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良い経済学 悪い経済学 - ポール・クルーグマン

経済学・社会学


最近、いいなぁ、と思っている人のリストに"Paul Krugman"なる人が追加されることになった。理由は簡単「経済学アレルギーを治してくれた」から。

大学生の頃から国際経済学及び経済学一般には興味を抱いていて、色々と勉強しようと苦心したのだけど、いつも似たような議論が出てきて分からなくなって諦める・・・という情けないパターンにハマっていた。さらに会社に入って仕事をするようになってからも、それっぽい本なんかを読んだりしていたのだけど、どうにもこうにも納得のいく「経済学」に出会うことができず、「結局、お金の動きだけで人間社会の仕組みを解き明かすのは無理だよ」っていう自分なりの結論に落ち着いていたのだった・・・。

で、この本を読む前に読んだクルーグマンさんの「クルーグマン教授の経済入門」で、きちんと「経済学が解き明かすことのできる限界」について書いてあることと、「世間一般に信じられていることと経済学とでは完全に矛盾することが往々にしてある」ということが何となく理解できてとてもスッキリした。

今回読んだ「良い経済学 悪い経済学」は「クルーグマン教授の経済入門」の前に出た本なのだけれど、扱っている内容が10年以上前の古いものであるにも関わらず、現代でも完全に通じてしまうとても的確な指摘がなされている。

まず、冒頭から「国と国とが経済的な競争をしている」妄想に対して真っ向から異論を唱えているのだけれど、これがツボにはまった。
メディアによって取り上げられる経済学には大抵勝者と敗者がいて、決まったサイズのパイの奪い合い合戦であるかのように報じられることが多い。「勝ち組」だとか「負け組」なんていう言い方にも通じるところがあるけれど、企業間の競争ならまだしも国家という単位で「経済的」な「競争」が行われている、という理解はよくよく考えれば全然ミスリーディングであることに気づく。このイメージは一般的に受け容れやすいから繰り返し同じようなノリで伝えられてきているのだと思うのだけれど、経済学の本分はこういったミスリーディングを助長するのではなくて、きちんとジャスティファイするものとして機能するところにある・・・というクルーグマンさんの意識がとても強く伝わってくる。

メディアは小さな声を拾い上げて拡声して多くの人に伝える・・・という機能を持っていると思うのだけれど、どの「小さな声」を選択するかはメディア自身によって選ばれているのと同時に拡声されたものを聞く人たちによっても選ばれている。で、世の中に何らかの主張を行いたい人がいたとして、その人がその主張を世の中に広めるためのツールとしてメディアが乱用されてしまった場合、それは一般的にメディアの視聴者の耳に心地よく、違和感なく届くものであるものとして伝えられるのだ。