旅について
あるいは、「僕らが旅に出る理由」
方向音痴な僕にとって、旅をすることは限りなく迷うことに近い。でも、迷うことがあるからこそ、僕は新しいものに出会うことができる。
もし人が迷うことをやめてしまったら、もしみな同じ価値判断で考えて、もし誰もが同じ目標だけに向かって歩いてしまったら、きっとつまらない世界になってしまうに違いない。

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東アフリカの共通語であるスワヒリ語には、「サファリ」(safari)と「テンベア」(tembea)という言葉がある。
「サファリ」が目的をもった旅であるのに対し、「テンベア」は目的を持たない旅、という意味なのだそうだ。
何か明確な目的を持った旅には、旅自体に対する意味づけがはじめから存在しているために、迷うことは少ない。これは、目的が明確であればあるほどそうだろう。
逆に、目的のない旅には必ずや迷いが生じる。そして人は、その迷いと格闘していく中に、その旅に対する自分なりの意味づけを見つけていく。
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「旅」とは日常外の世界との出会いであると同時に、自己との出会いでもあると思う。
昔の中国の禅僧が書いたという十牛図じゃないけれど、何かを探して出ていって、結局探していたものはすぐそばにあった、なんてことはよくあることだ。
だから僕にとっての「旅」では物理的に体を動かすことが必ずしも必然ではなくて、例えば家でファミコンのゲームをやっていたら突然何かを悟ってしまうような、そんな気分も「旅」なんじゃないかと心のどこかで思ったりもする。
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でも、家でファミコンしているのではあまりにも「旅」らしくないし、格好もつかない。
だから、このウェブサイトで紹介する「旅」は、僕が家の外に出て行って、体験したことや考えたこと(それも特に面白かったもの)に絞ることにしよう。
これは僕の外の世界の記述であると同時に、僕自身の記述でもあるのだ。