« 2005年09月 | メイン | 2005年11月 »

2005年10月27日

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく - ランス・アームストロング


素晴らしい本。
膀胱癌から奇跡としか言いようのないカムバックを遂げたツール・ド・フランスのチャンピオン、ランス・アームストロングによる自伝。

原題"It's Not About the Bike"の通り、物語の焦点は自転車でなく彼の人生全体、もしくは「生きる」という行為に絞られている。
いかにもアメリカ的な家庭環境と、その中で逞しく育ち、苦悩し、成長し、死にかけ、復活してきた人間がありのままに描かれているのだ。

自転車でも物理学でも、優れた人間には大抵一つの共通点がある。それは「やり抜くこと」だ。
脇目もふらずに一生懸命生きるには、それだけその何かにコミットしている必要があるのだと思う。いつも斜めに構えてしまう僕にとって、非常に刺激のある読書体験になった。

2005年10月26日

ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代 上・中 - ゲーテ


「修業時代」から少し時間が開いてしまったのだけれど、ようやく図書館で借りることができたので読み進め中・・・。

修業時代とは少しノリが変わって、ヴィルヘルムが息子のフェーリクスと共に旅をして色んな人たちに出会って交流する様子や、登場人物達の間に交わされた手紙、それに物語の途中に挿入された小話によって成り立っている。

芸術や人生に関する興味深い言葉が沢山隠されている本。

**

芸術は地の塩です。芸術と技術との関係は、塩と食物との関係と同様です。われわれが芸術に求めているのは、手仕事が味気ないようにするということだけで、それ以上のものを求めているわけではありません。
(中 P161)

**

俳優は、芸術と人生の提供するものを、手前勝手に、その場その場の目的に乱用して、少なからず得をするでしょう。反対に、演劇から自分も同じように利益を得ようとする画家は、つねに損をするでしょう。音楽家も同じです。
(中 P187)

**

ここでもうひとつ考察を付け加えるなら、おそらくぼくはこう言ってもいいだろう。人生の流れのなかでは、あの最初の下界の開花が、本来の本源的な自然だとぼくには思えた。それに較べれば、後の意識にのぼったほかのすべてのことは写しにすぎないように思える。どれほど似ていようとも、本来の、本源的な精神と感覚の開花に欠けている。
(中 P215)

**

総合芸術としての演劇に関する意見は非常に興味深いし、「本源的な精神と感覚」なんてまさに「クオリア」。
人がなぜ好奇心を持って新しいことに興味を持ち続けるか、というと、恐らくそのクオリア的「感覚」の開花が脳にとって気持ちよいものだからなのだろうと思う。

カーニヴァル化する社会 - 鈴木 謙介


GLOCOMの倫理研究会で話を聞いたことがある鈴木さんの本。

宗教や社会、それに国家や家族という枠組みから解体されつつある現代人がどういう精神生活・社会生活を営んでいるか、という点を良くも悪くもあっさりと解析&分析している。

ここでいうカーニヴァル、というのは日常生活にポッと生まれるハイ・テンションな状態のことであり、自己回帰的で何も生み出すことのできなくなりつつ現代人が発作的に何かに没頭する状態を表している。
分かりやすいところだと、にちゃんねるの祭りのようなもの。

著者の鈴木さんが文章を通じて言いかけようとしていることが僕がここのところ考えている事にとっても近く、「あぁ、そうそう」みたいな感じで共感することも多い。社会学の新しい概念なんかは初めて聞くものが多く、とても興味深く読めた。

この書評もなかなか納得。そうそう、メッセージ性って意味では薄いっていうか何もないよね。