Jens Voigtのインタビュー

チーム・レオパードトレック所属の大ベテランにしてひょうきん者、最強クラスのルーラーにして人気者のイェンス・フォイクトさん。Chasing Legendsのおまけディスクに入っていた彼のインタビューがよかったので、ざざっと翻訳。

Voigt

I still remind myself, I try everyday almost that I am a few lucky person on this planet? who could turn this passion into profession. How many people can say that, I mean I’m out you know in this countryside, riding my bike and my body hurts and that’s my job, that’s my office. How lucky am I? I mean, honesty, It’s like a gift. So I just enjoy it. If you do this sports just to earn money like a mercenary. you are not good at it any more, then you lose it. I still have frame of passion still burning still big fire, it’s not a little spark like “yeah, I like this sports, it’s good for money”… then you are not good at it anymore. so you’ve really got to go for it and it’s great for you and I’m still there, I still enjoy it.

**

今でも毎日のように自分に言い聞かせるんだ。「僕は日々情熱を仕事につぎ込むことのできる、地球上に住んでいる中でも特に幸運な人間のうちの1人なんじゃないか」ってね。こういうことを胸を張って言える人は少ないと思うよ。気持ちのよい田舎道で、身体を酷使しながら自転車で走る。それが僕の仕事で、そこが僕の仕事場なんだ。本当にこれは恵まれたことだと思うよ。だから僕はこの環境を心から楽しんでいるんだ。

このスポーツを報酬目当てで、お金を稼ぐためにやっていたとしたら、強くあり続けることはできないし、勝つことはできないだろう。僕の中にはまだ情熱の炎が大きく燃え上がっている。「このスポーツは好きだし、給料も悪くないし・・・」なんて、ケチな火花みたいな気持ちで続けられるほどこのスポーツは甘くはないんだ。本気で打ち込んだら、その分だけ得るものがある。僕はまだここにいるし、まだ楽しんでいたいと思っている。

シュレック兄弟が新しくチームに入った時、彼らはまだ新人でプロとしてレースを走る上で右も左も分かってなかったんだ。だから彼らは僕のことをジェダイ・マスターのように慕ってくれたんだけど、しばらくしたらすぐに僕と同じかそれ以上のレベルにいることに気づいた。そして1年か2年したら彼らは遥か上のレベルで走れるようになっていた。あっという間に僕を追い越してしまったんだ。

僕はこれまでのキャリアを通して2チームにしか所属していない。6年間フランスのチームにいて、ここ(CSC->Saxobank)では6年目になる。僕は新しい環境に入ったら自分にとってよりよい環境になるようにベストを尽くして、それを維持するようにしているんだ。居心地のよさを求めて毎年のようにチームを渡り歩く人もいるけど、僕は自分にあうチームを探して、そこにできるだけいられるように意識している。気持ちよく走れる環境にいることは重要だね。「あっちのチームに行けばもう少し給料がよくなるから移籍しよう」なんて人もいるけど、僕はそんなことはしたくないんだ。自分の環境には不満がなかったから、これまでにたくさんのチームからのオファーを断ったよ。

居心地のよいチームにいることはパフォーマンスのよさにも通じると思う。新しいシーズンに向けてトレーニングしながら「レースに行ったらまたあの連中と顔をあわせなきゃいけないんだ」なんて考えなきゃいけない状況を想像してみてよ。それはどんな人生だろう?1万ドル余計に給料をもらったとして、それは本当に素晴らしいことなのかな?チームが嫌いになるし、人が嫌いになるし、レースに行くのも嫌になる。それは悲惨な事だし、そんな状況でよいパフォーマンスが出せるとも思えない。給料がちょっと少なくたって、居心地がよくて気に入った環境にい続けて幸せでいることが大切だよ。

ツールについて。ツールは世界で一番大きなレースだ。よくもわるくも、1年間のスケジュールはツールを中心にして回っている。そしてもしドメスティックの役目から解放されてチャンスさえ掴めば、ほんの短い間かもしれないけれど、15分か20分か、あるいは10時間、スターになることができるんだ。

例えばドイツでは僕はツールを走るドイツ人選手としてよく知られているけれど、それは僕がよくアタックしたり、ゴール前で捕まったり、たまに勝ったり、たまにクラッシュして目立つからだよ。多くの人は僕が64,5回もレースで勝ってるってことは知らない。実は僕がそれなりに成功しているサイクリストだと知っている人間は少数なんだ。そして一般大衆はそんなことは気にしない。彼らが僕を知っているのは、僕がいつもファイトしたり捕まったり爆発したりして、彼らを楽しませているからなんだ。

世界中に10万人か、100万人規模のサイクリストがいるとして、そのうちの5万人くらいがシリアスなレベルで競技をやっているとしよう。そして1000人がプロとして、1200人がUCIに登録したプロとして競技をやっている。さらにそのうちの600人がプロツアーで走っていると考えられる。プロチームは20チームで、各チームには30人くらいいるからね。50万人からプロの1,200人、1,200人からプロツアーの600人、さらにそのうちの190人がツールに出られる。つまりツールに出ている、ということは自転車レース界の最高峰に立っているってことになる。

強いチームに所属していて、さらにツールの選抜メンバーに選ばれる必要があるから、ここには優れたサイクリストしかいない。だからそれぞれが敬意をもって接するんだ。仮に隣のサイクリストの名前を知らなかったとしても、ツールに出てるってことはそいつが強いサイクリストであることは分かる。ツールにいるのは、本気で競技に打ち込んでいるトップクラスのアスリートだけなんだよ。なんというか、そこには大きな家族の連帯感のようなものがあるんだ。もちろんチーム同士、サイクリスト同士はライバルなわけだけど、ツールはただのレースではなくて冒険のような側面もあるからね。冒険であると同時にサバイバルレースでもある。

最終日ともなれば選りすぐりのサバイバーが集まるってことになる。「ああ、君が5日前にクラッシュしたのを見たけどまだ走っていたんだね」とか、そんな感じで友達になるんだ。まず大前提として、ツールで最終日まで生き残るのにどれだけの努力や苦しみが必要になるかが共有されてる。そしてそれがみんなをまとめる力になるんだ。もちろんみんなライバル同士で、結果を出すためなら死ぬ気で走る。でもレースが終われば違うんだ。「あのクラッシュのあとでまだ走ってたんだね、よかったよかった」とか「3日前は後ろの方にいたね、あの日は最悪だったね」とかそういった会話が生まれる。でも、翌日のレースになればお互いアタックしあうんだ。

ダウンヒルでの安全を守ってくれるのは、小さなヘルメットと2平方センチのゴムと地面との繋がり、それだけだ。そして僕たちはけっこうな速さでカッ飛んで行く。A地点からB地点までできるだけ速く移動すること、なんといってもそれが僕たちの仕事だからね。高速のダウンヒルでは怖くなることもあるよ。居心地の悪さを感じて「もし僕が一人だったらもう少しゆっくり行くんだけどな」なんて思うこともあるけど、回りには100人もの狂ったサイクリストがいて、彼らから離れてしまったらレースにならなくなってしまう。

年をとったことを実感するのはダウンヒルだね。ハードなトレーニングや苦しみ、登りスプリントにタイムトライアルは問題なくこなせるけれど、ダウンヒルだけは違うんだ。僕には5人もの子供がいるから、無茶苦茶なリスクを背負うのは嫌だし、死ぬわけにもいかないなと思ってしまう。「これは危ないな」と感じることは多いよ。特に雨のレースなんかでは狂ったような速度で下って行くことがある。無茶なペースでカーブに飛び込んで行くのを見ると、「いやいや、それは無茶だよ」と 20-30mくらい距離を取るんだ。カーブでオーバーランした連中が道ばたにいるのを見ながら「だから言ったんだ。なぜ僕の言うことを聞かなかったんだい」と思う。時々集団で走りながら「こんな速度で下って無事なはずがない。」と感じる事は多いよ。空が青いのと同じくらい、その速度でコーナーに突っ込めば無事で済むはずがないのは明確なんだ。

クラッシュする前に覚えている事は、ビャルネ(リース監督)が「イェンス、そんなに一生懸命引っ張る事はない。集団の後ろに下がって少し休め」と言ってくれたことだ。ランスや黄色ジャージの選手、シュレック兄弟のいる15人くらいの集団で、少しずつ最後尾に下りて行ったんだ。その時はリラックスしていて、「水をもらってシュレック兄弟に届けよう。ゴールに向けてアタックするのはどうだろう。ひょっとしたらステージ優勝を狙えるかも知れない」なんて考えてたんだ。その次に覚えている事は、救急車の天井を見上げていたことで、「僕はどうやってここに辿り着いたんだろう?」と思った次の瞬間には激痛が走っていた。

身体を動かすことができなくて、目の前にドクターが1人いたから「どうやら僕は落車したに違いない」と気づいたんだ。回りに心配そうな表情の面々がいるのに気づいて、「僕は大丈夫、名前は知らないけどあなたがドクターなのは分かるし、君はチームの人間だよね」と言ったんだ。20-30分くらい記憶が飛んでしまったけど、その部分の記憶は戻ってくれなくてよいと思うよ。そこにはただ痛みだけしかなさそうだしね。クラッシュの映像をスローモーションも含めて見た限りだと、落車の原因には二つの可能性がありそうだ。道の真ん中にあった出っ張りに乗り上げて、タイヤが着地した時に白線を踏んで滑ったというのが僕の説。出っ張りに乗り上げた衝撃と、汗かなにかでハンドルバーから手が滑ってしまった、というのが回りの人間の説。本当にあっという間の出来事で、バイクが倒れて僕が倒れて、長い時間滑っていたようだ。自転車からは火花も飛んでいた。

それ以前に2回ほど、お腹を痛めてツールを完走することができなかった。完走できない事は残念だよ。なんといっても期待に答えられなかったような気がするんだ。でも、身体の大事な部分が無事で、生きている事がなによりもありがたい。そう考えると完走できなかったことはそこまで悲しくはないかな。アンディーが二位に入った事は嬉しいし、彼らは僕にツールで何が起きているかを逐一教えてくれたんだ。チームの繋がりの強さを感じたよ。それでもシャンゼリゼをパレード走行できなかったのは残念だよ、あれはなんといっても特別な瞬間だからね。10年、20年経っても誇りに思える瞬間なんだ。

僕がキャリアを終えるとしたら、その時は自分の決断に満足していたいと思う。「僕は全てをやり終えた。今こそ人生の新しいページを開くときだ」という具合にね。あのレースでアタックしておけばよかったとか、あの時にあれをやっていればとか、手遅れになってから思いたくはないんだ。そういう風に感じている人を知っているけど、それはとても悔しい事だと思うよ。家族もいて、自分だけの人生じゃないのにウジウジと後悔し続けるなんて馬鹿馬鹿しいよ。手に届くところにチャンスがあったのにそれを取らなかったなんてね。そんな風にはなりたくないからいつもベストを尽くしているんだ。

僕が初めてプロの契約を結んだ時は信じられないほど給料が安かったんだ。その時はまだ子供が一人しかいなかったけど、妻とバケーションに行くために両親からお金を借りなきゃならなかった。一年目の契約が終わったときは本当にスッカラカンだったからね。あれが一年契約でよかったよ。とにかくプロの世界でベストを尽くして、もし僕の力が通用しないのであれば、その時は諦めるつもりだったんだ。少なくとも挑戦しておけば、「僕はプロの世界でビッグネームと一緒に走った。僕はそこにいて、僕はそこでやれることをやったんだ」と思って諦めがつくからね。もしそうなっていたら素直にプロの世界から足を洗って、新しい何かを探していたと思うよ。とにかく問題は、可能性に対してチャレンジしたかどうかということなんだ。

**

コアなサイクリングファン以外の人がどういう風にこのスポーツを捉えているか、といったところまでしっかり考えているあたりがフォイクトさんらしくてよいですね。

それにしてもフォイクトさんはやたらと早口&頭の回転も速いので、次から次へと言葉が出てくるのでリスニングがなかなか厄介。何を言わんとしているかを漠然と掴むのは簡単だけど、しっかりと言葉を拾うのはなかなか骨が折れた・・・。

**

日本での公開はないかと思っていたChasing Legendsだけど、特集上映「サイクルロードレースの世界」で取り上げられたみたい。東京だとUPLINKで上映している模様。この手の作品の中では出色の出来だと思っているので、DVD化にも期待したいところ。

フォイクトさんというと、2004年にCSCがツールで闘う様子を描いた映画「OVERCOMING」のおまけディスクでもいろいろ語ってるシーンも印象的。まじリスペクトっす、アニキ。

Jens Voigtのインタビュー」への2件のフィードバック

  1. カイホーさんにちょっと似てる気がする(笑
    気さくな感じとか。

  2. > ba-mosさん
    確かに・・・にてますね!
    気さくな感じもそうですが、ビジュアル的にも(?)。

コメントは停止中です。