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2005年08月25日

死のクレバス - ジョー・シンプソン


映画"Touching the Void"の原作のノンフィクション。

映画では触れられていなかった2人の細やかな感情や、シウラ・グランデの登りの苦労と恐ろしい稜線沿いの下りの描写。
所々に現れる精神描写は非常に優れている。
これはジョー・シンプソン本人はエジンバラ大学の卒業生であることによるのかもしれない。

もちろん映画のほうが臨場感が溢れているため、この手の物語を語る点では利点が多い。だが、本人が紡いだ言葉を通して語られる経験は、他の何よりも説得力があるのも確かなのだと思った。

2005年08月24日

旅をする木 - 星野道夫


言葉のひとかたまりずつがとても暖かい優しさに溢れている本。

人が生きたり死んだりすることを超越した何かを身近に感じることが出来るアラスカでの生活や、同じようなものを求めてその地にやってきた人たちの笑顔。そんな描写に魅せられてしまい、貪るようにページをめくってしまった。

一番印象的だったのはこんな言葉だ。

けれども、自然はいつも、強さの裏に脆さを秘めています。そしてぼくが魅かれるのは、自然や生命のもつその脆さのほうです。

シンプルに生きよう。
そんなことを思った。

2005年08月23日

塩の道 - 宮本常一


素晴らしい本。

「忘れられた日本人」を読んで以来、宮本常一さんのフィールドワークと知識の深さは分かっていたつもりなのだけれど、この本に書かれている庶民の生活と、「日本」という国に関する考察はみな面白い。

日本において塩が海辺が作られ、それが険しい内陸部へと運ばれていった経緯や、牛や馬の使われ方やタコの穴の話などなど。

拒否できない日本 - アメリカの日本改造が進んでいる - 関岡 英之


一言で言うと、全世界で進行中のグローバリズムへの関する警鐘の書であると思う。

建築士の資格の世界標準(ほぼアメリカン・スタンダート)が、中国においても採用されたことから広がっていく著者の「グローバリズム」に対する疑い。著作権でも何でも、今になって考えると日本の方向性というものはほとんどアメリカの意思に沿った形で決定されていることが分かる。

アングロ・サクソン的世界観は確かにあるレベルの普遍性を持っていて、優れた(=強い)国家を作り出すことに成功していることは間違いない。
ただし、仮にある国がそのシステムを取り入れ、外見的には民主的でフェアーな社会を作り上げているように見えたとしても、それは本質的には全く異なったシステムである、ということを忘れてはいけない。そしてそのシステムを「民主主義」にとって都合のよいように強制的に改変することは、その国の文化に空洞を作り出すと同時にその国の原動力をも取り除いてしまう可能性もある。

岬 - 中上健次


面白い、というので他にも何作か入っている文庫本で「黄金比の朝」と「岬」だけ読んだ。
超ドロドロした感じで、個人的にはちょっと好きになれないかも。

不安定な家族事情と、それに対する反動としての女性への嫌悪感、単純な労働への賛美といつまでたっても変わらない現実。

日本に渦巻いている感情は、なぜかこういうドロドロしたものが多い。
どことなく面白さの片鱗は垣間見た気がするので、また読み直せば面白く感じることが出来るのかもしれない。

2005年08月18日

エリック・ホッファー自伝 - エリック・ホッファー


しっとりして面白い本。

まず何よりもエリック・ホッファー自身の特異な体験がとても印象的。失明してから回復しても40歳までしか生きられないと思い続けて絶望を胸の中に抱えながらそれでも一生懸命生きた彼の半生。そして自殺未遂から立ち直って放浪者として色んなことを学びながら生きた残りの半生。
彼のユダヤ人に関する意見や、不適応者が新しい世界を作ること、それに弱者が強者に対して講じる対抗策こそが新しいものを作ってきた、などの洞察にはとても強く共感した。

「歴史は不可抗力によってではなくて、先例によって作られるのだ。」とか「私が知る歴史家の中に、過去が現在を照らすというよりも、現代が過去を照らすのだという事実を受け入れる者はいない。」なんて言葉は非常に示唆的。

本の副題であり、原題である「構想された真実」(Truth Imagined)とは、彼が愛着を持って読み続けた旧約聖書のことを指す。これはつまりユダヤ民族の持つ歴史がこの言葉で表させることを言っているのと同時に、我々人間の認識能力が「構想された真実」に基づいていることを言っているのではないか、と感じた。

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日本における「不適応者」とはつまるところ「オタク」のことだし、芸術家とはある意味においてみな「不適格者」として新しい可能性にチャレンジし続ける人たちのことを言うのだと思う。

ひとつのところにとどまっている限り、お金は稼げても新しい体験には巡り会えないし、考え方も固定されてしまう。それが1人の人間という存在にとってよいことなのだろうか?
エリック・ホッファーという人からは、立花隆やファインマン、それにチベットで会った放浪するオランダ人と同じような印象を感じた。

2005年08月15日

Alice's Adventures Under Ground - Lewis Carroll

2005年08月14日

聖書時代史 - 旧約篇 - 山我哲雄


よい本。
図書館をプラプラしながら「よい具合に聖書に書かれた事柄を歴史的事実と符合させようとしている本はないかなぁ・・・」と探していて偶然見つけた。

旧約篇ということで、アブラハムからヘロデ大王まで、かなり新しい情報を元に聖書の時代の背景と、聖書に書かれている事柄に対して解説を行っている。

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結局あの「カナンの地」という場所は、常にエジプトとメソポタミア、そして後年にはヘレニズム文化による圧迫を受け続けてきた大変な地域で、その場所にとどまるためには沢山の苦労が必要であった・・・、という理解が一番妥当なのだなぁ、と感じた。
基本的にユダヤの民が栄えることができたのは、近隣の巨大王国の影響力が何らかの事情によって衰えた時代に限ったことで、他の時代にはほとんどの場合にそれらの王国への忠誠を誓うことでどうにかこうにか生きながらえてきた・・・、という事情があるらしい。

歴史的事実として認識されているのは、紀元前1000年頃にダビデによって12部族から続く南王国と北王国が統合され、初めてヤハヴェの神を信ずる人々による統一王国が作られた(であろう)ことで、それ以降の聖書の記述と歴史の流れとはおおまかなところで一致しているようだ。

ヤハヴェ信仰は、ダビデによる統合前に12部族が共通の敵を前にした際の共通のアイデンティティーとして人々の間に根付いたものと考えられ、これは出エジプトを体験した人々によって伝えられた可能性が高いようだ。
ちょうど紀元前1353-1336にエジプト王の座にあったアメンホテプ四世は、それまで脈々と受け継がれてきたエジプトの神々の崇拝を廃止して一神教的性格を持つアトンへの崇拝を行う宗教改革を行ったようだ。しかもこの一神教への傾倒はアメンホテプ四世の代のみに限られ、それ以降の第19王朝では伝統的なエジプトの神々を崇拝する宗教体系へと回帰している。
この際にアトン信仰を行っていた人々が迫害され、それがアメンホテプ四世の代に無法地帯化していたカナンの地へと逃れ、その教えを伝えた可能性が高いようだ。
ロバート フェザーの「死海文書の謎を解く」という本でクムラン派に関する知識があったので、このあたりも面白く読めた。

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アブラハムからモーセまではフィクションに近く、その後に王制を取り入れたユダヤ王国の勃興と衰退の歴史、そしてバビロン補囚の時代を通してヤハヴェ信仰を貫き通した人たちが民族の記録として残したものが聖書である、という基本線はおおまかなところで正しいようだ。

巨大王国のさじ加減によって運命を左右された人たちが「いつかの栄光」を求めて強く結束するための書物、という意味においても、単純に民族に伝わった書物としても、やはり聖書が魅力溢れる書物であることに変わりがないことがよく分かった。

聖書への引用は少なく、物語の現れる聖書の該当箇所を指し示しているだけなので、それなりに聖書に精通していないと読むのは辛いと思う。

暇なときにでも新約篇でも読んでみることにしよう。

2005年08月12日

英仏百年戦争 - 佐藤賢一


とても面白い視点を提供してくれる本。
イギリスがヘイスティングスの闘いで征服王ウィリアムに敗れ、それ以来彼の直系の子孫による王家によって支配されてきた・・・、という事実を見つめ直すことで、当時にはまだ発達していなかったナショナリズムの原型が百年戦争によって構成されていった点を指摘している。

ノルマンディーの一豪族でしかなかったウィリアムに「征服」された、ということは、確かに当時のイギリスはフランス貴族の「一領土」に過ぎなかった訳で、その後の歴史のいたずらがウィリアムのアンジュー家をイギリスだけを領土として持つ事実上の「イギリス王」にしてしまった・・・、というのは確かに説得力のある説明。

それにしても当時のドロドロとした「戦争」の形や、「家」の勃興やら没落やらは本当にシェイクスピア的世界そのまま。劇にするには一番よい題材だと思った。

2005年08月10日

リア王 - ウィリアム・シェイクスピア


相変わらず面白いシェイクスピア。

薄幸なコーディリアと、甘言に惑わされて悲劇の中心人物となってしまったリア王。
エドガーとエドマンド、それから2人の姉、そしてグロスターとケントというもはや単純に脇役と言うことができないほどに存在感を示すキャラクターもとても印象深い。

シェイクスピアの何が凄いか、といえば、やはり人物描写の素晴らしさとその人々が発する活き活きとした言葉だろう。
全てを失って狂乱のさなかに荒野の風に向かって叫ぶリアの姿には誰しもが心を動かされるだろうし、追放を言い渡されても主君に忠実に仕えようとするケントには感動すら覚える。
そして愚かで欲情に燃えた2人の姉の姿もとてもうまく描かれている。

岩波文庫版を読んだのだけれど、注解としてなかなか詳細にわたった説明がつけられていて、当時の風俗習慣がわかりやすくなっていたのが好印象だった。

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シェイクスピアが悲劇を書いた理由がなんとなく自分の中で掴めてきた気がしている。それは「人生の最大の悲しみ」の表現であり、「絶望」のシミュレーションのようなものなのではないか、と感じた。

2005年08月08日

ディジタル著作権 - 名和小太郎


よい本。

現行の著作権がいかに時代にそぐわないものかをとってもうまく説明している。
著作権のみならず、法律がどういった存在意義を持っていて、どのように機能してきたか、ということに関しても触れられているので「著作権がよくわからない」と思い続けていた自分にはとてもよい本だった。

ベルヌ条約からアメリカのDMCA、そして近未来に起こることが予想される著作権に関する混乱をうまく描いている。

現在のDRMは現存する著作権保持者の既得権利をどうにかして守ろうとする見苦しい存在でしかないので、これをどうにかして新しい発想で組み上げていくことで「こんなこともできるんだ」という例を世の中に示せたら面白いな、と思う。

2005年08月07日

いつもいつも音楽があった - 子安ふみ


シュタイナー学校での音楽を使った教育が書かれた本。
シュタイナーに関してはそんなに詳しくなかったのだけれど、教育一般には興味があるので読んでみた。

著者は日本に帰国していた1年前後の期間を除いて小学校から高校までほぼ全ての学年をドイツのシュタイナー・スクールで過ごしていて、その貴重な体験の中に沢山の面白い発見があった。

多様な価値観を持つことを教えられ、またどんな時にも楽観的な姿勢で生きていく・・・。
言うのは簡単だけど、実践するのは難しい。
シュタイナー学校ではこういった人間が多く輩出される土壌であることがなんとなく理解できた。

2005年08月06日

我と汝・対話 - マルティン・ブーバー


非常に宗教的要素の強い哲学書。

人は原初的に「我と汝」と「我とそれ」という2種類に大別される方法で自分以外の何かと向き合う。
そして現代においての関係性のほとんどが後者になっており、宗教的絶対善のようなものを求める姿勢が限りなく少なくなってしまっていて・・・、というノリ。このへんはニーチェの「神は死んだ」に通じる何かを感じさせる。

よくわからなかったけど、「汝」との関係性の重要さについて説いていることがおぼろげに理解できた。

2005年08月02日

自分を知るための哲学入門 - 竹田 青嗣


現代における哲学の意味をきちんと理解させてくれる良書。
哲学的泥沼にハマることなしに哲学を楽しむことをきちんと説明してくれていて、それでいてギリシャ時代から続く哲学の系譜が解説されている。

ギリシャ時代に起きたソクラテス的転回が現代哲学でも起きていた話が面白かった。

2005年08月01日

現代思想の冒険 - 竹田 青嗣


これは分かりやすい!
しかもデカルト以降の現代西洋哲学がたどって来た道がとてもよくわかる。

結局、西洋哲学が求めてきたのは「生きる意味」であり「絶対的な神への代替する何か」であるように感じる。
ソシュールやパースの記号論とレヴィ・ストロースの構造主義にはそれなりに親しんでいたつもりだったのだけれど、こういう流れの中でこれらの思想を見ることができたのがとても新鮮だった。

「とりあえず生きている」だとか「」なんかの考えはここ2,3年の間に自分の中で問うてきた疑問に対する自分なりの答えだったりして、とてもとても興味深かった。