民の国」であるアメリカが既存の国家であり社会秩序が持つ古臭い因習に捕らわれてしまうことだったのだろう。

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「どのような見方をしてみても、創造力は内的な緊張から生まれるものである。この緊張に加えて、さらに才能がなければならない。才能が全くない場合には、緊張はそのはけ口をさまざまな行動に求めることになる。」

「絵画・音楽・舞踊の先行性、非実用的なもの、無駄なものの先行性はどう説明するか。おそらくここに、人間の独自性の根源がある。人間の発明の才は、人間の非実際性および途方もなさに求められるべきである。」

「われわれはただちにプライドの化学についてできるだけのことを知るべきである。プライドー国家、人種、宗教、党、指導者に関するーは個人の自尊心の代用品である。」

「自由とは、人間をものに変えてしまうような、つまり人間に物質の受動性と予測可能性をおしつけるような力や環境からの自由を意味する。このテストにかけるならば、絶対的な権力は人間の独自性もっとも反する現象である。絶対的な権力は人を順応性のある粘土に変えたがるからである。
自由に適さない人々ー自由であってもたいしたことのできぬ人々ーは権力を渇望するということが重要な点である。」

「人間の独自性は安定し連続した環境においてのみ開花し持続しうる、と私は信じ始めた。現代社会に特有の、生活のあらゆる部門の絶え間ない根底的変化は、人間の本性に敵対するものである。」

「旧約聖書における自然の格下げは、近代西洋出現の決定的要因となっている。エホバは自然と人間を創造したが、人間を彼の姿に似せて創り、人間を地上における彼の総督となした。」

2006年05月26日

中谷宇吉郎随筆集 - 中谷宇吉郎著・樋口敬二編


雪の研究で有名な中谷宇吉郎さんが書いた沢山の分野に渡る随筆をまとめた本。

雪の研究から南画まで、本当に沢山のトピックが並んでいる。
はじめのほうのトピックは、これまでに読んだことのある本と被った内容だったものの、西遊記に始まり原子爆弾、イグアノドン、千里眼から卵が立つ話まで・・・。

著者は戦前に自分の目で世界を見て回る貴重な体験をした日本人として、また自由な発想を持った科学者として戦中、そして戦後の時代にも日本という国に対してある種のフラストレーションを抱き続けたようだ。
例えば「障子を破るもの」に顕著に現れているけれど、日本の多くの人がロジカルに物事を考えられていない、という問題を彼は真剣に捉えていたらしいし、これは今でも変わっていない。
本当の意味での科学精神が理解されていない、という主張はファインマンさんなんかとも通じるところがあって面白い。二人ともなんでもかんでも、面白そうなものにはとりあえず手を出してみる、という姿勢を持った科学者(つまり、本の中で紹介されている「アマゾン型」の傾向を持った人)だから、ひとつの視点に凝り固まってしまうような科学のあり方に疑問を持っていたのだろう。

自由学園女子部が行った霜柱の研究についての記述がある。「好奇心」と「やる気」、それに「忍耐力」さえあれば、誰でも価値のある科学研究を行うことができる、というよい例だと思う。
要は楽しむ姿勢が重要なのだ。

2006年05月21日

飛行蜘蛛 - 錦三郎


山形県飯豊町周辺で見られ、「雪迎え」と呼ばれる蜘蛛が自分の吐いた糸を使って風に乗る現象からはじまり、蜘蛛に関する沢山の著述が含まれた本。

著者は蜘蛛の不思議な生態やなんともいえない不気味さ、そして神秘性に強く惹かれた人であったらしい。
雪迎え現象を解明しようとする根気強い努力や、蜘蛛の生態観察、それに各国における蜘蛛や雪迎えに関する資料が紹介されたあたりは、本当に丁寧な仕事振りに驚かされる。

長い間同じ現象が「自然の不思議」として観察されていたものを自分の努力で解明して、まとめあげて発表して、比較を行いながらそれでもまた同じように「自然の不思議」に心を動かされ続けてきたであろう著者の人柄がうかがえる素晴らしい本。

2006年05月20日

モンティ・パイソン正伝 - モンティ・パイソン


やたらと分厚いパイソン本。
本人達によって語られる、生い立ち、受けた教育、パイソン以前の仕事、そしてパイソン時代からそれ以降の話。

無理やりまとめると、第二次大戦の暗い影を引きづった時代に生まれ、その影と決別する形ですくすくと成長し、コメディーで人を笑わせる才能に長けた6人が集まって、面白いことをやらかすことに成功したのがモンティ・パイソンである、と言えるのだろう。

面白いことに、メンバーの中で一番身近に感じることができたのは、これまでいまひとつキャラクターを掴むことができなかったテリー・ギリアムだった。
5人の個性の強いイギリス人に囲まれて、ある意味便利屋としての仕事に徹して沢山の経験を積んだことで、彼のクリエイターとして才能が磨かれたように思われる。他のパイソン達がモンティ・パイソンをやっていく中で消費されていったように感じられるのに対し、一人テリー・ギリアムだけは沢山のことを学び、それを昇華させることに成功したように感じられるのだ。

また、ジョン・クリーズやエリック・アイドルのようにモンティ・パイソンの「顔」ではなかったものの、実はモンティ・パイソンの心臓部でありグループのメンタリティーを保つ努力をし続けていたテリー・ジョーンズも面白い存在だと思う。

メンバーそれぞれが強烈な個性を持っていて、普段は別のことを考えているのに関わらず、モンティ・パイソンという箱の中に入って考えることで途端に素晴らしいものがポンポンと生まれてくる、という現象は本当に面白い。色々な偶然が重なって波長が合った人間が集まると、こんなにも楽しいことができるのだ。
伝える方法が何であれ、面白くてセンスのある人間はどこか通じ合うことができる、というだけの話なのだけれど・・・。

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"Withnail and I"の製作会社である"Handmade Films"の第一作が"Life of Brian"である、というのは有名な話だけれど、創設者であるジョージ・ハリソンが立ち上げに苦労した話が出てくるのは面白い。
本当は"British Handmade Films"という名前にしようとしていたとか、"Handmade Films"のロゴはテリー・ギリアムが作ったとか、出資者に資金提供を断られて途方にくれていたパイソン達を協力するため、ジョージ・ハリソンが自宅をモルゲージに入れてまで資金を提供してくれたとか、心暖まるエピソードに溢れている。

2006年05月15日

アルゼンチンババア - よしもと ばなな


相変わらず不思議なよしもとばななの世界。
物語も挿し絵もなんとも素敵で、感受性豊かな筆で彼女独特の世界を描いている。

「アルゼンチンババァ」ってまさか本当に「アルゼンチン」の「ババァ」とは、本を開けてみるまで分からなかった。
高校生で母を亡くした主人公と、父親とアルゼンチンババァの交流が物語の大筋なのだけれど、本当にさりげない文章で人生や物事の本質をチクチクと突いているように思う。
人が生きて、誰かを愛したり、何かに絶望したり、馬鹿なことをやらかしたりするのはどうしてなんだろう、というささやかな疑問に対してよしものばななさんが色々と考えたことが物語の中にひっそりと埋め込まれているのだ。

「お母さんの体からお母さんの魂がいなくなった時、私はその冷たい体を見て何回も思ったのだ。「ああ、お母さんはこれに乗って旅をしていたんだ」」

「どこまでも遠い異国に旅するのも、自分だけの遺跡を作ることも、きっと根っこのところでは同じ試みなのだと思う。ある時代から時代へと旅して、消えていく。ささやかな抵抗の試みを永遠の中に刻みつける。それだけのことなのだ。」

「「好きな人がいつまでも、死なないで、いつまでも今日が続いていてほしいって、そう思ったのよ」その祈りは永遠に人間が持つはかないものなの、そしてきっとはるか上のほうから見たらネックレスみたいにきらきらと輝いていて、神さえもうらやんでひきつけるほどの美しい光の粒なのよ、とユリさんは言った」

2006年05月13日

青春を山に賭けて - 植村直己


植村直己、という名前は幾度も聞いたことがあったのだけど、実際にどんな人だったのかを知らなかったので、彼の半生を知るよい機会になった。

日本がまだ貧乏敗戦国だった時代に海外に飛び出して、冒険のパイオニアになったような人なのだなぁ、と思う。
アルプスの美しい氷河を夢見てアメリカに稼ぎに行く、という発想が単刀直入で面白いし、本当にそれを実行してしまうこと、そしてその最中やその後に起きるあれやこれやの騒動を切り抜けていくことが彼の凄さなのだろう。

どうやら植村直己さん、という人はとてもシンプルで力強い人で、自分が「やろう」と思い立ったことは最後の最後までやり遂げる人だったらしい。
猛獣の住むジャングルを抜けてケニア山を目指すくだり、それにアメリカやフランスで会った心優しい人たちとの交流もよく描かれている。

ちょっと文章としては退屈だったけど、植村さんという面白い人の話を楽しく聞くことができるような楽しい読書だった。

2006年05月11日

銀の匙 - 中勘助


しみじみよい本。

もう2,3年も前に、どこかの本屋で「岩波文庫人気投票」みたいなことをやっていて、この「銀の匙」が随分高く評価されていたので買ったのだけれど、なぜだか今の今までページを繰ることなく家の本棚に置かれたままになっていた。
ここしばらく沢山本を読んだけれど、どうもみんな殺伐としたものばかりでしんみりしたものが読みたいな、と思って偶然手に取ったのだった。

病弱に生まれ育った著者の子供時代を振り返るところから物語は始まるのだけれど、これだけリアルで優しく子供の視点で物語を綴ることに成功した人は世界的に見ても少ないのではないか、と思う。
ケストナーの自伝なんかも結構いい線いっていると思うけれど、「銀の匙」の素晴らしいところは、今では完全に見ることが出来なくなってしまった日本らしい情緒豊かな社会や人がたくさん現れることだと思う。

はじめの2,3ページは少しぎこちなくて、きっとこれがこれまでのこの本をちゃんと読まなかった理由だたのだろうと思う。
本当に久しぶりに、心の底から抱きしめたくなるような「好きな本」に出会えた。

2006年05月09日

負け犬の遠吠え - 酒井順子


くだらないけど面白い。
なんで面白いかっていうと、著者が洞察力に優れている上にタッチで軽妙で面白いのと、現代的な問題を扱っているから。
さらに、誰しもがついつい反応してしまう「勝ち」「負け」という判断基準をうま~く導入しているのが一番の勝因なのだろう。

結婚・出産をしていない30代女性を「負け犬」と定義するところにこそ、著者がこの本で描きたかった現実が隠れていると思うのだけれど、実際に雄の負け犬候補としてこの本を読むと、共感できる部分が多い。別に悪いことなんてしているわけじゃないけれど、ついつい大人の判断を下せないまま、刹那的に生きていたらこうなって(負け犬化)しまった・・・という状態はほんとうにありふれたストーリーなのだろう。

男性・女性に関わらず、現代の都市に住む人々の生活や精神構造がよく見えてくる面白い本だと思った。

2006年05月07日

シマノ - 世界を制した自転車パーツ - 山口和幸


シマノがいかにして自転車業界の巨人となりえたかを描いた本。
全体的にダラダラした文体で飛ばし読みになってしまったのだけれど、内容は掴めた。

シマノはもともと自転車競技に対して対して興味のないような町工場で(これは堺という場所の特徴でもあるらしい)、勘の良い経営者が積極的に新しい設備の投資をしながら世界の自転車業界に対して挑戦を企てていった結果が現在に繋がっている・・・というのがこの本で語られている内容。

SISやSTIで自転車におけるギアチェンジの常識を覆したのも、ロードレーサー一辺倒だったヨーロッパの自転車業界と違って、アメリカで80年あたりに始まったマウンテンバイク(これは実はゲイリー・フィッシャー社の登録商標らしいのだけれど、創業者自ら一般名称として使うことを許可しているらしい)の流行に対して一番効果的に反応することができたのも、「ビジネス」を意識しながらも「遊ぶ」ことに対する嗅覚が会社上層部に残っていたことが大きい。

あくまで最終的な使い勝手・機能を優先し、エトランゼの視線で常識にとらわれずによりよい製品を作っていくことで今のシマノがあるのだな、ということがよく分かった。

古道具ニコニコ堂です - 長嶋康郎


古道具屋さんを営む長島さんが、私家版の新聞として書いた記事をまとめた本。ほのぼのした気分に浸ってしまった。

まず何よりも、長島さんのお店を訪れる変わった人たちが軽妙に描かれていて面白い。
長島さん自身もとても「古道具屋のおじさん」っぽい人で、下手に高いものに手を出したりするよりも、何かゴミのようなものを集めてきては趣味で売っているようなところがあってとてもほほえましい。
落語の火焔太鼓みたいだ。

絶妙な言語センスも素晴らしい。
きっと、長島さんの長い人生経験の中で自然と育まれてきたのだろう。色んなものや色んな人に巡り会って、本当に色んな経験をしているんだろうなぁ・・・と文章の端々から伺える。
アナログな人生を送っている人だと思った。

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改めて自分の家の中を見まして、いかに自分が「デジタルな人間」かが分かるような気がする。この本に出てくるような「ゴミなのか何なのか分からないけど、愛おしいもの」がほとんどないのだ。

今僕の目に映るもののほとんどは自分で買って揃えたもので、「物の価値」という意味でほとんど一意の価格しか持ち得ないものばかりであることに改めて驚かされる。
たくさんのDVDやCD、コンピューターやマウス、アンプやCDプレイヤーは、どれも自分にとってオンリーワンな価値を持ち得ないもので、「市場」というシステムに放り出された瞬間にある一定の価格によって完全な「価値判断」がなされてしまう。
ギターやスピーカー、ソファやテーブルは純粋にそうとは言い切れないところがあるとはいえ、もう少し遊び心が欲しい。

人は、自分が生きてきた証を欲しがる。
それは例えば犬が電信柱におしっこをひっかけるようなものなんじゃないかと僕は常々思うのだけれど、世界の中で自分にとって何らかの価値があるものを見つけて、それを共有することができる時にこそ人は幸せを見いだすのだと思うのだ。

南極第一次越冬隊とカラフト犬 - 北村泰一


南極第一次越冬隊の最年少隊員として活躍した北村さんが南極探検と第一次の越冬体験について綴った本。

物理を学ぶ大学院生で、山が好きであった彼は南極に行くチャンスを掴むために北海道での犬ぞり訓練に参加し、運良く第一次越冬隊の一員となって南極での1年を過ごす・・・。
情報量が多くてよくまとまっている部分と、彼の手記のようになっているエモーショナルな部分とがあって面白い。

犬たちとのやりとりや、一癖も二癖もある隊員達、そして何よりも驚異的な南極の自然の描写が素晴らしい。
外敵に慣れていないペンギンやアザラシ、それにどう猛でヤンチャながら頼りになる犬たち。
分量的に2,3日かかるかと思っていたら、深夜までかかって一挙に読み終えてしまった。

2006年05月06日

イエスの生涯 - エルネスト・ルナン


霊感と詩情に溢れたイエスの物語。
エリック・ホッファーの自伝で絶賛されていたのので読んでみた。

ルナンは本の冒頭で、自身のキリスト観及び聖書観が超自然的な解釈から一切離れていることを明記している。この本が書かれた1860年代は、帝国主義と植民地政策、それに自然科学的なものの見方が欧米社会に広がった時代だ。
この物語はその時代的空気を色濃く残していると共に、ルナンのイエスに対する愛情とその後1800年間に渡るキリスト教の混乱に対する厳しい視線が結実したもの、と考えることができる。

イエスの新しさとは「宗教の形式というものを放棄した」ということに尽きる。
世界でも稀にみるほどに複雑怪奇な律法システムを持ち、ローマに占領されてはいるが心は錦でいつか救世主がやってきて俺達「だけ」が救われる・・・みたいな変な思想を持った人たちの間に生まれたごくごく普通の人イエスは、単純に「全ての人を愛しなさい」という言葉で全ての人の間にあるいざこざを解決しようと試みたのだと思う。
あまりにも劇的な十字架刑による死や、彼が死んで間もなくイスラエル国家にカタストロフィーが訪れたこと、そして彼が教えた教義がシンプルで多くの人たちに支持されたことと、さらに多くの偶然が重なって、彼はキリスト教という巨大な社会的ムーブメントの礎として人々の記憶に残されることになった。

19世紀の人たちは、当時の社会においてもなお巨大な怪物であったキリスト教とはいったい何なのか、そもそもキリストとは一体何者なのか、ということを「当時の科学的思想」に基づいた形で知りたがったのだろうし、それを実践したのがルナンという人だったのであろう。

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この本を読んでいて、自分が育ったキリスト教的環境を強く意識させられた。
幼稚園児の頃に一緒に遊んだアメリカ人の家族はもちろんキリスト教徒で、アットホームな形でキリスト教を実践している人たちであったように思われる。
イエスとその弟子達が作っていた親密なコミュニティーとはまさに僕が子供の頃に体験したようなアットホームなコミュニティーだったのではないか?と気づかされた。

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本当にいつもいつも思うことだけれど、何か新しいアイディアをぶち上げる人は、いつも大きな社会的・世間的反抗に遭って苦難の人生を歩む。そしてそれに続くフォロワー達が、先人の思想を少しずつ少しずつ社会に浸透していくことで、ようやく社会に認知されはじめ、いつしかそれは大きなうねりとなって社会全体に大きな影響を与える。
でも、この偉大なる先人が蒔いた種が大きなうねりとなる頃には、彼の偉業は多くの場合において忘れ去られていて、彼にまつわるいささか神話めいた謎や奇跡が残されるだけで、誰も彼が本質的に「何を変えたのか」ということに目を向けることはない。

だから、本当に何か新しいことをやる人はいつも世間からの冷たい視線を浴びる運命に立たされていて、本当に涙が出るほど一生懸命になって彼のアイディアを伝えるために奔走することになるのだと思う。
僕はこれをここしばらくの間「尖った先の憂鬱」という言葉で表現し続けているのだけれど、イエスこそまさにこの尖った先の憂鬱を生きた人、として記憶されるべき一人のカリスマであったのだろう。

2006年05月05日

アラスカの氷河 - 中谷宇吉郎


雪の研究で有名な著者が、世界各地に赴いて行った研究の日々を綴った紀行集。

学術的な内容をさらりと紹介しながら、現地で活躍する研究者の奮闘やその土地土地に展開する素晴らしい自然が描かれている。
本の題名になっているアラスカの氷河もさることながら、グリーンランドや満州、それにハワイ(マウナ・ケアの雪!)や北極海を漂流する氷島の描写はとても新鮮で面白い。

「雪」を読んでも思ったけれど、こういった自然現象を直接相手にした研究は、今では全てが分かっているかのように思われがちだけど、まだまだ多くのことが分かっていないこと、そしてその研究をはじめるためのエントリーポイントが想像以上に低いところにあることに驚かされる。
恐らく、本格的な成果を収めるためには一定以上の投資が必要である上に、特定の現象・事物をだけを対象とした研究に終わってしまうことで科学一般の発展に寄与しないことが懸念されているのだろう。

身の回りにある自然の不思議は人の心を豊かにする。
人生の中で多くの謎に出会い、それらと共に生きていくことは人の心にとって大いなる糧となるのだ。

2006年05月02日

散るぞ悲しき - 梯 久美子


硫黄島防衛の総司令官として、破滅的状況の中でアメリカを悩ませた栗林忠道さんのドキュメンタリー。

タイトルの「散るぞ悲しき」とは、栗林忠道さんの辞世の句「国の為重き務を果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき」から取られている。
彼の電信が受信されて記事として新聞に載った際、最後の部分は「散るぞ口惜し」と改変されていたのだという。

栗林忠道さんは軍人らしくない軍人で、部下や家族に対する気遣いを持ち、文章や絵をよく書き、さらに合理的な人であったらしい。アメリカでの留学経験から「アメリカは日本が一番戦ってはいけない国」と主張し、いざ日本本土が空襲の危険にさらされる瀬戸際となれば自ら最前線となる硫黄島で徹底的な抗戦をやった人・・・。

半藤一利さんの「ノモンハンの夏」なんかを読むと、いかに戦前・戦中の帝国陸・海軍が硬直的な組織でリアリティーを喪失していたか、ということが分かるけれど、栗林忠道さんが硫黄島でやったことは本当に「人」が「軍」という組織を使って最大級の働きをした稀有な例として考えることが出来る。
実際の戦闘に関する詳述はそこまでないけれど、この本で描かれているようなゲリラ戦はベトナム戦争でも実践されて大成果をあげたわけで、本当の意味で「抗戦する」ということを近代の戦争で初めて大掛かりに実践した人なのではないか?と思った。

2万人を超えるような人たちがひとつのちっぽけな島でバタバタと死んでいく姿は本当に馬鹿馬鹿しくて理解不能だけれど、優れた人間はどの時代にもいて、その手腕を発揮する機会にさえ恵まれれば本当にとてつもない結果を残すことが出来るのだな、と感じた。