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ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代 上・中 - ゲーテ

小説・詩集


「修業時代」から少し時間が開いてしまったのだけれど、ようやく図書館で借りることができたので読み進め中・・・。

修業時代とは少しノリが変わって、ヴィルヘルムが息子のフェーリクスと共に旅をして色んな人たちに出会って交流する様子や、登場人物達の間に交わされた手紙、それに物語の途中に挿入された小話によって成り立っている。

芸術や人生に関する興味深い言葉が沢山隠されている本。

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芸術は地の塩です。芸術と技術との関係は、塩と食物との関係と同様です。われわれが芸術に求めているのは、手仕事が味気ないようにするということだけで、それ以上のものを求めているわけではありません。
(中 P161)

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俳優は、芸術と人生の提供するものを、手前勝手に、その場その場の目的に乱用して、少なからず得をするでしょう。反対に、演劇から自分も同じように利益を得ようとする画家は、つねに損をするでしょう。音楽家も同じです。
(中 P187)

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ここでもうひとつ考察を付け加えるなら、おそらくぼくはこう言ってもいいだろう。人生の流れのなかでは、あの最初の下界の開花が、本来の本源的な自然だとぼくには思えた。それに較べれば、後の意識にのぼったほかのすべてのことは写しにすぎないように思える。どれほど似ていようとも、本来の、本源的な精神と感覚の開花に欠けている。
(中 P215)

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総合芸術としての演劇に関する意見は非常に興味深いし、「本源的な精神と感覚」なんてまさに「クオリア」。
人がなぜ好奇心を持って新しいことに興味を持ち続けるか、というと、恐らくそのクオリア的「感覚」の開花が脳にとって気持ちよいものだからなのだろうと思う。