風に描く / 加藤一

元競輪選手にしてパリ在住の画家、という面白い経歴をもつ加藤一さん(故人)の自伝本。

戦前の神田で生まれ育ち、旧姓中学・大学時代を通じて自転車競技にハマり、戦後は経済的な事情からオリンピックを諦めて競輪の世界に入って活躍し、パリに移り住んで画家として生きるようになっていった様子が描かれている。

戦前の東京で自転車競技が行われていたということ自体が驚きだけど、当時は主にヴェロドロームでの競技がメインで行われていた模様。戦後の混乱期に北九州の小倉で発足した競輪は、社会悪として一部の人たちからは忌み嫌われながらも、自治体の手っ取り早い収益源として、庶民のギャンブルとして、瞬く間に日本国中に広まっていた。アマチュア選手としてオリンピック出場を夢見ていた加藤一さんも、家庭の経済的事情で夢を諦めてその世界に入り、彼が出場するレースは「銀行レース」と呼ばれるほどに圧倒的な強さを誇っていたのだそうだ。

その後、八百長騒ぎに巻き込まれたり、落車によって重傷を負ったことが原因となって選手生活から引退。パリの社交界でその名を知られた怪人・薩摩治郎八との出会いもあり、画家としてパリに住むことを決心して渡仏し、多くの人に認められる画家として成長し、パリでその波瀾万丈の人生を終えた。

戦後すぐの時代に行われた大阪-東京間のロードレースに参加した話や、フランスで行われている田舎レース(クリテリウム)の様子など、自転車好きにとって興味深い話がたくさん詰め込まれている。自転車競技選手として活躍し、画家としても成功し、UCIの下部組織となる国際プロフェッショナル自転車競技連盟 (FICP) の理事・副会長を務めた加藤一さんという人は、一個人として独立した考え方を持っていて、それでいて人付き合いのよい、日本人には珍しいタイプの人種だったのかなぁという印象を受けた。

フランスに自転車競技が根付いていった過程には、この本で描かれているような田舎レースの存在が一役買っていたのではないかと思う。

「クリテリュムと呼ばれるこの種の地方競技は、主催する町村の役場前広場か、教会前がスタートとゴール地点に決まっていて、周辺のコースを走る間に、何回かその場所を通るようになっている。

そして、このクリテリュムに欠かせないのがイベント進行係、フランス自転車競技連盟に登録されたスピーカーと英語風に呼ばれる司会者なのだ。彼らは、事前に参加選手の戦績や経歴、競技コースにまつわる話題や大会の歴史はもちろん、その町や村の住人たち、とりわけ資金を出してくれそうな商店主や名士、会社などについてのエピソードや噂話を頭に入れておかなければならない。
速度をあげながら選手たちが、広場にしつらえられたメインスタンドに近づいてくると、このスピーカーがわめき出す。

“さあ、さあ、この次の三回目の通過スプリントには一着から三着まで、主催者から千フランのボーナスが出ることになっています!まだ姿は見えませんが、伴走車からの報告によりますと、トップの選手が町はずれに入ってきたようです。現在のポジションから予想すると、AチームのB選手がトップでここを通り抜けそうな形勢です。多分一着で姿を現わすB選手に、ええっとそのスタンドの二列目にいる、ほら、あなた、銀行通りの美容院のマダムですよ!もう千フラン賞金をおのせになりませんか、マダム!ぜひそうなさいますよう!

あ、駅前通りのパン屋のご主人も、心からこの大会を愛していらっしゃる、それに今日はお美しい奥様もごいっしょときている。いかがでしょう、一着から三着までの選手にまとめて千フランお出しになりませんか。きっと奥様もお喜びですよ。”
(中略)
こんな具合に、休むことなくしゃべり続けるのだ。特に町や村の金持や名士の虚栄心を巧みな話術でくすぐって、ボーナスを出させるたびに、観衆たちの、どよめきが起こり、ムードはいやがうえにも盛り上がる。ベテランスピーカーになるほど、駆引きのコツをのみこんでいて、そうしたやりとりを聞いているだけでも、お祭りの興奮が伝わってくるというわけである。
(中略)
こうなると自転車競技大会といいながら、もう地域のお祭りそのものであり、貴重な社交の場でもある。その意味でツール・ド・フランスはこうした裾野の大会に支えられた頂点に位置する年一回の最大のロードレースだと言っていい。

自転車ロードレースは観客から入場料をとれないだけに、ある意味でもっとも庶民的、社会主義的なレースといえる。だから企業スポンサーと地域社会の参加が唯一の資金源となってくるのだ。」
(P.213)

純粋なスポーツを多くの人に興味を持ってもらうのは難しい。それに付随するあれやこれやを足したり引いたり煮込んだりして、多くの人に関心を持ってもらうようになってはじめて、スポーツは社会的認知を得ていくように思う。多くの近代スポーツの発祥国でありながら、世界に向けてそのスポーツ文化を発信する立場としては遅れをとってしまったイギリスとの比較で考えると、こういった点においてフランス人は抜群の嗅覚とセンスをもっているのではないかと改めて感じた。